思いがけないはなし
カランコロンカランコロンと、どれくらい馬車に揺られていただろうか。
いや、この小一時間ほどは、揺られていたというほど揺られていない。
先ほどからイルゼもルイスも、馬車の進みが思いがけずゆったりなことには気が付いていた。
「何かあったのかな」
「事故かもな」
コンコン。
全く動かなくなった馬車の扉を控えめに叩いて、ルイスに合図したのは御者だ。
丁度、外で何が起こっているか知りたいと思っていたところだった。
ルイスが顔を出せば、御者は素早く一礼して説明を始めた。
御者の話を簡潔にまとめれば、通る予定だった橋が壊れてコーストサイドまでの最短ルートが進めないという話だった。
橋が通行止めのせいで立ち往生したり急に方向を変える馬車もあったりで、このあたりで交通渋滞が起こっているのが馬車が動かない理由らしい。
「迂回するとどうなる」
「今夜中にコーストサイドに着くことは絶対に無理ですよ?早くて明日の昼過ぎでしょうか」
御者が答え、ルイスは顎に手を当てて考え込む仕草をした。
思案顔のルイスの正面に座るイルゼも、ルイスと御者の会話を聞いていたので状況は分かった。
「君、明日仕事あるよね?」
「ああ、あるな」
「君だけでも、馬に乗って帰る?」
「……」
ルイスのことだ、馬の背に乗って駆ければ遠回りを強いられる道でもきっと、すんなり夜にはコーストサイドの街に辿り着くだろう。
そうすればルイスは明日の仕事に間に合う。
そしてイルゼは、馬車で後からコーストサイドに着けばいい。
絵を描く時間は遅くなった分削られるので惜しいが、それはもう仕方がない。
なんなら、酔ってでも馬車の中で描けばよい。
しかし、ルイスはイルゼの提案とは別の判断を下した。
「このまま馬車で迂回だ。暗くてそれ以上進めなくなる前に宿をとる」
「分かりました」
御者はパキッと頭を下げて応じた。
ルイスは、明日の仕事に間に合わせるのは諦めて、このまま馬車に乗ってゆっくりコーストサイドに帰るつもりのようだ。
彼は実家であるフロスト侯爵家で仕事をしている。色々融通は利くのかもしれない。
「仕事サボるつもり?ワルだね」
「また次の日に徹夜するんだよ、あんぽんたん」
遠くの山で鳥が鳴いている。夕焼けを見ると懐かしそうに鳴く鳥だ。
日と夜の境界のにおいが、どこからともなく漂ってくる。
振り返れば、通って来た道に長い影が伸びていく。
もうそろそろ太陽が落ちて暗くなり、夜になって月が出てくる頃だろう。
昼が終わるこの時間はいつも、夜が始まる時間より少し寂しい。
イルゼたちの馬車はガラガラ音を立て、迂回路の上にある町の一つに停車した。
今晩は、この町に身を寄せることにする。
この山あいの町はフィレディングの街よりは小さかったが、フィレディングの街より賑やかな印象を受けた。
街灯は白ではなく橙。店の看板は主張しない小さなバナーフラッグではなく、手書きの立て看板や黒板が賑やかだ。
そして、全体的に花が多く植えられている。店先にも小さなポットやプランターが並び、街路樹もところどころに植えてあった。
とっつきにくい雰囲気のフィレディングの街と違い、フレンドリーな印象だ。
町の落ち着いた場所に良さそうな宿を見つけ、「部屋を取ってくる」とルイスが馬車を下りて行った。
大貴族の別荘のような白い綺麗な宿だったが、その周りにワラワラと馬車が止まっているのが目についた。
乱雑に停められた馬車たちは、落ち着いたたたずまいの宿にどこか似つかわしくない。
「一部屋しか取れなかった……しかもベッドが、一つだと」
混み合う宿から帰ってきたルイスはワナワナと震えていた。
どれだけ粘っても、無いものはないからと宿の者に謝られたらしい。
橋が壊れたことで先に進めず、宿泊を余儀なくされた旅人たちが近場の街の宿に押し寄せた結果だ。
むしろ、一部屋でも取れたのは僥倖だった。
「私、馬車で寝ようか?」
「……」
「私は全然大丈夫だよ」
「……」
「何なら野宿でも」
「……いや、床で寝るのは許してやる」
「そう?いいの?ありがとう!」
イルゼが素直に礼を言うと、ルイスは渋々と嫌々と色々混ぜたような複雑な溜息をたっぷり吐いていた。
白く大きな宿はやはり内装も美しく、庭には小さな噴水や、夜でも客の目を楽しませることができるようにライトアップされている牡丹園もあった。
イルゼとしてはすぐにその庭のベンチに座って、零れ落ちんばかりに咲く花のスケッチがしたいところだったが、部屋を確認するのが先だった。
絨毯の敷かれた白い廊下を歩く。
目当ての部屋の扉に辿り着き、足を踏み入れる。
部屋は単身用なので二人で入ればこじんまりしていると感じないこともないが、清潔で居心地がよさそうだった。
2人は持ち込んだ荷物を絨毯の上に置く。
イルゼの荷物は、画材の入ったいつものカバンひとつだけ。
急遽見知らぬ地に泊まることになって一晩を過ごす準備など全く無いが、いつも肌身離さず持っている画材カバンがあれば割と事足りてしまうのがイルゼである。
しかしそんなイルゼとは反対に、馬車に何かの時の備えを常備しているルイスは、清潔な衣類や本などを部屋に持ち込んでいた。
これも使えあれも使えと、白い寝間着やフワフワなバスタオルをイルゼに投げて寄越すルイス。
イルゼは、投げられたそれらを必死に追いかけている。
「そういえば、ソワソワしていたが……行きたいのか、牡丹園」
「うん。今から行ってみようよ」
宿の渡り廊下から、牡丹園に出ることができる。
よく整備されたそこでは、令嬢の唇のように鮮やかなピンクや、染まった頬のように可愛らしいピンクの大きな花が左右に咲いて、小道を作っていた。
そこを進めばいくつかのベンチがあって、花を咲かせる牡丹がまばらに植えてある。
ぐるりと見渡せば、たわわに咲き誇る牡丹の陰に人目につかなそうなベンチがあった。
引き籠りの習性か、イルゼはここで一番ひっそりとしている、そのベンチに引き寄せられるように腰かける。
足を組んで隣に座ったルイスは「根暗女め」と毒づいていたが、今更気にしないイルゼだった。
暫く牡丹ばかりをスケッチブックに描いていたが、イルゼの鉛筆は段々と景色を追うようになり、次は光を描きだし、最終的に牡丹を見に来ていた宿泊客まで描きこみ始めた。
余裕のありそうな女性と小さな犬、杖をつく父親とそれを支える娘。
感じの良い老夫婦や、美男美女のカップル。
特に、カップルと牡丹の花はなかなか絵になる。
(ふふう、美男美女は描きごたえがありますなあ……)
「あら、もしかして、それ私達かしら?」
「!?」
背後から高らかな声がして、イルゼはぎょっとした。
どうしよう見知らぬ人に話しかけられた、とドキドキしながら振り向いた。
そこには豊かな金の髪の女性と、聡明そうな目元の男性が立っていた。
先ほど牡丹園の中を歩いていたカップルだ。
美男美女だ絵になるなあと思いながら、イルゼが勝手にスケッチブックに描きこんでしまった人たちだった。
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