4.おねがい
また雨の日だった。今日、女は一日中休みだった。なにやら忙しなく、箱から丸い装置を出し、ケーブルをつないでいる。今日ばかりはメリーも手伝っていた。メリーは重そうな装置を持ち上げ、女が接続作業をしていた。瑠奈はそれを黙って見ていた。
接続作業を終えると装置の天板が輝き、バーチャル画像が浮かび上がる。そこには『初等教育プログラムCクラス』と書かれていた。
女はため息をついた。
「あんたが学習室に行かせなかったからよ」とボソッとつぶやき、メリーの頭を一発殴った。
初等教育プログラムは近世の小学校のようなものだ。だが、実習や体育を除いて通学することはない。子供は全員、各自のレベルに応じた学習プログラムが与えられる。CクラスはS、A、B、Cの4段階のうち、底辺クラスにあたる。一年生の間は問題ないが、卒業までCクラスが続くと進学や就職に影響が出る。巻き返せればいいのだが、教育レベルが低いため、下位クラスからの逆転は困難だ。
女の態度をよそに、メリーは食事の準備を始めた。
「メリー、今日はあたしが準備する」
女はメリーを押しのけ、包丁を握る。その動きは、ぎこちない動きのメリーよりガタガタだった。
「お母様、危ないです。私が、やります」
「あんた、瑠奈の母親はあたしなんでしょ。それなら、母親らしくさせてちょうだい」
包丁からは、やたら幅の広いキャベツの千切りが出てくる。メリーの糸のような切り方とは大違いだ。
「ウチに限らず、一般家庭では、料理はロボット、まかせです。危ないから、無理しないで、下さい」
一度、置かれた包丁にメリーが手を伸ばす。すると女はその手を弾いた。
「うるさい! グダグダ言ってる暇あんなら瑠奈の面倒を見てちょうだい!」
隣の家まで聞こえるのではないかという大声に、メリーは手を引っ込め瑠奈のもとに行った。
瑠奈は身体を縮め、震えながらメリーの方を見つめる。
「大丈夫、私がいるから」
メリーが触れると瑠奈の震えは止まった。そして、瑠奈はメリーに冊子を差し出す。メリーはそれを受け取った。それは『R.U.R.』の第三幕、ロボットに愛が生まれた場面だった。
「このまま、ずっといてくれるよね? ママ」
瑠奈の言葉に、メリーはそっと、うなずいた。
「あー、焦げた!」
女の叫びをよそに二人は、『R.U.R.』の世界に浸っていた。
第三幕を読み終えるころ、インターホンが鳴った。女は火を止め端末のボタンを押す。すると端末から四人の男が浮かび上がった。一人は作業服を着た人間、あと三人は純白の体でやけに体格がいい。おそらく彼らはロボットだろう。
「CR(コスモ・ロボティクス)サポートです」
「はい」
女は甲高い声で端末の男に返事すると、笑みを浮かべながら玄関に走っていき扉を開けた。
「金井様、ご依頼の件でまいりました。識別名はMaryで間違いないですね」
「はい、大丈夫です」
その言葉に、男はリモコンのような物を取り出し、操作していた。
「では、早速ですがお邪魔いたします」
「はい、どうぞよろしくお願いします」
男はリモコンのようなものを手に家へ入った。女はリビングに男を案内する。
「これがメリーです」
女は一台のロボットを指した。メリーは瑠奈とともに本を読んでいる。男は瑠奈に構うことなく、設定したリモコンのようなものをメリーに向けた。
本を読むメリーの体が固まった。腕が中途半端な位置で止まり、口は半開き、まばたきの途中だったのか目は閉じている。
「ママ?」
瑠奈が触れてもメリーは動かない。いつもなら優しく言葉をかけてくるメリーだったが、いまは違った。
「お嬢ちゃん、危ないから離れて」
「いや!」
作業服の男が瑠奈に注意する。しかし瑠奈は首を振り、メリーを両腕で抱いて拒んだ。
「瑠奈、離れないと潰されるよ、どきなさい」
女が瑠奈を引っ張っても応じない、固くメリーを抱いている。その横で、作業服の男は端末を取り出した。
「これから運搬に入る、補助を頼む。女の子が邪魔している、親のいうことを聞いてくれない。キーは使えない。今回は手運びする」
男は連絡が終えると、女に言う。
「金井様、構わないですね」
男の言葉に女はそっとうなずいた。
そして待機していたロボット三台が一斉に家の中へ入ってきた。一台はメリーをつかみ、別の一台は彼女のそばに待機している。残る一台は瑠奈を握った。
「いたい! やめて! おねがい、はなさないで」
腕を引き千切りそうなくらい、強引なロボットに瑠奈は涙を流している。
「おねがい! わたしのだいじなママなの!」
ロボットたちは聞く耳を持たない。幼い瑠奈の力は、体格のよい彼らには敵わなかった。瑠奈の腕からするりとメリーが抜け落ちた。
待機していた一台がメリーをつかみ、持ち上げる。その二台はメリーを持ったまま玄関へと向かう。瑠奈を引っ張っていた残りの一台は女に瑠奈を託し、自らはしんがりを務めた。
「おねがい! 行かないで」
瑠奈は足をバタバタさせているが、女に羽交い締めされ動けない。その間にメリーは遠ざかっていく。
「ママ、おねがいだからふりきって! むりならせめて一言でも……。おねがいだから!」
瑠奈は顔をぬらしながら、メリーに訴える。メリーの顔はこちらを向いたまま、なんの返事もしなかった。どんどん玄関に近づき、ドアを越えた。すでに事務処理を終えた作業服の男も玄関に向かう、彼が外に出ればドアは閉じられる。いま、メリーの姿は顔しか見えない。
その顔は、どこか安らかな笑みを浮かべていた。
「瑠奈! 行っちゃダメ」
瑠奈は女の手を振りきり、玄関へ向かう。しんがりの作業服の男が瑠奈を取り押さえ、再び女に託そうとする。そのとき、あの声がした。
「瑠奈、あなたには、ちゃんと、ママがいる」
優しくて柔らかくて、どこかぎこちない。それは間違いなくメリーの声だった。瑠奈のじたばたはさらに強まるが、女が押さえる力の方が上だった。
「あの人は違う! わたしのママはあなたなの!」
メリーの首が横に振れた。そのとき、男の声がかすかに漏れた。
「嘘だろ……」
男は慌て、キーをまわしあらゆる箇所を見ていた。だが、外見上の異常は一切なかった。
「大丈夫、私が、いなくなっても、大丈夫だから」
メリーは再び微笑みかけた。もちろんロボットの彼女に笑いという動作はない。それでも瑠奈には笑っているように見えた。
「おねがい、行かないで! おねがい!」
そう訴える瑠奈とメリーの間を男がふさぎ、ドアがゆっくり閉められた。その動きとともにメリーのあの微笑みがゆっくりと消えていった。そして女はリモコンで鍵を二重に閉めた。
「おねがいだから……」と訴える瑠奈と、メリーの声をかき消しながら。