聞いてはいけない事
どんなことだって私が受け止める。
こんなに愛してくれた人だから、
私もその気持ちにこたえたい。
この人を信じてただついていこう。
そう決心したのは私だけだった。
人間の気持ちはかわってしまうんだ。
私の気持ちはもう必要ないんだ。
当たり前に自分がバカにされている。
それがどんなに苦しいか。
こだわるのをやめた。
夫にこだわるのにやめた。
やめてしまう。
夫の世話なんかしてられるか。
私はちょっとやけになった。
やけになるのも未だあの夫を愛している証拠かもしれない。
そう思うのも嫌だった。
「はやく」
あの言葉を思い出すと私は激しい吐き気に襲われた。
自分の生活をしよう。
あの夫に何も期待してはいけない。
もうあの人は家族ではない。
夫という名を乱用しているただの男。
自分の生活をひたすら安定させよう。
そう決めると私は夫と話さなくなったし、
夫の世話も一切しなくなった。
そう一切だ。
もうどうでもよくなった。
投げやりとは違うが、
自分と子供を守る為に動くことにした。
朝は自分と子供の家事をするためには起きるが、
夫の世話は一切しない。
夫の食事は作らないし、
お弁当を作るのもやめた。
私が一切の無視をするから夫の機嫌は日に日に悪くなるが、
もうどうでもよかった。
とにかくこの家にいる事が気分が悪くなるので、
なるべく顔を合わせないようにした。
私がこうなった原因は夫にもわかっていたようで、
夫は前のように私に暴力をふるうのはおかしな事はなかった。
それどころか食事の準備をしなくても何も文句もいうこともなく、
生活している夫に少し驚いた。
けれどももう当時の私には夫の事なんてどうでもよかった。
この事件がきっかけでまた生活費がもらえなくても、
私一人の力で生きる決心はだいぶとついてきていた。
決断は今ではない。
未だ子供が小さすぎる。
機会を待つんだ。
そう言い聞かせていた。
家庭生活が破たんしていても何故か夫は時々かえってきていた。
荷物を取りに帰るのか。
相手の家に行きにくいのか、
理由はわからないがかえってきていた。
そんな生活が1カ月過ぎたころにまったく話をしていない夫に話しかけられた。
もらえるとは思っていなかった生活費20万を渡された。
そうしておかしな夫はおかしな事を言い出した。
「頼むから食事の準備をしてはもらえないだろうか。」
あの事件から食事の準備はまったくしなくなった私に食事を作れといってきた。
理由はこうだ。
私の食事がおいしい
理由はこうだ。
もちろん嫌味の一つでもいってやりたい気持ちもあったが、
無駄な力をすぐに使うのをやめた。
すぐに出てきそうな言葉を私はぐっと飲みこんだ。
『同じ土俵にたってはいけない。』
その代わりに私はこう答えた。
「食事やお弁当は作れる時だけしかつくりませんが、毎月の生活費を必ずください。男の約束ができますか。」
夫はすぐにこう答えた。
「わかった。よろしく頼む。」
これもまたびっくりした。
あの勝手だった夫が私に頼みごとをした。
驚いたとしか言えなかった。
人間が変わり始めているのか・・・
それでもこんな生活になっても帰ってこない日がある事には間違いはない。
無駄な期待を持つのはやめよう。
人間はすぐに裏切るし、
人の気持ちなんて変わるものだ。
私の心はすっかり冷えていて変な期待も持つことが怖くなっていた。
自分の力を信じていきよう。
子供の為に母として頑張ろう。
夫の力をあてにしてはいけない。
またそれから夫のお弁当と食事の準備をするようになった。
けれども無理はいない料理を心がけていた。
子供に食べさせたい料理を少し多めにつくり夫の食事に回す。
基本的にこのスタンスでいくことにしている。
夫の為に特別に作るお弁当ではなくて、
無理のない私と同じお弁当。
それでも私には十分な食事だった。
子供がいなかったら、
私は料理なんてしなかったかもしれないな。
そうお弁当をつくりながら思った。
毎日が白おにぎりと沢庵だけの弁当だな・・・
なんて思うと少し笑ってしまった。
彼女は料理が苦手なのかな・・・
おかしな夫におかしな妻の生活はこの調子で2年ほど続くことになる。
この2年の間にたいした変化もなかったが、
子供は元気におおきくなってくれた。
保育園を泣いて通っていた子供たちは今は自分で歩き、
力強く通っている。
息子が6歳、娘が3歳、やっとここまで来た。
私の人生はもう終わった。
けれども子供たちの人生はこれから。
なるべく生きる道を間違えないで生きてほしい。
そう思う私は、
まだこのおかしな結婚生活をづつけていくことになる。




