8.母の解は在るか
あれから母は瑠奈の研究に協力してくれた。CR社から高機能モード用コンソールを購入し、メモリーも最大容量にグレードアップしてもらった。メリーをまったく使わないのにかかわらず。
メリーはますます高機能化が進み、母が一日いなくても家事をこなすようになった。ただし一日一回のあるセリフがなくなることはなかった。
「命令をお願いします」
メリーはロボットであり続けた。どれほど高機能であろうとも人間の命令以上のことはできなかった。メリーが持っていた表情や感情が宿ることはなかった。瑠奈の研究は行き詰まった。毎日変数や設定を変え続けるも、このセリフだけは消えることがなかった。
瑠奈は朝五時から向き合う教育プログラムにも解を求めた。メモリーチップやデータ書き込みポートの無い頭で、可能な限りの知識は吸収した。そしてCクラスを脱出し、Aクラスにまで上り詰めた。しかし教育プログラムに解は見つからなかった。
このときすでに十年が経過していた。
***
瑠奈の研究は終わっていなかった。しかしその進展は限界に来ていた。
まずメモリー容量が不足しだした。設定データが積み重なり、俳句を一つ記憶させたらクラッシュするレベルだ。そして本体の方も経年劣化が進み、部品が破損しはじめた。
どちらもCR社に対処をお願いしようと連絡したが、もう既に廃番で修理対象外だった。回収処分の話になり瑠奈は電話を切った。
母はもうあのころの夢は抱いていない。後ろでCR社のカタログを開いている。画面上には人間とほとんど変わらない肌をしたロボットたちがセールストークを披露していた。彼らの口から出てくるスペックは天保山のメリーに対し富士山くらい違っていた。
彼らのスペックなら夢が実現できる、という淡い期待を抱いてトークに聞き入っていたが、そこに瑠奈が求める解は存在しなかった。彼らはあくまで器、決してメリーにはなれないのだと。だから瑠奈は最後の確認をとった。
「お母さん、メリーをもらっていい?」
「いい、どうせ故障しているんでしょ」
母の言葉に瑠奈の意志は決まった。
瑠奈はメリーの設定をすべて控えた後、削除していった。こうすればメモリーが解放され、別のものを書き込む余地ができる。しかしもう新たな設定はしない。なにをするかといえばプログラムで埋め尽くすのだ。一般家庭に置かれるコンピューターだって実用に使う操作はOSがしているわけではない。すべて表層のアプリだ。
瑠奈は空いたメモリーに、あるアプリをインストールした。
それは単なる自己学習プログラムだ。しかし普通のアプリではない。瑠奈が開発したのはアプリがそれ自身を書き換えてしまう可能性を持った生物的アプリだ。それは学習データを積み重ね設定を書き換える従来のものに比べ、システムそのものを変えてしまう分、周囲の環境に早く馴染むことができる。そして外部ファイルとプログラムが別に存在していたものが、プログラムに統一されることにより、RAM以外のメモリー消費が一気に減る。メモリーが少ないHK-Xにおいて、メリーを取り戻すにはこれしかなかった。
しかし、デメリットも存在する。プログラムを人間の手によらず書き換えるため、癌のようなバグが発生しやすい。最悪の場合は全機能を失って、機械そのものが死をむかえる可能性がある。
もはや賭けだった。いままでの高機能なメリーが失われてしまう。家事はできなくなるかもしれない。そもそも動くことすらできないかもしれない。このようなプログラムはCR社のサポート外行為だが、廃番でサポートされないのだ。ならば怖いものはない。
瑠奈は日夜プログラムの構築に励んだ。そして、構築が終わるとメリーに向かって会話したり、思い出の品を見せて人というものを構築していく。これで望む回答が返ってくるかわからない。ダメかもしれない。あくまでも瑠奈の仮説だった。
一年に及ぶ構築と修正でメモリーが再び限界に達したとき、瑠奈はメリーを再起動した。
「メリー。わたしよ、瑠奈よ」
返事がない。ただ瑠奈の方を向いているだけ。
「メリー。お願い、返事をして!」
メリーは黙ったままだった。
十数年の時が水の泡となった瞬間だった。瑠奈はメリーに向かって抱きつき声を上げて泣いた。
「お願い! わたし頑張ったんだよ。お母さんを取り戻すために頑張ったんだよ。それでもダメなの?」
純白の体に雫が落ちる。そのとき瑠奈の背中に何かが触れた。
振り返って見ると、それは純白の手。メリーの手だった。
「泣かないで、瑠奈」
優しく微笑みかけるメリー。その手は優しく背中をなでた。
「瑠奈、大きくなったねぇ。でもいつまでも子供みたい。さぁ涙を拭いて……」
メリーが立ち上がろうとしたとき、彼女は音を立てて崩れ落ちた。瑠奈は寄り添うがメリーの重い体はどうにもならなかった。原因はわかっていた。メモリーが容量オーバーしたのだと。自己成長するプログラムは癌となり彼女の足を奪ったのだと。それでも彼女は微笑みかける。
「心配しないで、大丈夫だから……」と。
瑠奈が解の片鱗を見出したとき、彼女の純白の体はもう動かなかった。開いたまま焦点の合わない目が、全てを物語っていた。
あのとき手にした解は真なのか、それはまだわからない。
Question1 End