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スナフキンはもういない  作者: しま
2/3



湿度の高い不快な日だった。

翼はいつものようにクラスを抜け出し、昇降口へ向かっていた。

ふと視界の端に動くものがあって、つられるように目を向けた。

「あれ……順?」

窓越しに見た中庭の対岸の通路に順の姿があった。

声をかけようと窓を開けたが、すんでのところで踏みとどまった。

こっちに向かっているのかと思ったが、いつもと違ったのだ。

いつも翼が立っている順の左側には、翼ではない女子がいた。

ざわざわと強い風が吹く。

楽しげな表情の二人を見ながら、翼は自分の腕を強く握った。

言いようのないもやもやした感情をため息に乗せて吐き出しても、消えることはなかった。


「遅かったね」

「お前が早いだけで俺は時間通りだ」

「なんだ、屁理屈かい」

「……悪い」

ずきん、と翼の胸の奥が痛んだ。張り詰めていく雰囲気に、またざわざわと風が吹く。

俯いて順の顔を見れない翼に違和感を覚えながら、順は行こうか、と呟いて靴箱に手をかけた。

「順」

翼は何かいいかけた口をつぐんで、やっぱりいいや、と背を向けた。つまらないことで怒るのはよそうと、面倒な感情を靴箱に押し込んだ。


二人でどこか遠くに行くというのは初めてだった。

「それにしても五分前に来るなんて、君にしては気がきくじゃないか」

「お前だってもういた」

「当たり前さ。私が誘ったんだ」

順は時間にだらしない訳でもないし、厳格な訳でもない。しかし、翼は約束の時間よりも大方、だいぶ早く来る。先日の十五分遅れは特例中の特例だった。

「もう私の前で吸うなとは言わない。言わないから副流煙を私の方に流すのはやめてくれないかな」

「善処する」

炎天下の晴天に昇る煙を煙たがりながら、翼は親の仇のように煙草を嫌っていた。

文化祭二日前、例の如く二人は準備を抜け出していた。

午前の授業が終わるやいなや午後から始まる文化祭準備にかまけて制服のまま学校を抜け出し、いつもの路地で落ち合う。電車に乗り、行き当たりばったりのまま電車に揺られた。行き先を決める権利は自ずと翼が握っていて、駅から出ると間も無く平日で人も少ない港のショッピングモールにたどり着いた。

決して安くはない電車の運賃に少しだけ驚きながら、順は額に浮いた汗を拭った。

「面白そうだと思って来てみたけど、特に何もないね。こんな県境くんだりまで来て散歩なんて、私たちらしいといえばそうなのかもしれない」

「散歩しに六百円近くも払うとは思わなかったけど」

「それは言わない約束さ」

対岸に見える本州を眺めながら潮風に目を細める。

行き交う船と渡り鳥の声き聞くと、順はやっと自分が港にいるのだと実感した。

翼はいつの間にか買っていたパピコを割り、順に半分寄越す。

無心で食べていると、翼は立ち上がって口を開いた。

「どうせここまで来たんだ。あそこに行ってみないかい?」

翼は本州を指さした。本州というよりは、特定の建物を指していた。

「今から?」

「うん。だめかな」

「俺は別に」

「じゃあ決まりだ。行こう」

翼がパピコを咥えたまま立ち上がる。ワンテンポ遅れてついてくる順を急かしながら、翼は楽しそうに笑っていた。


海の底を通る人道トンネルを越え、エレベーターで地上に出る。

看板も見ないまま感覚のまま歩くと、港の対岸に出た。魚介類を扱う市場からは一際強い潮の香りと生臭さが漂っていて、翼は少しげんなりした顔で順を盾にするように歩いた。

「魚嫌いなのか?」

「火を通せば大丈夫だけどね。生は人の食べるものじゃない」

「先祖に怒られるぞ」

「今生きているのは私だよ。未来は私たちの手の中だ」

目についたのは大きな建物で、そこが水族館だということは何十年も前から知っていた。

チケット売り場に並ぶ人も多くはなく、今日は平日なのだと改めて思った。

「現在カップル割引キャンペーン中ですが、どうしますか?」

ガラス越しに覇気のない売り子が言った。

順が翼を見ると、同じように順を見ていた。

翼は何も言わないまま売り子の方に向き直り、

「じゃあ、それで」

と言った。

自動ドアをくぐり、翼は順にチケットを、順は翼にチケット代を渡した。

「お前さ」

「うん?」

「プライド無さ過ぎじゃないか」

「使えるものは使わないと、ね」

翼は代金を受け取ると、順の顔を見ないまま歩き始めた。

独りでに旋律を奏でる透明のピアノを尻目にエスカレーターに乗る。

薄暗い空間を上っていく光と、遠くに聴こえる人々の楽しげな声に、翼も心なしかわくわくしたような表情を浮かべていた。

「私、ここに来るの初めてだったりするんだよ」

「意外だ」

「順は来たことあるかい?」

「あるさ。片手で数えられるくらいには」

「それなら案内できるね。頼むよ」

「案内って言ったって、看板に沿って進むだけだ」

「はあ、つまらない男だね」

「今に始まったことじゃない」

順は少しむっとした様子で呟いた。

「もう、私が悪かったから怒らないでよ」

「怒ってない。呆れただけだ」

慌てる翼を見て、順はほんの少しだけ機嫌を直した。


館内はどこも薄暗く人の気配はあれど、どこかしんとしていた。

閉館までまだ時間はあるものの、夕暮れから水族館に来ようという物好きもそうはいないらしく、館内は少しずつ閑散としていった。

客足もまばらなイルカのショーを見てはしゃぐ翼を、子どものようだと順は思った。夕暮れの海を背景に跳ぶイルカも、どこか楽しげだった。

ショーが終わり、翼はまだ見て回りたいと順の手を引いた。

クリオネの水槽の前で水槽を覗き込む。小さなクリオネが宙を舞うようにひらひらと泳ぐ。

「……かわいい」

「……そうか?」

むっとした翼に手を引かれ、また移動する。

少しずつ進んでいくと、翼は大きな水槽の前で立ち止まった。

翼はイルカの住む水槽の前から動こうとしなかった。

文字通り水色のガラス越しに、優雅に泳ぐイルカの姿をじっと見つめていた。

順もしばらく真似をして、イルカの姿を眺めていた。

しかし、順の興味はやがて翼に移っていった。

瞳の奥を水色に染め、吸い込まれそうなほど綺麗な色をしていた。

そうして何分かが過ぎ、翼ははっとして順を見た。

不意にぶつかった視線に居心地が悪くなり、順は目を逸らした。

辺りの音は聞こえなくなり、お互いの吐息の音と、自分の心臓の鼓動だけが妙にはっきり聞こえていた。

「……順」

翼らしくない、小さな声だった。

「……私といて、楽しい?」

探りも何もない、純粋な問いだった。

「そうじゃなきゃ、一緒にいない」

翼は俯き、髪を指で弄んだ。

「そろそろ、帰ろうか」

翼はいつもの声色で言った。

順は何も言わないまま、翼の一歩後を追って歩き始めた。


陽も落ちて紫色に染まった空を見上げながら、二人は自分たち以外誰もいない車両に揺られていた。

四人がけの席を二人で占領して、荷物は目の前の座席において並んで座る。眠気と戦う翼の頭に肩を叩かれながら順は水族館で買った本を読んでいた。

電車がブレーキをかける。落ちそうになる翼を支えて、順はまた本を読見始める。

目が覚めてしまったのか、翼は不満げな表情で順に寄りかかった。

「……首が痛い」

「そんな体勢で寝れば仕方ない」

「どうして起こしてくれなかったんだい」

「起こしたら『どうして起こしたんだ』って言うから」

「……よく分かってるね」

翼はぼさぼさの髪を直そうともせず、ぐーっと伸びをする。

電車が駅に留まり、大げさな音と共にドアが開く。

ホームには人の気配もなく、甲高い笛の音が響いた。

アラームとアナウンスと同時にドアが閉まり、電車は再びゆっくりと走り出した。

「ねぇ、順」

順は視線を少しだけ翼に向ける。

「順は……彼女とか、いるの?」

「いないよ」

「どうして?」

順は眉をひそめて考え込む。

「……お前と四六時中一緒にいて、できると思うか?」

「……それもそうだね」

じゃあ、昼休みの子は。

そう訊こうとして、止める。訊いてしまうのはあまりにも無粋な気がした。

「そうか、それは、良かった」

翼の呟きに、順はどう反応すればいいのか分からなかった。

「もし順に捕まるような女がいたら、やめておいた方がいいって説得しなきゃいけないからね」

「お前は俺を何だと思ってるんだ?」

あはは、と翼は声をあげた。

「順は、私のものだよ」

呆れてため息をつく。順がその言葉の意味を理解するのは、まだまだ先のことだった。



ここまで読んでくれてありがとうございます。

特に何も考えないまま書いているのでここに何を書けばいいのか僕にも分かりません。

舞台は読む人が読めば分かるかの有名な海峡周辺です。いいところです。

まだ続きそうなので、翼と順共々、最終話までお付き合い願います。では。

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