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スナフキンはもういない  作者: しま
1/3

ベンヤミン




どう足掻いてもさ。どうせ私は、誰にも好かれないんだよ。

あいつはいつもそうやって自分を卑下していた。

卑下しながら、笑っていた。

そんな彼女を横目に見ながら、煙草を取り出した。 夕焼け色の煙に視線を移し、昇っていく様をずっと見つめていた。



「夏の夜の匂いがするね。この雨上がりの匂い、私は好きなんだけど、順はどうかな」

「……気にしたことないな」

「はっ、失望したよ」

「そこまで言うか?普通」

二つの影を追い越していくテールランプの眩しさに顔をしかめて、目をそらす。

ポケットから煙草を出して、火をつけようとする。

白い手のひらがジッポを持つ手を遮った。

「……危ないぞ、翼」

「君が煙草を嗜むのは何も言わないけどさ。私の前で吸うのはやめてって何度も言ってるはすだ」

「……はいはい」

「はいは一回」

「はい」

煙草を咥えたままジッポを鞄の奥に押し込み、順はため息をついた。


人気のない高台の公園でだらだら時間を潰し、陽が落ちてから帰途につくのは翼のこだわりだったのだろうと、順は煙草を吹かした。

切れかけた街灯もまばらな通りから外れて竹林を抜け、ゆっくりした足取りで坂を下っていく。

駅までの道のりを少し遠回りして、川沿いの道を歩きながら向こう岸の夜景を眺める。絶え間なく続いていく車の光とぎらぎら輝くネオンの看板は、この街の象徴のようだった。

「大体まだ高校生なのに煙草なんて。ヤンキー気取りかな」

「ヤンキーは嫌いだ」

「じゃあなんで煙草なんて」

「……別にいいだろ」

翼と話すのは疲れるな、と順は頭をかいた。理屈っぽいことばかり言うし、言い回しはいちいち難解だった。

それでも一緒にいるのはどうしてなのか、順自身も分からなかった。

「君の匂いがうつると私が疑われるんだからさ」

「……悪い」

「うん、分かればいいんだ」

翼は小さく笑みを浮かべて人差し指を立てた。

「で、そっちはどう?」

「あ?」

「文化祭の準備だよ。順の組は喫茶店だろう?」

「そうだけど。特に何もないよ。普通に進んでる」

九月の暮れに催される文化祭の準備は着々と進んでいた。ただ、それも二人にとって邪魔な存在だった。

翼はそれはいい、とわざとらしくため息をついた。

「そっちはうまくいってないのか」

その言葉を待ってました、と言わんばかりに翼は口角を上げた。

「学校のイベントなんてトラブル無しで進む方が珍しいさ」

翼のクラスは確か出店をやる筈だったな、と回らない頭で考えた。

「出店なんて、やりたい人だけでやればいいのにさ。正直、参加するのが億劫で仕方ない」

「そう言うなよ。皆協力してるんだろ」

「協力してるからこそ面倒なことになるんだ。状況は二転三転するし、無駄な団結力に私まで巻き込まれる」

「嫌でも愛想よくするのが世渡りだろう」

翼は振り返って笑わない目で笑った。

「いつも優しく、愛想よくなんてやってられないさ。理由は簡単、彼らに割く私の時間なんてないからね」

街灯の光が翼の瑠璃色の瞳に反射する。長いまつ毛は頬に影を落とし、薄く伸びていた。

「お前の辞書には協調なんて文字は無さそうだな」

翼ははっ、と鼻で笑うと馬鹿にするように首を傾げた。

「君に言われたくない」

思わず笑みがこぼれた。つられたのか、翼もクスクスと笑っていた。

「じゃないと、こんなところでお前と一緒にいない」

「それもそうさ。君と私ははぐれ者だからね」

一歩先を行く翼の後を歩き、ふと気がつくと駅が見えていた。いつもと変わらない、ラッシュを過ぎた駅前は閑散としていた。

「ねえ、順」

「ん?」

「明日、準備サボったら陰でなんて言われるかな」

翼は声を潜め、顔をぐっと近づける。

「さあな。やってみればいいんじゃないか」

「付き合ってくれるかい?」

「一人でやればいい」

「『真っ暗な闇の中を歩み通す時、助けになるものは橋でも翼でもなく、友の足音である』」

「ベンヤミンとお前は状況も格も違う」

「……もう」

頬を膨らませる翼の声が低くなる。怒らせたかな、と順は頭をかいた。

「行くあてはあるのか」

「……八幡神社。あの時間なら茶屋も空いてる」

ほんの少し明るくなった声色に、少しだけ安心した。

「翼の奢りなら行くか」

「はー……すぐそうやって」

「嘘だよ」

肩を小突く翼の横顔を盗み見る。癖っ毛の下に隠れてしまった横顔はいつもと同じ、薄い笑みを浮かべていた。

「やっぱり嫌だな」

「何が」

「文化祭の準備。あのクラス、嫌いだから」

駅前のロータリーに留まるバスのライトを眩しく思い、目を瞑った。

「文化祭だからって張り切って、男子も女子も浮ついてさ。いつもお互いのことをいがみ合ってるのにこういう時だけみんなで頑張ろうなんて、都合が良すぎると思わないかい?」

「そんなのお前のクラスに限ったことじゃない。俺のクラスだってそうだ」

「君はそれでいいと思ってるのかな」

「思わないさ。本当に、気持ち悪い」

踏切の音が遠くに聞こえた。大きな鉄の塊が音を立ててホームに入っていく。順はほんの少し嬉しそうな表情をして、あれ、乗るやつだったんだ、とおどけた。

「電車を逃した私はどうすると思う?」

「どうするんだ」

「知らないの?」

翼は踵を返してもと来た道を戻り始めた。

「飯を食べるのさ。君とね」

翼の髪が夏の夜の暖かな風に乗って揺れていた。

順はため息をつき、一歩遅れて歩き始めた。




バリバリと段ボールが破られる音がやけに頭に響いた。

いくら結んでもうざったさを増す癖っ毛を手で払いながら顔をしかめる。

今この場でこの雰囲気を楽しめていないのは、私だけなんだろうな。

紙皿を段ボールから棚に移しながら、そんなことを考えていた。

胸の中のもやもやしたかたちのない不快感は少しずつ大きく、無視できなくなっていく。

逃げ出したい。

かたちになった感情は、自然と足を動かしてくれた。

「松本さん、どこ行くの?」

「あー……、少し、お腹が痛くてね」

右手でお腹を押える動作をする。それでも彼女達はつっかかるように食い下がる。

「へぇー。大丈夫? 保健室連れて行こうか?」

「だ、大丈夫だから」

翼は半ば逃げるように教室から出た。

足音が遠くなると、残されたクラスメイトがこそこそ口を開いた。

「あーあ、行っちゃった」

「まあ……いいんじゃない?松本だし」

「ちょっと変だよね、なんか……」

「人を舐めてるっていうかさ」

翼のいなくなった背後の教室は、楽しげな声を増した気がした。

お前なんかいない方がいいと言われているような気さえした。

こみ上げてくる色々な感情を押し殺しながら昇降口を目指す。

どこかしこの教室も楽しげで、その喧騒は翼を追い詰めるように廊下いっぱいに響いていた。

約束の時間よりもずっと遅く教室を出てしまったことに今更気づき、足取りはさらに重くなっていく。

順がもう教室に戻ってもおかしくないような遅れだった。

ふらふらになりながら昇降口にたどり着き、靴を取ろうとした。一人でもいい、早くこの建物から逃げ出したかった。

ふと昇降口の陰に人影を見つける。見慣れた横顔が振り返るのに、そう時間はかからなかった。


陰に座っていた順は翼を見つけると、あくびをしながら立ち上がった。約束の時間から十五分。怒っている様子もなく、いつもの何を考えているのか分からない無表情だった。

「遅かったじゃないか」

「…………ごめん」

「泣いてるのか」

「い、いや……大丈夫だから」

順は頭をかき、とりあえず、と呟いた。

「行こう」

「……うん」

歩き始めた翼の一歩後を順はついていく。

待ってくれていた。

翼は溢れてくる笑みをなんとか噛み殺していつもの表情を作る。目元に溜まった雫を拭い、ふーっと息を吐いた。

「はーあ。とんだ無駄足を踏んだ」

「仕事でもしてたのか」

「押し付けられたのさ。まったく、あの雰囲気は本当に気分が悪い」

「お前にとってはあそこは鉱山よりも空気が悪いんだろうな」

「君にしては的を得てる。その通りだ」

学校を抜け出して裏道に入った。

溝を流れる排水と季節を歌う鳥や蝉の声。髪を張り付かせる厄介な湿気がその路地にたむろしていた。

翼は髪を結び直しながら、喉をこくっと鳴らした。

「あのさ、順」

「ん」

「私が……その、泣いてたように見えたのは秘密だから」

「…………」

「あれは別にあいつらに何か言われたとかじゃないから、さ」

順は煙草を吹かし、うそぶく。

「なんのことだか」

「……ありがとう」

薄く濁った煙は昇り、夏空に溶けていった。

路地を抜ければ神社はすぐそこだった。

早く吸ってしまおうと、順はもう一度煙草を咥えた。






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