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紅い薔薇は罪か  作者: 暁 乱々
Question1:Mary ~母の解は在るか~
2/8

2.1×0は0か

 寂れた団地の日の当たらない一室。その表札にはかすれた字で『金井(かない)』と書いてある。扉を開けるとそこにはなにもない。整理されているというよりも、物がほとんどない。最低限の生活家電と家具、それに外に干された洗濯物だけ。


 メリーはさっそく瑠奈をリビングの机に向かわせる。瑠奈は嫌そうに問題集を取り出して広げた。

「嫌そうな顔、しちゃだめ。他の子みたいに、施設へ、いくの?」

 瑠奈は首を横に振る。

「今日は、一問だけで、いいから」

 メリーの言葉に瑠奈は問題に向かう。その様子を見ながら、メリーは洗濯物を取り入れる。

「わからなかったら、言ってね。教えるから」

 ベランダから発せられる声に、瑠奈はなんの反応もしなかった。


 瑠奈が解いているのは算数の問題だ。だからといって、5+9とか7×13の計算をするわけではない。彼女の手元には大きな空白が広がっている。その上方に一文だけ印字があり、こう書かれている。


『1×0は0か』


 メリーいわく、この問いに『Yes』の一言回答は許されない。解になっていない。これは証明問題なのだ。

 瑠奈は頭をかきながら、黙々とシャーペンを動かす。その後ろでメリーは野菜を切っていた。


 しばらくした後、瑠奈は立ち上がった。

「ママ、できたー」

 そう言って、メリーに答案を渡す。メリーは答案を見てうなずきながら、赤ペンで書き加える。

「もう一問、やってみよう。本物の、ママが、帰ってくるまでは、勉強しようね」

 瑠奈に渡された用紙には『(-1)×(-1)は1か』と書いてあった。

「-1なんて習ったことないよ~」

「大丈夫、瑠奈なら、本読めば、できる」


 その瞬間、インターホンが鳴った。

「開けてちょうだい。早く!」

 女の声だ。ドアを蹴る音も聞こえる。メリーはぎこちない動きで走ってドアに向かった。

 メリーは扉を開ける。そして目があった瞬間に発せられたのは、怒号だった。


「なによ、この成績は! あんた瑠奈を学習室(インストーラー)へ行かせてないでしょ! どうせまた勉強させずに遊ばせているんでしょ!」

 女はメリーに向かって封筒を投げつけた。封筒を拾い紙を広げると、249/1000と書かれている。それは瑠奈の就学前テストの成績だった。

「これの、どこが、悪いの、ですか?」

「はぁ? あんた数字もわからないの? 四分の一もできてないのよ。四分の一も!」

「お母様、これは、単なる、処理能力テスト、です。日常生活に、困らなければ、いいのです」

 成績表の数字を見ると、正確性には問題ない。足りないのは問題を解くスピードだ。


「あんたね、ウチの子は他の子に負けているの。みんなが学習室に行っている間、あんたはこの子を遊ばせ、どうしようもないバカな子にしようとしている」

「学習室の教育、の方が、悪です。事前手術した、ポートに、ケーブルをつなぎ、内蔵した、数十テラバイトの、メモリーチップに、大量の情報を、入れて、処理させるだけ。実に非人間的で、脳科学的にも悪いです。瑠奈が、私のような、ロボットになって、いいのですか?」

「あのね、それがいまの社会標準なの。私ですら受けている。そうしないと、大学にいけないし、就職もできない。あんた瑠奈をニートにする気? わかったような口きくな、このポンコツ!」

 女はメリーに蹴りを入れる。メリーはよろめいたがすぐ立ち上がった。ダメージは全くない。一方、女は蹴った足を手でさすっていた。


 メリーの身体は鋼鉄でできている。表面がシリコーンで覆われているため怪我はしないが、中身はトラックにも負けない堅牢さを誇る。人間がどうしようが勝てる相手ではない。それでも女は蹴りを入れ続ける。

「瑠奈、メリーは人間をロボットの配下にしようとしている!」

 メリーは後ろで怯え泣く瑠奈の前に立ち、女の蹴りを受け止め続ける。

「お母様、おやめ下さい。足を痛めるだけです」

 女の蹴りは止まらない。彼女は横にあった答案に手をのばす。

「はぁ、1×0は0か? 0に決まってる。常識よ。支配下に置きたいからって、瑠奈にこんな低レベルな雑用させないでくれる?」

 女は手にした紙を破いた。


「お母様、あなたは、わかっていません。考えることの、有用さを。だからいま、二つの矛盾を、生んでいます」

「矛盾? あたしにそんなものはない!」

「また一つ、増えました。気づかない、ようですね、なら教えます」

「ほぉ、言えや!」

 女はさらに蹴りをいれ、メリーをよろめかす。だがメリーはすぐに姿勢を戻し、口を開いた。


「一つ目は、私を蹴るほど、ロボットを、嫌っているのに、大事な娘を、ロボット化する、施設に入れようとしていること」

「それがなに? 社会標準って言ったでしょ」

「ロボットに、なることが? せっかく、ロボットを、創造できる、脳を持っているのに? まぁ、いいでしょう。二つ目は私を、蹴り続けると、永遠に、夕食ができません。それでも、いいのですか?」

 女の動きが止まった。そっと後ずさりする。

「三つ目は、もうわかりますね。学習室の、教育を受けた、お母様なら」

「あんた、サイテーね。処分に出してやる」


「構いません。その代わり、瑠奈を、大事にして、あげて下さい」

 メリーは台所に立ち、再び野菜を切り始めた。


 女は瑠奈のもとへ行き、手を差し出す。瑠奈はそれを右手ではたき落とした。

「ママになんてことするの」

 ささやき、問いかける女に瑠奈は顔を上げる。

「あなたはママじゃない。メリーがわたしのママ!」

 瑠奈と女の関係は0だった。女は破り捨てた『1×0は0』の証明を踏みつぶし、寝室にこもった。

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