救いは王子様ではなく
惑いの森の中程。もうそろそろだろうと懐から取り出した懐中時計を眺め思いながら私は待ち人が来るのをじっと待ち続けた。
何の力も持たないただ人がこの森でじっと一ヶ所で動かないなどすれば、獣や禍つものが寄ってこようというものだが、生憎と私にはどちらも寄付きなどはしないため杞憂である。
……と、見えた。私が待ち続けたボロボロの姿の乙女が一人、ふらふらと歩むその姿が。
彼女は……なんと言えばいいか。
兎に角哀れで不遇な人の子だ。
懸命に生き、懸命に上を目指し、時には周囲を諌める言動も汚れ役も買って出た。称賛されこそすれ、それなりに地位や名誉も与えられるのが相応である。
が、その実直さ故に、貶められ地位を追われ、ここに追いやられてしまったのだ。
穢れた現世ではよくある事。人の歴史を振り返り見ても心優しきもの、優れたるものが悪意や妬みによって迫害されたり地位を追われたりというのが一度や二度ではないという事は優秀なものでなくとも気付くだろう。
今、彼女は様々な思いに胸を痛め、もしかしたら苦しんでいるかもしれないし、絶望がその胸を占めて全てを諦め世界をも諦め生きるのを止めようかとも考えているやも。
まぁ、どんな事を思っていようと彼女が予定通りここに送られてきて、それを私が発見出来たならもう彼女は煩わしい人の世の楔や柵に囚われる事もあるまい。
私が全てを取り除き、真綿で包むようにして育んでやるのだから。
「カノー様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました」
にこやかに笑んでお辞儀をするが反応は薄い。暗殺者でも送られたかと警戒される懸念もあったが、まぁいい。金切り声をあげられたり下手に反抗されるなどといった煩わしいものがないならそれはそれで幸いだ。
「私はユグド。偉大なる方の遣わした使者で、貴女の守護者としてこちらへ送られました。どうぞこれからよろしくお願いいたします」
怯えさせないよう、慎重に距離を詰めてから跪き、そして小さな細いその手をゆっくりと取りあげ己の額へと運ぶ。触れ合った箇所から光が生じ、僅かに熱が生じた後私の額と彼女の手の甲に紋が浮かびそして光は収束する。
彼女の手には赤い花のような紋、私の額には竜のような蛇のような紋がそれぞれ赤と青の色で定着し、これにて彼女と私の主従の契約は完了した。
主は勿論彼女。私が下僕だ。ただし私は彼女と契約する前にもう既に主従の関係となった真の主と仰ぐ方がいるためこれは二重契約だ。真の主によって簡単に破棄できてしまうそんなちんけなもの。
しかしそんな事は露ほどにも知らない彼女は戸惑ったような驚いたような顔のまま硬直してしまった。そんな彼女を眺めつつ、取り上げた手を解放してやり、立ち上がりながら埃を払う。
「さぁ、参りましょうか。空中要塞、海中神殿、古代神の遺跡、食神の台所、呪樹の森、火竜の競技場、悪神の宝箱、どちらに参りましょうか?ああ、それより先に眠りの都にて少し休息を取りましょうか?」
どれもこれも人の子では行こうと安易に考えても行けない夢幻のような場所ばかり。だが、私ならフリーパスを持っているようなものだ。
彼女が望むのであれば全て回ってもよい。
彼女の幸福こそ我が主の喜び。
彼女が再び有能な柱として世界を担うものの一つとなるのが、我が主の至福。快楽。
故に私は与え、護り、慈しむ。
その記憶や感情などが一つ一つ柱の礎になると信じて。
なに、小さな事をコツコツとなしていくのも嫌いではない。聡い彼女ならば駄々をこねる子どものような真似もしないであろうし、さして手もかかるまい。
「カノー様の生れしあの国はもうお忘れになられた方がいいでしょう。……カノー様が散々心砕かれ、ご忠告なされたのを無碍にし石を投げたのですから、すげ替えた女と次期国王によって国が荒れ果て困窮し滅びの道を辿る事になろうと、仕方のない事で御座います。自業自得、己が神とばかりに思い上がったような行動ばかりなさったお馬鹿さん達に時間を割くのは無駄で御座いますから」
彼女を追いやった娘。あれはどうしてかこの世界に生まれる前よりの記憶を所持している。そして前の世界の何かと似通うこの世界を重ね、この世界が自分のためのものだと疑わず、傍若無人に振舞っている。
たかだか数回、回らされるがままに生きて死んでを繰り返しただけの矮小なる魂が一つの世界をどうこうできるわけなどあるはずがないというのに。
今まではただ、運が良かった。若しくは悪かったか。それだけだ。偶然が重なり重なっただけ。
それだけであるのに自分こそがこの世界の『主人公』であると疑わずにあれやこれやとやりたい放題にすれば。あれの末路を考えるのは容易い。
ここは夢幻や空想、絵空事の世界ではない現実なのだから。天に吐いた唾が自分に向かって落ちてくるのが通り。
そもそもこの世界は我が主のもの。それを穢すような真似をしてただで済むわけがない。私も、私以外の主の下に就くものらも許しはしない。
……ああ、私もまだまだ未熟だ。己が使命を忘れ、思考が逸れてしまった。
「余計な事を言いましたね。どうかお忘れ下さいませ。さぁ、共に参りましょう」
彼女が何かを口にする前に眠りの都へと移る術を展開し、その地へと降り立てば彼女はふらりと倒れ、私の腕の中に落ちた。体と精神がある程度回復すれば目も覚めよう。
それまでの予め考えていた予定を確認しつつ、私は宿へと向かって足を踏みだしたのであった。