トライアンドエラー
ジンが一度ラボから出ると、すぐ戻ってきた。その腕に抱かれていたのは、
「猫ちゃんだ! かわいい~」
目が黄色くてビー玉みたいにきれいな三毛猫だった。
「ジンに懐いてる近所の野良ちゃんだ」
「ノラちゃん、ノーラちゃん! にゃんにゃん、こっちおいでー」
しかしわたしとおじさまの呼びかけに対して、ノラちゃんは、フイっと無視すると、鬱陶しそうに棚の上に上ってしまった。
「ノラちゃん……」
ガーン、振られてしまった……。
「サクラちゃん、気を落とさないで。ノラは、ジンにしか懐いてないんだ」
「べつに、俺にも懐いてるわけじゃない。ただ餌をやってたらくっついてくるようになっただけで」
「はいはい、ツンデレはいいから。サクラちゃん、眼鏡を外して、ノラと目を合わせてみて?」
あ、ツンデレ呼ばわりされたジンの目が怒ってる。おじさま……空気読めないって言われないのかな? わたしは余計な心配をしながら、ジンからもらった眼鏡を外すと、ポケットにしまった。
シルバのおじさまの言う通り、ノラちゃんのいる棚を見ると、こちらを胡乱げに見ているノラちゃんの黄色い目を見つめる。
「ノラちゃんに棚から降りて、触らせてくれるよう、頭のなかでイメージして……」
「……」
言われた通り、イメージしているのだけど、ノラちゃんは微動だにしない。その状態で、数分が経過する。
全くうまくいかなくて、悲しくなってきた。
「で、できません……」
「あっれー? おかしいな……。余計な力が入ってるのかな? サクラちゃんリラーックスリラックス♪」
「は、はい」
シルバのおじさまがわたしの肩をたたく。でも、後ろに立たれると余計に力が入る……。壁にもたれて、こちらを眺めているジンに目で助けを求めると、ジンがおじさまに向かって言った。
「父さん、それ逆効果」
「あれ、そうなの?」
「すみません、わたし、昔から人に触られるの得意じゃなくて……」
家族は大丈夫なんだけどね。
「あーそっか、そっか。じゃあジンおいで」
おじさまは何かに納得した様子で、ジンを呼んだ。ジンが怪訝そうな顔でやってくる。
「なんだよ?」
「お前が代わりにサクラちゃんの緊張を和らげてあげるんだよ」
「は? 俺がやったって……」
「やってみなくちゃわかんないよ~。サクラちゃんも、ジンだったら触られても平気でしょ?」
おじさまに言われて、こくりと頷く。
「確かに、ジンなら後ろに立たれても怖くないし、むしろ落ちつく……かな」
考えたことをそのまま言うと、ジンに「……馬鹿」と言われ、無理やり体の向きを変えられた。見えないけど、後ろのほうからくつくつとおじさまの笑う声が聞こえる。
ジンに背後から両腕を持たれる。
「おまえは見つめるだけでいい。何も考えずに、猫だけ見るんだ」
ジンに言われた通り、ノラちゃんを再び見つめる。体に顔をうずめるようにしてこちらを窺っていたノラちゃんが顔を起こして、わたしを見つめる。そして流線のような動きで棚からふわりと飛び降りるとわたしの足もとで座り可愛らしい目でこちらを見上げてくる。
「……ジン!」
笑顔を浮かべて振り返ると、ジンも口の端を持ち上げながら頷いた。
「上出来、上出来。その調子だよ、サクラちゃん。猫で上手くいったら、次は人間だね。俺もそろそろ帰るから、サクラちゃんファイト~!」
シルバのおじさまは拍手とともに笑顔で言うと、ヒラヒラと手を振って帰ってしまう。
「もう? 人間相手に練習?」
わたしは驚いたが、ジンも、
「学園に通うなら、人間相手に使いこなせなきゃ意味がないだろ」
というのでそれもそうかと頷いた。
しかしそのあとは、まったく魅了に成功しないどころか、ドロシーのように相手が魔力酔いを起こして、襲われそうになりまたジンに助けられるという事態になってしまった。
「…………はあ」
ジンのため息が重苦しくのしかかり、なんとも惨めな気分になる。
「…………どうしてだろ」
「力が強すぎる。慣れてない。センスがない。どれがいい?」
「聞かないでよ~どのみち練習するしかないじゃない……」
「男相手は駄目だね。俺がいないところで練習するのも駄目だ」
逆に襲われそうになったときにわたしじゃ対処できないもんね……。
「ねえ、さっきみたいにジンに後ろから支えてもらうのって駄目かな?」
ジンは、わたしの案に乗り気じゃない様子だったが、頼み込んでみると、渋々といった調子で了承してくれた。
「それで誰を魅了にかけるんだ?」
「うーん……次に角を曲がってきた人が女性だったら、その人にする」
「はあ、わかった……」
パン屋の看板の死角に隠れると、わたしはジンを手招きした。ジンは、ため息を隠さずわたしの背後に回ると、壁にもたれる。
しばらくそのまま待機していると、買い物かごを持った女性が歩いてきた。目配せすると、静かに頷いたジンがわたしの腰を抱き寄せる。
驚いて振り返ると、ジンが早くしろと言いたげに目を眇めた。
顔を戻せば、買い物かごを持った女性が、最近の若者は……とでも言うかの如く、こちらをチラ見して、目が合うなり、足を止めた。女性は親しげな雰囲気でわたしを眺めこちらにやってくる。
「こんにちは」
「……こんにちは。あの、そこのパン屋さんで、オレンジチョコレートのパンを買ってきてくれますか?」
わたしがお金を渡すと、女性は快く引き受けてパン屋へ入り、パンを持って店を出て来た。足取りはしっかりとしていて、顔つきも普通のまま、わたしに買ったパンを差し出す。
「どうぞ」
「……これは貴女が受け取ってこのまま帰ってください。そして今起きたことは忘れて」
「わかったわ」
女性はパンを買い物かごに仕舞うと、その場を去った。
完全に女性が見えなくなったところで、ジンに向き直る。
「大成功! ……だよね?」
「まあそうだね」
「やったあ!!」
「次は俺なしでやってみて」
「うん!」
というわけで、次はジン抜きでトライし、普通に失敗した。
「俺の補助がないと成功しない……? いや、意味がわからない……」
「……」
得られた実験結果にジンが首をひねって、ブツブツと考え込んでいるが、わたしは何も言えずにいる。
……昨日ツバキおねえちゃんと話して気がついた。わたしはジンが好きなのだ。
わたしは人を意のままに操れてしまえる自分の力が怖い。
だから、ジンにそばにいてもらって初めて安心してその力が使えるのだと思う。
パートナー契約するならジンがいい。
だけどジンの好きな人は、多分ツバキおねえちゃんだからこの想いは叶わない。
ジンとツバキおねえちゃんがもし結婚したら、家にはいられないなあ……。幸せそうなふたりの姿を見て、笑顔で暮らす精神力はわたしにはないし、そうしたら、どこか遠くの街で猫と暮らすんだ。できれば海の見えるところがいい。
想像したら、無性に感傷的になってしまって目に涙が浮かぶ。
「……サクラ?」
ジンがわたしの顔を覗き込んでいた。静かに泣き出したわたしを見て、心配そうにするジンを見たらもっと好きになってしまう。わたしは顔を手で覆って、泣き顔を隠した。
一瞬とてもずるい考えが浮かぶ。
ジンを魅了にかけて、わたしのことを好きにさせてしまえばいい。
なんてひどい、罪人の考えだろう。
肩にかけられたジンの手を見ずに振り払う。
「触らないで……!」
ジンの動きが止まる。
だけど気づかず、涙とともにあふれた想いが言葉になる。
「好きなの……ジンが好きなの……もっと好きになっちゃうから……触らないで」
「……サクラは、俺のこと嫌いなんだと思ってた」
つぶやいたジンの声も掠れている。
「なんで……? 好きだよ……」
「……俺といると、楽しくないって」
「わたしはジンが好きなのに、ジンはそうじゃないから言っただけ……」
「サクラ、俺のこと見てよ」
「いや……わたし、ジンのこと魅了したくないもん……」
「俺、ずっと昔からサクラが好きだよ。サクラが無意識の力を使うまえから、ずっと」
体を抱き込まれ、抱きしめられる。
「サクラが眼鏡をかけてもかけてなくても、サクラのこと見ると胸が締めつけられる。誰にもサクラを渡したくないんだ。サクラに近づく男も、サクラを見る男も許せないぐらいに」
ジンに促されて、涙で濡れた顔をそうっと持ち上げる。
ジンの目が潤んでいた。見たことないほど、優しい目で微笑んでいた。
「……ジン……大好き」
「俺は愛してる」
「うん……」
そっとジンの顔が近づく。わたしはゆっくりと目を閉じた。