表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅い薔薇は罪か  作者: 暁 乱々
Question1:Mary ~母の解は在るか~
6/8

6.約束

 ドアが閉まると女はドライバーを取り出し、メリーの背後にまわった。

「背中を開ける」

「わかりました」

 女がメリーの背面カバーを開けると、中からは設定用のタッチパネルが出てきた。設定モードに入り、マニュアルに従って三つの項目をセットする。その様子を瑠奈はそばで見ていた。

 設定の内容は作業服の男が言うように極めて簡単で、五分ほどで終わった。


「設定完了しました。命令をお願いします」と流れるような、だが抑揚のない自動再生の声がした。


「夕飯をお願い」

「わかりました、なにがいいですか?」


「おまかせでいい」

「おまかせとはなんですか?」メリーは何度もまばたきを繰り返した。


「メリー……?」瑠奈は思わず声を漏らした。女も言葉にはしないものの呆然とメリーを見つめている。沈黙の中、メリーが手を差し出そうとするモーター音だけが部屋に響いていた。


「どうしたのですか。命令をお願いします。希望のメニューをおっしゃって下さい」

「……あなた、メリーよね?」と女は問いかける。

「私はメリーです」

「メリーはおまかせといえばなんでも作った。あんたはほんとにメリー?」

「私はメリーです」


 かたくなにメリーを主張するロボットと女の間に瑠奈が割り込んだ。

「いや、あなたはママじゃない!」

 メリーは瑠奈の声になんの反応も示さない。視線は女にばかり向いている。

「ねぇ、ママはどこへ行ったの」

「お母様はここにいます」とメリーは女を指す。

「ちがう! ほんとのメリーママはどこに行ったの」

「私はメリーママではありません。メリーです」

 瑠奈は無言のまま退いた。体が女に触れたが彼女は全く気にしなかった。ただ呆然と黙ってメリーを見ていた。

「私はメリーです。お二人ともどうかされましたか」


 女は端末を取り出して「CR(コスモ・ロボティクス)社サポート窓口」と言った。そして端末から浮き上がるボタンの『2』を押した。

 端末から、女性のバーチャル映像が出てきた。継ぎ目のある体から、彼女もおそらくロボットだろう。

「CR(コスモ・ロボティクス)社サポート窓口修理部門でございます。どのようなご用件でしょうか」

HK(ハウスキーパー)-X(エックス)Mary(メリー)の様子がおかしいのですが……」


「オーナーは金井様ですね。最近修理済みで現在も正常しているようですが、どのようにおかしいのですか」

「言うこときかないんです。夕食をおまかせで作ってもらおうとしても、いちいちメニューを聞いてくるんです」

「なにか設定されましたか」

「御社の人から言われた項目を設定しました」

「それでは動かないですね。おまかせ料理が必要であれば設定で『おまかせ料理』という項目を作り、メニューを入力しておかなければなりません」

「前はできていたんですよ! 御社は必要なパラメータを全部設定したと言ってましたよ。あんたの言い分ならできるはず。まさか他所のメリーを入れたんじゃないでしょうね」

「一つの型式で同じ識別名をつけてはおりません。納めたのは間違いなく金井様のMary(メリー)です」


「じゃあ、あんたらどんな修理をした?」

「私どもは正常なプログラムを焼き直し、バグを取っただけです」

「どんなバグ取りしたのよ! 元のメリーを返せ!」

「極めて致命的なバグです。放っておけば金井様が事故に遭うレベルのものです。なので元のメリーはお渡しできません」

「はぁ? 具体的にどんなバグだったかと聞いているの!」

「申し訳ございません。ここから先は弊社の機密事項でして……」

「なんで秘密になる?」


 女ロボットのバーチャル映像は一歩前進し、顔を上げた。

「逆に聞きますが、どういう経路でMary(メリー)を入手しましたか? こちらには所有者変更の登録がなされていますが?」

 ロボットは問いは女に火をつけた。

「中古販売に決まってる! あんたらの製品は庶民には手が届くわけない。だからジャンクショップで買った。なんか文句ある?」


「ジャンクですか……」

 ロボットは元の位置に戻った。バーチャル映像の彼女はうつむいていた。

「申し訳ないですが、弊社ではこれ以上の対応はできません」

「じゃあどうしろというの? 使えないまま置いとけというんか? 娘を一人にしないために買ったのに!」

 女ロボットはしばらく黙り込んでいた。その様子を瑠奈はずっと見ていた。当のメリーは電話のやりとりに一切反応していない。

 女が電話を切ろうとしたとき、女ロボットの口が開いた。


「金井様、マニュアルを見て設定してください。そうすればあなたの言う元のメリーに近づくはずです」

「わかった。もう結構よ! ボケ!」と女は電話を切り、寝室に消えていった。

 寝室から叫びがあがったが、メリーはなんの反応も示さなかった。


 瑠奈がそっとのぞき込むと女は背を向けうつむいていた。その力なく垂れ下がった手にはあの紙が握られていた。

「あの……」

 瑠奈がゆっくりと近づく。すると女は顔面を手で隠しながら振り返った。

「ごめん、ごめんね。あたし……ママ失格ね……」

 女は立ち上がり、片手で顔を覆いながら瑠奈の脇を通り抜けた。そして台所につき、冷蔵庫からニンジンを取り出す。乱切りするその包丁は震えていた。


 瑠奈の目の前には一枚の紙が落ちている。ずっとあの人が持っていたもの。近づくといつも隠していたものが放置されている。瑠奈はその紙に手を伸ばした。

 拾った紙を裏返すと『メリーとの約束』という文字が飛び込んできた。手書きの赤い筆跡は間違いなくメリーのものだった。その赤い字は下へと連なっていた。



『メリーとの約束』


お母様へ


 私がいない間、お母様が瑠奈の面倒を見なければなりません。もうおわかりだと思いますが、あの子はお母様に怯えています。不信感を抱いています。

 私はお母様が本当の母親としてあの子に受け入れられるよう、願っておりました。ロボットはどうやっても人間の母親にはなれません。あの子には人間の母親が必要なのです。ですが、いまになっても叶っておりません。

 もしこの状況で私を修理に出すのなら、以下の三つを誓ってください。


・むやみに罵声をあげないこと

・瑠奈の前で涙を流さないこと

・私をもう求めないこと


 この三つを守ってくれればいつか瑠奈の怯えは解けると思います。だからどうか私の約束を守ってください。そしてできることなら、この約束は秘密にしておいてください。


メリーより



『私をもう求めないこと』

 瑠奈はその一文に釘づけになっていた。

 横でメリーが見ている。しかし彼女はなんの反応も示さない。母を叱ることも、家事を手伝うこともせず焦点の合わない目で瑠奈を見つめている。

「痛っ」

 女が包丁で手を切った。赤い指を押さえている。けれどもメリーは動かなかった。


 そうだ。メリーは死んだのだ。

 あれは別れの手紙だったのだ。


 女がメリーを修理に出した真意はわからない。あのときのメリーの想いはわからない。だが瑠奈の前の光景は変わってしまった。母の解を求めてもがき苦しむ人と純白の器と化した機械。二人は互いに背を向けて立っていた。

 この日以来、女がメリーに命令することはなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ