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魔女のはなし



魔女のいる店は、大通りから脇に逸れて小道に入り、路地裏を抜けて階段を登って扉を開けて、古本屋の店内を通り抜けると出てくる扉を開けたところにあった。





「いらっしゃい」


貫録のある萎びた茄子のようなその魔女は大きな黒猫を撫でながら、煙管をふかしていた。


積まれた本でできたような小さな部屋の中心に乱雑に物が置かれた机があって、魔女はその前に座っている。

机の上には水が入っていないのに枯れずに生き生きとしている花や、イチゴジャム、動物の骨など本当に様々な物が載っていた。



大きく息を吸ってブワッと煙を吐き出して、魔女はようやく、入ってきたイルゼとルイスに扉を閉めるように言った。





「さて。あんたたちは、あたしにどんな用なんだい」


丸い煙をついでのように吐いた魔女は太った黒猫を撫でた。


イルゼが動かないので、ルイスが単純明快に用件を説明する。

話を聞いてやれやれとばかりに首を振った魔女は、「痣を見せてごらん」と長い爪のある指でイルゼの服を捲るよう示した。




魔女の鉤爪のような目に見据えられて、イルゼは改めてびくりとする。


この世界にいる魔女は物語の中にいるように語られるが、確かに存在する。

人が行きかう大通りの裏路地に、確かにひっそり存在する。

みんなその存在を知っていて、そして同時にその存在を忘れている。

魔女たちは、世の中の人の営みにはまるで頓着せずに過ごしているのに、訪ねて来る人がいれば何事もなかったように受け入れてくれる。

そして、知恵を授けてくれるのだ。




「ほら、症状を見ないと何も始まらないじゃないか」



(うう、逃げたくなってきた……)


この人は魔女で、この魔女は本物だ。

魔女は、イルゼの痣が呪いでも何でもないことを暴く気がする。イルゼが嘘をついていることを見破る気がする。


プロの医者の騙せたし、プロの魔女だって騙せるかもと思ったイルゼだったが。

本物の画家になりたいのなら、本物の医者でも本物の魔女でも騙せるくらいでないと、なんて楽観的でいたが。


(無理かも……なんか貫禄が違うんだもん……)


きりきりきりきり。

お腹が痛くなってきた。

だらだらだらだら。

嫌な汗が流れる。


小さな部屋で、魔女とルイスが黙ったままイルゼの返事を待っている。


嫌な沈黙が落ちた。


(うう……。もっと全力で嫌がっとけばよかった。なんで私、このボンボンにのこのこ付いて来ちゃったんだろう)




「あっ」

唐突に、小さく声を上げたルイスがその静寂を破った。



どうしたのだろうとイルゼが顔を上げてルイスを見る前に、「外に出とく」と短く言った彼はガチャッと扉を開けたと思ったら、もう扉の外に消えていた。

服をまくって痣を見せなければいけないイルゼに気が付いて、気を遣ったらしい。


扉の向こうに消えたルイスを見送った魔女は、イルゼに視線を投げて寄越した。

これならもう脱げるはずだろうと言わんばかりに、再び指をクイと折り曲げてイルゼに合図する。



ハア。

イルゼは溜息をついた。


(まあ、嘘がバレても魔女さんとボンボンに見損なわれるだけだから……)


(コーストサイドに留まるつもりはないんだから、絵を描き終わったらすぐに会わなくてもよくなるし)


(元々引き籠りオタクって虐められてきたんだから、嘘つきって言われるようになっても、きっと大丈夫だよね……)


ハア。

二度目の溜息をついた。




「見せます」


もうどうにでもなれとばかりに、イルゼはぶかぶかのローブと内側に着ている服にまとめて手を掛けた。


がばっ。

捲り上げて、腹を晒す。


現れたのは鮮やかなまでに毒々しい痣。

白い肌を覆うそれは、眩しいほど痛々しい。

イルゼが二度目に描いた痣は精巧極まりなく、本物の痣よりも本物らしくさえ見えたのだった。



「こりゃあ……」


その痣を見て、魔女は唸った。



「はいい……」


ばくばくばくばく。

耳に心臓の音がうるさい。

じりじりじりじり。

恐ろしい感覚にすり潰されそうだ。





魔女はまた唸って、そして重い口を開いた。


「参ったね」


「こりゃあ呪いだね、古代竜の呪い。あたしゃこんなに長く生きてきたけど、見たのは昔、お師匠の所に来た客一回だけだよ。あんた、若くてこれからだってのに、厄介なのに罹っちまったね。もう腹いっぱいに痣が広がってるじゃないか、可哀そうに」


「辛いことを言うようだけどね、あたしゃこんなのの治し方なんてこれっぽっちも知らないんだよ」


「それよりあたしが心配なのは、珍しい呪いを持ったあんたが取っ捕まって実験されちまう事さ。だからあんまり呪いのことは人に聞いて回らない方がいいよ。あたしゃ呪いには興味のない婆だからいいけどね、あんたを欲しがる魔女もいるだろうから、あんまり悪あがきせずに余生はなるべく穏やかに暮らすことだね」


「あの坊にはあんたが伝えるかい?それともあたしから言った方がいいかい?」




(ば、バレなかったあああ!)


コクコクコクと壊れたようにイルゼは頷き、この話は魔女の口からルイスに伝えてもらうことにした。










部屋の中に招き戻されて、魔女の簡潔な説明を聞きながらルイスは眉を寄せてじっと床を見ていた。

古代竜を殺すのも特に意味がなく、漢方で治った例も聞いたことがない、と魔女は言う。


「こうなっちまっては、あたしからはもう余生を楽しんでというしかないね」


「幸い痛みはない呪いなんだ。無駄に足掻かずに好きなことをやって過ごすのがいいよ」


「気を強く持てば、ちょっとは延命できるかもしれないしね」


「得体のしれない呪いは、一日に桶二杯の浄水を飲めば消えるかもしれないとは言われているけど、まあこれは気休めだからねぇ……」



希望のない言葉を並べた後で、魔女が無駄に気休めを言ったので、ルイスがぱっと顔を上げた。


浄水か、とルイスが呟く。

そこでイルゼはハッと息をのんだ。


(あ。これは、毎日絶対桶二杯の浄水を飲まされるやつだ………………

いや、浄水だけで済んでよかったと思おう。ヤモリとかイモリとか、熊のタンゾウとかクジラの心臓とか毎日食べろって言われなくてよかったと思おう、うん)






魔女の「力になれなくてすまないね」という声を背中に聞きながら、扉を開けて魔女の店を出て、古本屋の店内を通り抜けて扉を開けて、階段を登って路地裏を抜ける。

それからイルゼとルイスは、小道から大通りに帰ってきた。



大通りを下り、馬車が待つ街の入り口に向かって2人は歩く。




「医者も魔女も良く分かっていないんだ。ならそれが不治の病か解けない呪いかどうかだって、本当の所はみんな分かってないんだろ。なら大丈夫だ、お前のは治らない訳がない」


魔女の店を出た時から、イルゼはルイスに手を握られていた。

知らないうちに手を引かれていた。



「お前がこのまま元気なら、絶対に大丈夫だ」とルイスは小さく言う。


「気を強く持ってれば大丈夫だ。俺ができることなら何でもしてやる」


「じゃあもう放っておいてほしいな~」とは口が裂けても言えない雰囲気だった。

引き籠りでコミュ障の称号を賜っている空気の読めないイルゼでも分かる。



「……ありがとう」


何と返事をしようか逡巡して、とりあえずお礼を言った。


そうしたらルイスが更にぎゅっと手を握ってきたので、我に返ったイルゼは、なんかシマッタ!とビクッとした。


(余計なこと言ったかも……?)

何となく、ルイスがこれから更に頻繁にイルゼを訪ねてきそうな予感がしたのである。



そして、ルイスは案の定、「一日4桶は浄水飲め」とも言った。


「魔女さん、2桶って言ってたよ」


「文句があるのか。じゃあ一日2樽だ」


「た、樽?私、馬じゃないんだけど」


「お前が本当に馬だったら4樽は飲ませていたところだ」


「馬に生まれてなくてよかったよ……」




普段通りを装いながらも、会話の合間にふと考えてしまう。


(2か月後に平和に絵を描くためだから、心苦しかろうと嘘はつき通すつもりだけど……)


(でも最初は、誰にも迷惑かけずに嘘つく予定だったのになあ。どうしてこうなったんだろ。ボンボンは、なんで私の事好きなんて言ったんだろ)


(あ、もうすぐ私が死ぬって思ってるからか。だから哀れに思っちゃったのかな……)


(私のことなんてほっといてくれればいいのになあ)








……兎にも角にも。

とりあえず魔女と面会し、今日の予定は済ませた。

今日も何とか、乗り切った。


まだ太陽は空の高い位置にあるが、夜にはコーストサイドに帰っていたいので、街の入り口で2人を待っていた馬車に早々に乗り込み、帰路につくことにした。






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