魅了の力
儀式用の薄暗い部屋に通される。
滑らかな清い布で覆われた中央の台の上には髑髏の形をした水晶が置いてある。
「さあ、前に進んで、水晶に手を置いてください」
案内の人の神秘的な囁くような声に促されるまま、足を進めて、右手をそっと水晶に乗せる。
「わあっ!?」
触れるか触れないかの時点で、ピンク色のまばゆい強い光が全方向に放出された。
思わず目をつぶったが、まぶたの裏は煌々と明るいままだ。
「これは……」
「案内係さん! もう手離していいですか?」
「は……はい……結構です」
手を離したはずなのに水晶が明るいままだが、何分はじめてのことのため、よく考えず後ろに下がってしまったが、案内係さんは役目を忘れたように水晶を見つめている。
「……魅了5……」
「え?」
我に返った様子で案内係さんが振り返る。線が細く、ジンとはまた違う美麗な長い髪の案内係さんは、白昼夢でも見たような顔で、興奮気味な様子で語りだした。
「私も長年勤めて来ましたが、ここまでの強い光彩を見たのは初めてです。なんと美しい、まさに魅了の光……魅了5ですね。あなたのお名前を伺っても……?」
「あ、はい……サクラです」
「驚かないんですね……。ご存知だったんですか?ご自分の能力を」
「あいえ、びっくりしてます。さっき幼馴染に教えてもらったばかりなんですけど」
「幼馴染……ああ、さきほどの彼ですか。彼はあなたのパートナーなのですか?」
「えっ違いますよー」
上辺で会話をしつつ、心臓はまだバクバクしている。ジンの言う通り、わたしが魅了持ちで、しかも最大レベルの5だっていうんだから。
「そうですか……。申し遅れました。私の名前はバベルと申します。ここの司祭です。サクラさんは、このあとお時間ありますか?」
「えっと……ないです」
ジンに早く色々聞きたいし。わたしが断ると、案内係もとい司祭のバベルさんは残念そうな顔をした。
「そうですか……ではいつでもおいでください。私個人としてもあなたに興味がありますから」
「あ、はい」
ぺこんとお辞儀をして足早に部屋を出る。
ジンを待っている間にお祝いの花束を抱えたユキとエミルが駆け寄ってきた。ふたりの後ろには最近付き合い始めたという彼氏さんたちがいる。
「サクラー! ジンくんと会えた?」
「うん」
「何か言われた?」
「えっ? 能力のこと?」
「能力? わたし明るくて元気でよいって言われただけだったー」
「私は穏やかでいいですねだって。そうじゃなくて、ジンくんからほかに何も言われなかったの?」
能力の話のほかに何かあるのか。わたしは首を傾げる。
「ほかって? あ、眼鏡もらったよ」
ジンからもらった眼鏡のつるを少し持ち上げて見せる。
しかしふたりの表情は、何というか芳しくない。
「似合わない?」
眼鏡をもとに戻して、また首を傾げてみる。
「似合ってるよ。でもそうじゃなくてさあ」
「ジンくんって……ヘタレ?」
普段おっとりとしているエミルが可愛らしい顔に手を当てながらつぶやいたとき、ジンが儀式用の部屋から出てきた。
わたしたち三人の視線を受けたジンが、少したじろいだあとやや顔をしかめながら歩いてくる。
「もう帰れるのか?」
「あ、うん」
ユキとエミルは彼氏がそれぞれ待っているし、とふたりを見ると、ユキとエミルがさっきまでとは打って変わった様子でニコニコしていた。
「? ど、どうしたの……ユキ、エミル」
「ううんううん、あっわたしたちのことは気にしないで!」
「うふふ、御馳走さま」
ジンもふたりの様子に怪訝な表情を隠さないまま、わたしに向かって、
「……何か話したのか?」
「ううん、べつに……」
本当にわからないので首を横に振るわたしと、怪訝な顔のジンに、ユキとエミルがつんつんとジンのスーツを指し示す。つられて視線を移動させたわたしは、ジンのスーツにくっきりとついたままのおしろいと口紅の跡を見た。
「ふたりとも奥手なフリして、やっぱりラブラブなんじゃーん」
「ふふふ、なかなか戻ってこないと思ってたら、うふふふふ……」
邪推されている! わたしは真っ赤になって、顔と手を振りながら、否定した。
「違うよ! こ、これはジンがいきなり……」
「いきなりかー。情・熱・的☆ なんだ、ジンくんって」
「恋の季節ねー」
「そうじゃなくて、そういうのじゃなくて、ジンに急に引き寄せられて……っ」
「もういい。話さなくて。じゃあな」
ジンに口をふさがられ、そのまま連れて行かれる。ユキとエミルは最後まで誤解したまま、「照れてる」「照れてるわ……」と生暖かい含み笑いを浮かべていた。
大聖堂を出ると、公園にひしめき合うように連なる屋台から美味しそうな匂いが漂ってきた。
ついそちらに気が向かうと、ジンが立ち止まって魅力的な提案をする。
「何か食べてく?」
わたしは力なく首を横にふった。
「お母さんが御馳走つくってくれてるから……」
「まあ、そうだろうね」
くすりと笑われて、口を曲げる。空腹の誘惑を断ち切ると、話をするためにジンが職人街に個人的に借りているラボに向かった。
「お邪魔しまーす……」
ここに来るのも結構久しぶりだなーと思ったら、何となくかしこまってしまう。開発途中のものとかもあるから、どこを触っていいかもわからず所在なく立ち止まっていると、ジンにミニキッチンのほうを指さされる。
「そっち行って座ってて」
「うん……」
言われた通りに椅子に腰かけていると、ジンがマグカップをふたつ持って来てまたいなくなる。今度はデスクから椅子を引いて来て、そこに座った。いつのまにかジャケットは脱いで、ネクタイも外している。
首もとを緩めている様子がなんだか真正面から見られなくて、わたしはコーヒーをひたすら味わうふりをしていたが、実のところちらりと見えてしまったジンの意外と逞しい体の線のことを考えていた。
そういえば、さっきはあの体に抱きしめられたのかと思い立つといてもいられなくて、カップを持つ手がプルプルする。
「……サクラ、成人の儀で…………サクラ?」
あー、ダメ、冷静になろうっ!
「あのっ、さっき何で抱きしめたの……? って聞いていい?」
ジンなら、これで勘違いするなよ的なセリフで冷やしてくれるはず。
そう期待したわたしに返ってきた答えは、
「他のやつをサクラの無意識の魅了にかけたくなかったから」
「え? 無意識の魅了……? とは……」
意外な答えに、戸惑ってしまう。
「そもそも俺がサクラの魅了を知ったのは、俺たちが6歳のときなんだ。サクラが誘拐されそうになって助けられた日、父さんに聞いて」
「おじさまに……」
ジンのお父さんは生物学者の権威で、ちょっと変わっているものの、とても博識な人物である。
6歳のジンは、魅了持ちは幼いと自分の能力がコントロールできなくて、変質者に狙われやすくなる傾向があるということをおじさまに聞き、何とかする手立てを講じた結果、魅了を封じ込める眼鏡を開発したらしい。
「父さんの書物で過去の魅了持ちのことを調べていくうちに、瞳が重要だってことがわかったんだ。相手を操るとき、魅了持ちは目を使う。俺はそれを知って目から溢れる魔力を封じ込めることによって、魅了の力を抑えることが出来るんじゃないかと考えた。そしてそれは、初めのうちは上手くいっていた」
ジンの目は真剣で、キラキラと輝いていて、わたしは吸い込まれそうな感覚になりながら、ジンの話に聞き入ってしまう。
「能力にはレベルがあるんだ。サクラも成人の儀で言われたと思うけど」
「うん、魅了5って」
「魅了5は最高位だよ。過去の文献をなぞってもほとんど類を見ない希少なレベルだね。……つまり成長とともにレベルは上がっていくんだな……最近になって眼鏡の力が効かなかったのは、サクラが成人に近づいたために一段階能力が上がったからで…………」
途中からジンが自分の世界に行ってしまったけど、わたしはわたしで今聞いた話を整理するのが忙しい。
自分が魅了の能力持ちということはピンと来ないものの、魅了の力があるということはわたしには魔力があるということだ。そして魔力を持っているということは魔法学園で学べるということ! つまり将来は魔術師! 安定! 高給取り!
しかも、魔法学園には色々な国の王族たちも通うこともあると聞く。絵本や劇でしか見たことない本物の王子様やお姫様に会えたりするのではないだろうか。純粋に夢が広がる。
「サクラ……いま何考えてる?」
「魔法学園で王子様と会えるかな~って」
「…………ねえ、俺、言わなかった? 過去の文献を読み漁ったって」
「聞いたよ~」
ジンが何故かニッコリと笑う。そして何故か、背すじがぞくっとする。
「無自覚に王族を魅了した過去の魅了持ちは皆最後は国家転覆を企てたとして、罪人として拷問の果てに亡くなってるんだよね」
ジンとは対照的にわたしの血は急転直下。真っ青になる。
「え? え? ええええっ?」
「魅了の能力で貴族と婚約した女が魅了持ちだってバレて、怒った貴族に拷問死させられた話もあるけど、しってる?」
「ひえええ!??」
「ひえええじゃないよ。爪はがされてムチで打たれてお腹の上にネズミを入れた鉄鍋を」
「ヤダヤダヤダ聞きたくない!!!!!」
王子様イコールおとぎ話のわたしと違って、ジンの話す話は実在の残酷な話で、しかもそれがわたしの現実なんだと突きつけてくる。
拷問も獄門死も罪人扱いも絶対嫌……。
「ジン……わたし死にたくない」
うるうると縋るようにジンを見つめると、ジンが、真面目な顔に戻り、
「わかってる。魅了封じの眼鏡は、預かってる間に強化したし当面は大丈夫なはずだ。ただ、眼鏡が壊れたりなくなった場合のことを考えると、サクラが自分で能力をコントロールできるようになったほうがいい」
「はい」
神妙に頷くわたし。
よろしくお願いします! ジン先生!
コントロールの練習は明日から、という約束をしてジンが家まで送ってくれた。もっと色々話したいのに、あっという間に家についてしまう。
「ねえ、うち寄ってかない? いっしょに御馳走食べようよ」
「いや、うちも何か用意してあると思うから」
「そっか、そうだよね」
会話が途切れる。
「じゃあ……」
「うん……」
あっさり帰ろうとするジンの背中に向かって声をかける。
「あのね、ジン。ありがとう、色々。それから、ごめん」
「何が?」
「色々……」
「ああ、そう。全然わかんないけど」
にべもない言い草に、数日前だったらまた怒ってたと思うけど、今日は怒れないや。
「6歳の頃に助けてくれたことや、今までも守っててくれたこと……あと、このまえ……眼鏡受け取らなくてごめん」
「ああ、俺といると感じ悪くて、楽しくないからな」
根に持ってらっしゃる……。
振り返ったジンが、淡々と、わたしがこの間ジンに向かって言ったことと同じことを言う。
「……あの、怒ってる?」
「べつに、怒ってない」
情けない顔になるわたしにジンが近づいてくる。
「誕生日おめでとう、サクラ」
「あ……」
色々あってすっかり忘れてたけど、今日はわたしの15歳の誕生日である。
「似合ってるよ、その服も、口紅も」
金色の夕焼け空と伸びた影を背景に、ジンが笑った。
――サクラちゃん、大好きだよ。
その笑顔がふいに子どもの頃のジンと重なって、甘く懐かしい気持ちでいっぱいになる。
「……わたしもジンが好き」
「……え?」
「え?」
ジンのぽかんとした様子に、自分が何を言ったかを思い出す。顔から火が出る思いで、わたしは、猛烈に首を振った。
「……ごめん! 忘れて!!」
一目散に駆け出し、目の前の玄関に飛び込む。
台所からハーブをまぶしたお肉がローストされる匂いと、お父さんとお母さんとおねえちゃんの声がする。穏やかな空間がわたしを包むのに、扉の向こうにはまだジンがいるような気がしてわたしはしばらくそこから動けなかった。