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ドタキャンのはなし





ドンドンドンドン!



「まだ日が昇ったばっかりだよ!近所迷惑だよ!」


まだ暗い、鶏も寝ている早朝。

扉の音で叩き起こされたイルゼは、夢に気持ちよく揺蕩っていた体に鞭を打ち、布団をもたつかせて玄関扉に辿り着いた。

そして布団をかぶったまま玄関扉を開けた。



開けた玄関の前にいたのは勿論ルイスで、布団を巻いたままのイルゼを見て思いっきり顔をしかめている。


「近くに家なんてないだろ。早く起きろ、布団女!今日出掛けるって言ってあっただろうが」


「えっ……そうだっけ。どこに行くの?」


眠い目を擦っていたイルゼが、ハタと動きを止めた。





「魔女に会いに、フィレディングの街だろうが」


「えーっと……

………………あああ!忘れてた!」



イルゼはすっかり忘れていた。

一週間程前にルイスが訪ねてきた時、彼がフィレディングの街と魔女がどうたらこうたらと言っていたことを。


イルゼの病には『呪い』と名がついているのだ、医者が無理でも、もしかしたら魔女なら病について何か知っているかもしれない。

そう言ってイルゼを連れ出そうとしたルイスに、遠出はしたくない(且つ、病気が嘘だとバレたくない)とイルゼは頑に嫌がった。


しかし業を煮やしたルイスが「じゃあ縛ってでも連れて行く」と真剣に縄を取り出し始めたので、それが一番まずいと焦ったイルゼが延期を提案したのだ。

体に描いた痣はとっくの昔に消えてしまっているので、今縛って連れて行かれたら、それこそウソがばれてしまう。

延期して時間を稼ぎ、また体に痣を描いて魔女も騙すしかない。イルゼはそう思ったのだ。


しかし、そのことさえ忘れていた。

絵を描くのに没頭していたイルゼは、体を痣で覆うのもすっかり忘れていた。



「しょうもない奴だな。待っててやるから早く支度しろ」


「ご、ごめん、それ、明日か明後日でもいいかな……」


「………………は?お前、俺がどれだけ忙しい合間を縫って来てやってると思ってるんだ!ん?!」


ぎゅむうう。

と、捕まった。


ルイスの大きな手は、イルゼのふんわりした頬を左右から挟み込んで押さえつけている。イルゼの唇はタコのように尖り、返事をしようにも発音がしにくい。


「たびゅん、みぇっちゃ忙しい合間を縫ってきてくらさってます……ひょね?

れも、どうひても、ひょうは……」


「何言ってるか分からん」


「ごみん……」


「どうしても嫌か」


「ひょうだひぇは……」


「……今日だけは嫌なら、明日は行くな?」


「う、うむ……」


イルゼが頷けば、魂の供述を吟味している冥王のような鋭い瞳で検分された。

ルイスの中で情けをかけた判決が出たのか、イルゼの頬は解放された。

一日の猶予をイルゼにくれるということだろう。



「徹夜して損した。ソファ貸せ、今日は寝る」


「ご、ごめんよ……」


「明日は行くからな」


釘を刺されるようにルイスにキッと睨まれて、イルゼはウグッと小さくなった。



ズカズカ屋敷の中に入ったルイスは迷いなく小さな廊下を進んで行く。

どうやらルイスは、アトリエにある絵の具の飛んだ汚いソファに向かっているようだ。布団をかぶったままでルイスの後を追うイルゼは、その事に気がついた。

約束をすっぽかして既に申し訳ないのに、ボロボロのソファに寝かせるのは益々申し訳なくなる。


(この前ソファの上に置いた絵の具の上に座っちゃって、意味深な茶色が広がってるしなあ……)



「そうだ。寝るならソファじゃなくて、私のベッド使いなよ」


「……は?!お前の小汚いベッドなんて使えるか」


「な……!?」


眉間にしわを寄せて唸ってくるルイスを見て、イルゼは地味に傷ついた。

(あれ?良かれと思って提案したのに、もしかしてダニがいるとか思われてる?い、いくら私でもそこまでじゃないんだけど……)



「洗ってあるし、汚くないし、一週間くらい前に日向に干した!キレイ!!」


「いやそういう事でなく……」


「なんなら柔軟剤もちゃんと使った!!」


「そ、そうか」


「だから綺麗だから使ってもいいよ!」


「…………あのな、だから、お前のベッドなんて使ったら寝られないだろうが……」


「じゃあ、枕変えればいいってこと?」


「…………。」


予備のまくらを見繕おうとアトリエの隣にある私室に入って行こうとするイルゼを、ルイスの手が引き留めた。


ハアと溜息を吐き、怪訝な顔をしているイルゼを見て、もう一度ハアと溜息をついた。



「いいか……俺はな、お前のことが好きだって言ってるんだぞ、はいそうですかって簡単にお前のベッドで熟睡できる訳が無いだろうが。この能天気女」


「……………………

えっと、そ、そっか、なるほど……」


分かったような分からないような説明だと思ったが、動揺してしまって、結局なるほどそうですかと納得することしかできなかったイルゼなのだった。


(貴族のボンボンは変なところにこだわりがあるよね……)






アトリエに入り、そのまま身を放るようにソファに投げ出したルイスはすぐに動かなくなり、気づけば音息を立て始めていた。

直ぐに寝てしまったルイスを見て、「徹夜をしたのも、もしかしたら昨日だけではなかったのかもしれない」とイルゼは直感した。


(事情を知らないボンボンとしては、本気で病気を心配してくれてるだけなんだもんね……)



せめてもの償いに、イルゼは被っていた布団を寝息を立てているルイスに被せた。

そして静かにアトリエの扉を閉じる。

これから私室に戻って、ルイスには気づかれないように全身に痣を描くのだ。

朝早く叩き起こされて二度寝したいと思わないわけでもないが、今度は絶対に痣を描き忘れるわけにはいかない。




……



あっという間に夕方近くになり。

既に要領を得ていて、前回よりもサクサクと痣を完成させたイルゼがアトリエに戻っても、ルイスはソファの上でまだ寝ていた。

イルゼがドアを開けて入ってきても目を覚ますことなく、スースー規則正しく寝息を立てている。


起こす必要もないので、イルゼはそのままアトリエで絵の続きを描くことにした。









いつものように、イルゼは無心でキャンバスに向かっていた。

その時うっすらと目を開けたルイスが寝返りを打ったのにも、イルゼは勿論気づいていない。


ルイスは眩しそうに目を細めた。


イルゼの細い腕が忙しそうに動いている。

時折、イルゼがカタンとパレットを置く音や、油絵の具のチューブを絞る小さな穏やかな音が聞こえる。


雑然とした机の上に、窓から差し込む夕日が広がる。

ざらざらしたスケッチブックが照らされて赤く染まって見える。

新しく絞り出された絵の具がきらりと赤く光って見える。



イルゼの後ろ姿を見つめていたルイスはふと、イルゼの使っている布団が自分にかかっていることに気が付いた。

ふんわりしたそれに、困ったように溜息を吐く。

もう一度溜息をつきながら、気づかれないようにそれを小さく上に引き上げた。







それからルイスが再び目を覚ましたのはとっくに日も暮れて暗い時間だった。

そこでイルゼがその日一日何も食べていなかったことが発覚したので、また怒って料理をする羽目になったルイスなのであった。





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