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逃亡するはなし



ビストロを出て、宿を目指して帰路につく。

4人とも、目指す方向は一緒だ。

あの牡丹園で出会ったテレーゼとイーリスの二人は、言わずもがなイルゼたちと同じ宿に部屋を取っているということである。


テレーゼとイーリス、見ず知らずの他人と取った夕食は思いの他悪くなかった、とイルゼはそんな感想を持った。

家名は名乗らなかったが何処かの令嬢にしか見えないテレーゼは、意外にも料理を作ることや、街のカジュアルなレストランでワイワイご飯を食べるのが好きだと言った。

イーリスも、とっつきにくそうな冷たい見た目とは反対に優しく笑い、グラスの飲み物が無くなれば真っ先に気づいて注文したり、周りを気遣う思いやりのある男性だった。



上を見上げれば、空に星が出ていた。

オレンジの街灯と賑やかな店から漏れ出てくる笑い声、道で演奏されているバイオリンの音を聞きながら、4人は歩く。


並んで歩くイルゼとルイスの前を歩いているテレーゼとイーリスは、自然に手を繋いでいた。

時々くすくすと笑うテレーゼの声が、後ろのイルゼとルイスの所にも届いてくる。


先ほどのビストロでも、二人はとても仲がよさそうだった。

テレーゼが「イーリス、これは何が隠し味に使ってあると思う?」と一口分スプーンに乗せてアーンをしようと差し出すと、「恥ずかしいので、スプーンを渡してください」とイーリスが小さく笑う。

「いいじゃない、今日くらい。良い晩なんだもの」

「ほら、ルイスさんが余所でやれとばかりの目で我々を見ているではありませんか。折角の良い晩なのです、4人で楽しみましょう」


イーリスは物静かで後ろに一歩引いたような男性。テレーゼは溌溂として一歩前に踏み出してくるような女性。

(二人ともお似合いだなあ。頼んだら、また絵のモデルになってくれないかな……)


などと考えながら、涼しい夜の夏風の中をコロンカランと歩いていると、



突然。


「イーリス!」


イルゼたちの目の前を歩いていたテレーゼが立ち止まり、目を見開いて前に続く街の景色を見る。

テレーゼにしがみつかれたイーリスも、何事かと前方に目を凝らした。


「ヴェンダルたちよ!」


イーリスが前方から近づいてくる男たちの影を認識するより早く、テレーゼがイーリスの腕を引っ張り、身を翻して後ろに駆けだした。

テレーゼ達の後ろにはイルゼとルイスがいる。

その二人の方に全速力で向かってきたテレーゼは必死の形相で叫んだ。


「逃げて!」


『逃げて』

……逃げる!

良く分からなかったが、その切羽詰まった表情に追い立てられるように、イルゼもテレーゼの後を追って足を踏み出した。

走り出してしまったのは、ほとんど無意識だ。

訳も分からなかったし、何から逃げるのかも何故逃げるのかも分からなかったが、とりあえず捕まってはいけない、走らなければと思ってしまったのだ。


「は!?」


先ほどまで隣にいたイルゼが脱兎のごとく走り出したのを見て、一番驚いたのはルイスだった。


実は、ルイスは薄々気が付いていた。

テレーゼ達には逃げ出す理由があるかもしれないと。

何となく、似合わない二人だと。

しかし、ここでイルゼが咄嗟に走り出すとは予想していなかった。イルゼは全くの無関係で、追われる覚えなど皆無だろうに。





イルゼには、走った経験があまりない。

子供の頃はそれなりにあったかもしれないが忘れたし、最近は自信を持って皆無だと言える。

もはや、走り方を覚えているかさえ怪しい。


それはテレーゼも同じだったようで、イルゼの前を走るテレーゼはほぼイーリスに引き摺られるようにして走っていた。


支えてくれる人のいないイルゼが夢中で走って少しして、石畳に爪先をひっかけた時。

頭の片隅でどこか実感なく、転ぶと思った瞬間。

長い腕が伸びてきて、イルゼの手を捕まえた。


「お前はいつも危なっかしい」


容赦なく引かれて、イルゼは再び走りだす。

飛ぶように駆けるルイスはイルゼの手を引きながら、前を走るテレーゼ達に続く。


イルゼとルイスの二人には、後ろから追ってくる男たちから逃げ出す理由は無い。

だが、走り出した足をこのまま止めるくらいならいっそ走り切ってやろうと思ったルイスは足を止めないし、我に返ったイルゼも、ルイスを巻き込んだ手前足を止めるつもりはなかった。


人通りの少ない細道を跨ぐように通過し、酔っぱらった男たちが外の席で陽気に歌っているレストラン街を走り抜ける。


煉瓦道に差し掛かったところでルイスとイルゼが、スピードが落ちているイーリスとテレーゼに追い付いた。



「こっちだ」


目で合図したルイスに、イーリスが小さく頷く。


ルイスが角を曲がり、居住区の間にあった狭い小道に飛び込んだ。

イーリスもテレーゼを引っ張ったままそれに続く。

小さなマンションの中庭を横断し、窓に腰かけて月を見ながら歌っている住人の脇を飛び越えて、煉瓦でできた家と家の間の階段を一段とばしに駆け下りていく。


角を曲がり、低い壁を飛び越え、誰かの洗濯物の下を潜って。

静かな裏路地まで来たとき、ようやくルイスは足を止めた。


「もういいだろ」


追手の姿はない。

どうやら上手く撒けたようだった。


振り向いたルイスは、息一つ上がっていない。

対してイルゼの肩は荒ぶって上下し、喉はカラカラを通り越して痛い。

更に、よこっぱらが痛くて死にそうである。

声を出している余裕などなく、ただ懸命に息を吸って吐く。

そんなイルゼの呼吸が整うまで、ルイスは傍でじっとしていた。

イーリスも息を整え空を仰ぎながら、苦しそうに呼吸するテレーゼを支えるように立っている。




「で、あの追手はなんだ?悪いことをしたのは誰だ?」


ようやくイルゼとテレーゼ、イーリスの呼吸が落ち着いたところで、ルイスが口火を切った。

裏路地に立つルイスの藍の眼に、街から漏れ出た光で明るいがチラチラと映っては消えている。

確信したような、獲物を追い詰めたような微笑を湛えているルイスからは誰も逃れられそうにない。


「悪いことをしたのは……私よ」


「いえ、罰を受けるべきは私です」


違うわ、とイーリスを遮ったテレーゼははっきりと首を振った。


「あのね、私がイーリスに今日一晩だけデートに行きましょうって誘ったの」



(なるほど、デート。男女不正交遊とか男女不純外交とかなんとかだったような……追手に追われちゃうような罪なのか…………)


「いやいや。えっと、それは、悪いこと?」


弱弱しく笑うテレーゼの前で、そう首をかしげたのはイルゼだ。

流石のイルゼでも、普通のデートは追手から逃げるものではないと知っている。





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