9.
落ち込む。
昨日までのから元気なんか、どこかへ行ってしまった。
もともと、人間関係は得意ではない。
人との距離の測り方がわからないとまでは言わない。
ただ、なんとなく、苦手なんだ。
人という生き物は、噂話が好きだ。
悪意のない嘘も、平気でつく。
嫌味な事を言いあったり、悪口で盛り上がったり。
私は、そういうことが嫌いだ。
マイナスの言葉には、負の感情が生まれ、空気が悪くなる。
それに増長され、小さな悪意は集まる。
負の連鎖が始まり、初めは小さかったものも、だんだん大きくなってどうにもならなくなる。
そして、そういうものに、悪いものは寄ってくるから。
前向きな考えに戻るのには、時間がかかる。
明るい言葉が、白々しく聞こえ始めると、もう元には戻せない。
そうやって壊れていくのを、何度も目にした。体験した。
私は今まさに、その真っ最中。
落ち込む。
楽しいことも、ぜんぜん楽しくない。
悪いものばかりが、目に入る。
耳元で、ぼそぼそ呟く声が聞こえる。
引っ張られる。
引っ張られて、歩く。
歩く。歩く。歩く。
どこへ?
どこでもいいや。
歩く、歩く、歩く。
ケータイの着信音が鳴る。
あれ?
今、何しようとしてたんだっけ?
顔を上げると、そこは、
「おい!!危ないだろ!!」
ぎゅっとつかまれた肩が痛くて、思わず、振り返った。
死神がこっちに手を伸ばしていたので、迷わず、その手をつかんだ。
つかんだその手は温かくて。
バランスを崩して、そのまま地面へと倒れこんだ。
「周りをよく見て歩け!!死にたいのか!」
この状況はいったい?
よくわからない。
なんで怒ってるの?
ここ、どこ?
いつのまにか、体が軽くなっている。
怖い顔をした死神が説教を始めた。
うん。わかったから、ちゃんと説明して。
よくわからないよ。
死神に連れられるがまま、近くのベンチに座る。
さっき転んだせいか、手は砂まみれだし、膝からは血が出ている。
年甲斐もなく、ひざを盛大にすりむいてしまったようだ。
恥ずかしい。
近くに水道がないか探したが、公園すら見当たらない。
仕方ないから、このまま帰ろうと思っていたら、スーツ姿の男性が私の前に立つ。
顔をあげると、それは先生だった。
「あれ?先生?」
呆れられて、怒られて。
そこからは、ほとんど説教のようだった。
さっき思い切り引っ張ったのは、先生で。
地面に向かって盛大に転んだ私は、足をすりむいてしまった。
責任を感じ、近くのコンビニまで応急手当の道具を調達に行ったらしい。
私はなんと、道路に向かって、しかも、大きなトラックが来たときにふらふらと飛び出していこうとしていたらしい。
そんなことになっているなんて思わなかった。
相手にも迷惑だし、周りにも迷惑だし、なにより、ご家族に心配をかけるな。と、説教を受けた。
さっきの死神と同じことを言っていて、ちょっとくすっときてしまった。
その様子を見咎められて、頭を叩かれた。
「少しは真面目に聞け!」
聞いてなかった。
ごめんなさい。ありがとうございます、と謝ったが、心がこもっていないと怒られた。
今日は怒られてばかりだ。
水で傷口を洗い、ガーゼを貼ってもらうと、そのまま、先生の事務所に引っ張られていった。
「顔が真っ青だ。大丈夫か」
「大丈夫です」
寒い。
顔を覆う手はひやりと冷たくて、温めるつもりだったのに、逆効果だった。
指先が、氷のように冷たい。
温かいお茶を出してもらう。
湯呑を両手で包んで、暖をとった。
「すみません。ありがとうございます」
どうしてこうなったんだっけ?
自分でもよくわからないけれど、こういうことが起こる時は悪いものに影響された時だ。
死神がそっと体をさすってくれたけれど、全然暖かくなんてならなかった。
大丈夫。大丈夫。
そう、自分に言い聞かせる。
大丈夫。
だいじょうぶ。
魔法の言葉を、心の中で繰り返す。
呪文のように、何度も、何度も。
そうしているうちに、指先の震えも消えて、だいぶ温まったように感じる。
ふと、顔を上げると、先生はいなくなっていた。
隣には、心配そうにしている死神が一人。
私がさっきまで握っていた湯呑の近くには、布袋様が座っていた。
「難儀やな」
布袋様は、すっかり冷めてしまった湯呑の中にどぼんと腕を突っ込むと、ぐるぐるとかき混ぜ始める。
大きなうずが生まれ、それがゆったりとした流れになると、満足したのか湯呑から手を取った。
「ほら、飲んだらええ」
そういうと、さっき腕を突っ込んでかき回したお茶を勧めてきた。
それ、手を突っ込んで、散々かき混ぜたやつですよね。
戸惑っていると、私の近くに湯呑をえっちらおっちら運んできた。
「はよせぇ」
「いや、あの」
「ええから、はよ」
「はい」
言われるがまま、湯呑に口をつけた。
「一気にぐいっと、全部や」
うなずき、そのまま一気に飲み干す。
変な味はしなかったと思う。
ただの冷めたお茶だった。
空の湯呑を見ると、満足したのか、ぐっと親指を立てて、いい笑顔になる。
思わず真似をして、親指を立てて相手に返した。
「えぇ子や」
「あの、これは、どういう」
「厄祓いや。怖い兄ちゃんが役立たず屋から、わしが代わりに祓ってやったんや」
隣を見ると、死神がぶすっとした顔で座っている。
なにかフォローを入れなくてはと思い、思わず、頭をなでた。
かわいそうに。
「甘い!あれだけ危ない目に遭うたっていうのに、ねぇちゃんは甘すぎる!」
確かに。
何かあれば、真っ先に出てきて退治してくれるのに。
今回は、結構、ぎりぎりだった。
頭から手を離して、死神に聞いてみた。
どうやら、言いがかりをつけてきた人の後ろの人に、話をつけてきたらしい。
これ以上、私に何かするようならば、こっちにも考えがある。
みたいなことを言ってきたそうだ。
ちょうど守護霊もいなくて、私を守ってくれるものは誰もいなかった。
私は、見えるけれど祓う力はない。
悪いものに引っ張られて道路に飛びだそうとした寸前で、先生が助けてくれた。たまたま通りかかってよかった。と言っていた。
なんという幸運。
なんだか元気になった私は、布袋様に温かいお茶を淹れた。
恵比寿様の分も一緒に。
しかし、恵比寿様は見向きもしないようだった。
布袋様から供え物のお菓子を分けてもらったりして、しばらくはみんなで和やかに過ごした。
そういえば、こんなに穏やかに過ごしたのは久しぶりで。
何か忘れているような気が。
「あ!今日、バイトの日だった!」
「お茶でも飲みにきたつもりだったのか?」
声のした方へ振り向くと、先生が、呆れた様子で壁際に立っていた。
「すみません!今すぐ仕事します」
「調子は戻ったようだな」
「はい。おかげさまで。ありがとうございました」
その場で立ち上がり、思い切り頭を下げた。
「今日は休んでいい」
「え?」
「まぁ、とりあえず、座れ」
座りなおすと、先生は私の正面の椅子へと腰を下ろす。
「それで、なにがあったんだ」
私は意味が分からず、首を傾げる。
「自殺するほど思い詰めてることがあるんじゃないのか?」
ようやく合点がいき、私は背筋を伸ばす。
そういうことか。
普通なら適当にごまかしてしまうのだけれど、先生になら、本当のことを話しても大丈夫だと思った。
先生は、私が普通とはちょっと違う体質だということを知っている数少ない人のうちのひとりだから。
だから、全部話した。
隠すことなく、ありのままをそのまますべて。
「…と、こんなことがありまして」
なるべく軽い口調で、まぁ、多少、脚色はしたが、だいたい本当のことを。
そうしてしまうと、不思議なことにすっかり体は軽くなっていた。
「そのクラスメイトに正直に話してしまえばいいだろう。後ろめたいことでもあるのか?」
「聞かれたら、ちゃんと答えるつもりです。でも、聞かれないんです。自分から向かっていくのも、なんだか違う感じがするんですよね」
「それで、君は俺にどうしてほしいんだ」
「ただの世間話です。解決してほしいとかじゃなくて、ただ、話を聞いてもらいたかった。それだけです」
「それなら、俺の所に来る客と変わらないな」
先生の表情は、やっと明るくなった。
「この間、俺に助言をくれただろう。お礼に、俺から一つ、君に助言をしてやろう」
ほら、と先生は手を出す。
どうやら、手相を見てくれるらしい。
「当たるんですか?」
「任せておけ。俺を誰だと思っている」
そうでした。
先生は、こう見えて、売れっ子占い師だった。
「右?左?」
「両方だ」
両方と言われ、両手を差し出す。
「手相は、統計学が基になっている。だから、俺のような者でも、まぁまぁ当てることができる」
「なるほど」
小さくうなずくと、気を良くしたようだった。
「人の性格というものは、色んなところに表れる。体の動き、話し方、しぐさ、顔色。見るべき場所はたくさんある」
いちいち説明が長い。
講習会に参加したつもりはないんだけど。
「それで、どうなんですか?」
「まぁ、聞け。そうやって、結論をすぐに聞きたがる人間は、自己主張の強い人間が多い」
隣で死神が笑っている。
せっかく慰めてやったというのに。
よし、後でいじめてやる。
「あくまでも一般論だ。まともに受けるな」
先生の講義は続く。
「占いに興味がない人間でも、生命線くらい、聞いたことがあるだろう」
先生は、指で手のひらをなぞる。
そこが、生命線らしい。
他にも、感情線やら運命線やら、いろいろ説明してもらったが、覚える気がなかったので、特に興味もわかなかった。
「先生。これ、いつもやってるんですか?」
「文句があるなら助言してやらんぞ」
「いえ、そうではなくて。今までセクハラで訴えられたことはなかったのかな、と」
私の言いたいことが伝わったのか、盛大にため息を吐いた。
「普段はやらん。上得意様相手に、たまに使う手だ。財布の紐が緩くなる」
「あ、そうですか」
金の亡者め。
「せっかく丁寧に教えてやっているのに。止めるか?」
「すみませんでした。続けてください」
改めて、講習は続く。
「手の中心に十字がある。不思議なことを体験する人間に多い手相だ」
あたっている。
「手首のすぐ上の山の部分の肉付きが良いのは、運が良い証だと言われている」
そんなに運がいいと感じたことはないな。
「うん、全体的にいい手相だな」
当たり障りのないような事を言い、先生は、それきり黙ってしまった。
「先生。助言は?」
しばらく私の手を見て黙っていた先生は、顔をあげて、私の目を見ながら言う。
「下手な嘘ほど危いものはない。次に弁解の機会を得ることがあるのならば、その時、きちんと説明すればいいだろう」
もったいぶったわりには、あまりにも普通の助言で、こっちが拍子抜けしてしまった。
「除霊のバイトしてるなんて、ものすごくいいづらいじゃないですか。頭おかしいと思われる」
「ありのまま言うから問題なんだろ。適当にオブラートに包んでおけばいい」
「まぁ、それはそうなんですけど」
これが先生の占い方なんだろうな。
初めて占ってもらったけれど、なんだか人生相談みたいだ。
ついでに、いい機会だから、今まで思っていたことを直接、聞いてみることにした。
「あの、先生に聞きたいことがありまして」
「なんだ?」
「先生は、どうして私の言うことを信じてくれるんですか?」
「どうしてそう思う?」
「だって、何十万もするお皿を私の一言でぽんと買ってしまったり、七福神探しだって。もしかしたら、私が嘘をついているかもしれない、とか考えないんですか?」
「君が俺をだまして得なことなんて一つもないだろう」
「それは、そうなんですけど」
すると先生は、人差し指を立てる。
「まず第一に、俺が信じたいんだ。そもそも、俺は、不思議なことやオカルトが好きという前提がある。だから、こんな仕事をしている。それにな」
先生は、私の目を見て、とてもいい顔で言う。
「俺自身が、信じると決めた。そして、いつか自分でも体験してみたい」
その顔は、無邪気な少年のような、とてつもなく爽やかな笑顔だった。
「私、先生のこと、初めてかっこいいと思いました!」
今まで、守銭奴とかホストみたいなエセ占い師とか思ってて、ごめんなさい。
本当は、不思議なことが大好きで、純粋にオカルトマニアの方だったんですね。
ようやく疑問が解けました。
なんだか、胸のつかえすらとれたような気がします。
なんて思っていたら、先生はどこから取り出したのか、真面目に鏡を見始めた。
「見た目はいい方だと思うぞ」
「いえ。見た目なら、私の神様のほうが上です」
それだけは胸を張って言える。
死神も守護霊も、とても美丈夫だ。
アイドルなんか目じゃないくらい、ものすごく顔が良い。
すると先生は、そうか。と一言つぶやいた。
「君を雇った理由が、分かった気がした」
「オカルト要員ですよね」
「あぁ。それもあるが、君の物の見方は評価に値するよ」
「と言いますと?」
「人を見た目で判断しないというところだ」
「それはそうですよ。神様とは、小さい時からずっと一緒にいて、ずっと見てますからね。先生も顔は整っている方だと思いますけど、私の神様は、もっとずっと素敵です」
久しぶりにベタ褒めしたら、隣で死神が悶えていた。
いつもは当たり前だという感じですましているのに、面と向かって言われると、すごく照れるらしい。
近くでは、布袋様と恵比寿様が、にやにやと生温かいまなざしで、こっちを見ていた。