仕事の誘惑
家庭はまったくもってうまくいっていなかった。
うん・・・
いいや。
夫からは全く愛されてはいなかった。
それが私の心のバネになって仕事に頑張るようになっていた。
複雑な気持ちである。
それでも気持ちの逃げ場所があるだけ私はよかった。
仕事で家庭で満たされない気持ちを発散できるので、
仕事はむちゃくちゃ頑張った。
辛い気持ちをバネにして仕事に打ち込んだ。
打ち込めば打ち込むほどに余計な事を考えないですんだ。
余計な事を考えないですむから、
明日の生活に希望が持てるようになった。
仕事は頑張っただけ給料はあんまり上がらないけど、
仕事が好きになって自分のスキルも上がりだした。
人間は裏切るけど、
仕事は裏切らない。
どんどんそんな考えになっていった。
そんな風にかんがえるようになったのは少し寂しいけど、
そう思えるものがあるだけよかった。
寂しい人間だけれども、
それでも今の私には助かった。
気持ちが助かると毎日の生活が助かる。
仕事は毎日が忙しかった。
家内工業で従業員も少ししかいない会社だったので、
仕事は山ほどあった。
従業員が少ししかいなかったので色んな仕事をしていたのだけれども、
それでも一番に力をいれてしていたのが営業事務の仕事だ。
会社は営業して収益をえない事にははじまらない。
そのために営業補助の提案書をデータでつくりまくった。
つくってつくって取引先に提案書を郵送、
もしくはメールで送る。
それをとにかく何件も、何件も送る事に時間をさいた。
一日数十件の提案書を作る仕事が特に面白くてたまらなかった。
営業をしている社長がすごいのか、
提案書を先方へ送れば送るほどにその商品が採用されて売り出しにかかった。
一日の時間が許す限り、
提案書を作っては先方に送る。
商品の採用が決まればその商品を売り出す手配をする。
生産から販売までを社長と二人でするまでになっていた。
そうするとまた仕事が面白くてたまらなかった。
家に帰れば子供たちに会えるのはうれしいけれど、
夫と顔を合わすのが苦しくて、
子供たちには悪いとは思ったけれど、
どんどん会社からの帰宅が遅くなった。
けれども子供の保育所や学童の迎えがあるのでいったんは六時には帰社していた。
子供たちに晩御飯を食べさせて寝る支度をしたら、
会社に戻って仕事、
もしくは自宅で仕事をするまでになっていた。
そうなってくると仕事が私の生きがいのようになって、
きがついたら、
育児と家事に使っていた時間に食い込んで、
どんどん仕事が優先の生活になっていた。
仕事が楽しい。
仕事をしていれば悪いことを考えなくてすむし、
もっと言えば残業をしているからお給料も増える。
家庭から逃げるように私は仕事に逃げだした。
愛されない人との婚姻生活がこんなに苦しいものだったと気が付いた。
あんなに愛した人はもういなくて、
家政婦代わりにされる事にいらだつ毎日だった。
それでも毎日の生活は続いていく。
子供の成長もとまる事はないので休んではいられない。
それでも心がさみしかった。
その寂しさは体中に広がっていった。
さみしくて寂しくてとうとう顔にまでも、
しぐさまでにもでていたのかもしれない。
子供が生まれてからは夜の5時以降にはほぼ出かけないし、
仕事を始めたからといっても夜に仕事以外で出かける事もなかったのだけれども、
会社で忘年会をすることになったので、
参加することにしてみた。
その日は夫に子供をみてもらう事をお願いして、
本当に久しぶりの夜の世界につれていってもらった。
毎日の生活に追われて毎日の生活だけをしていた私にはとても楽しい時間を楽しむことになる。
子供が小さい事もあって外食をあまりしない家庭だった。
子供が小さいと静かに食事をとるのはとても難しく、
食べていてもまわりの人に気を使うばかりで、
ちっとも楽しく食事ができなかった。
そんな経験があるからもう少し子供が成長するまでは外食はしないでおこうと決めていた。
そんなだから余計に夜の街も外食もたのしかった。
会社のみんなで食べる食事も楽しくて、
自分で作らない用意してもらえる食事がこんなにもおいしい・・・
そんな気持ちをもうずいぶんと忘れていた。
楽しい会話と楽しい食事がこんなにも私の寂しい心を満たしてくれる。
空っぽの心にみるみると水が注がれていく。
こんな風に毎日が過ごせたらどんなに楽しいだろう。
もうなくした物は取り戻せないか・・・
私がつくれなかった食卓。
楽しい時間の中にもそんな事をふと考えてしまう自分がいた。
どれだけ楽しく笑って話しても、
心の闇はなかなか私の心からははなれない。
お酒を飲んでも飲んでも楽しい時間の節々にでてきた。
普段はまったく飲まないのに、
たまに飲むお酒でも私はあまり酔わなかった。
おいしい食事を一緒にとっていることも関係しているかもしれないが、
まったく酔わなかった。
今日くらいは飲んで家庭の事を忘れたいのに・・・
思う気持ちとは別に楽しい時間はそろそろ終わりを迎えてしまった。
皆と店の前でお別れをしてから私は一人で駅に歩き始めた。
なんだか風が気持ちよくって、
歩くスピードをいつもよりもゆっくり歩いた。
ゆっくり歩いて、
これから帰る家の事をまた考えてしまった。
またあの家に帰るのか。
そう思った時に後ろから社長が追いかけてきた。
「女性の夜道の一人歩きは危ないよ」
大丈夫だと思ったが社長の言葉に甘えて送ってもらうことにした。
けれどこの社長がお酒に酔っていた。
私のすぐ隣で歩くのはいいけど、
私の手をつないできたのだ。
「危ないなら手をつなごう」
びっくりした。
子供とは手をつなぐけれども大人の男性と手をつなぐなんて、
あまりの恥ずかしさに、
思わず手をふりはらった。
「社長、大丈夫です。私はあんまり酔っていませんし、一人で歩けます。」
そういっても何度もすぐに手をつなぎにくるので、
しかたないから駅まで走る事にした。
「電車の時間ですから、走ります。 社長今日はありがとうございました。お先に失礼sします。」
そういうと私は全速力で駅まで走った。
お酒を飲んでいるのに走る。
しかも全速力で走る。
ここで初めてお酒が体中に回った事がわかった。
社長から逃げだす為に5分ははしったと思うが、
気分は15分ほどのランニングをした気分だった。
上手く社長はかわしたものの、
酒がまわって頭がぐるぐるした。
ぐるぐるして、
仕方ないから自動販売機でお水を買って電車が来るまで待つことにした。
やっぱり寂しさが顔にでていると、
こんなことになるのかな。
気をつけないとな・・・
もうすぐ最終電車がくる。
空は星がきれいに輝いていて、
私に頑張って家に帰りなさいっていってるように見えた。
もうすぐ最終電車がくる。
この電車にのらないと自宅には帰れない。
のらない選択なんて私にはできない。
ホームに電車がきた。
私はためらうことなく乗り込むと、
階段で息をきらした様子の社長がたっていた。
「おーい気をつけてかえれよ」
って遠くで叫んでる社長をみて思わず笑ってしまった。
走ってきてくれたんだ。
その社長にてをふって電車は走り出した。




