ep.004 フィナンシェと桜吹雪のヘルメット
「桜子、入るとよ」
の掛け声と、コンコンとノックをするのがほぼ同時のタイミングで、こころが生徒会執務室に滑り込む。
執務室の中には、生徒会会長・鷲尾桜子と副会長兼オーケストラ部部長・若槻美菜、そして、隼人藍が、来月行う予定の“聖クリ音楽祭”をネタに打ち合わせをしながら、お茶を楽しんでいた。
アールグレイの心地よい香りが、部屋中に漂う。
藍が持ってきたお茶受けは、大阪市にある日本橋“カフェ・ド・ヲタロウテ”のフィナンシェであった。
「あら、こころ。どうしたの?」
予想外の来訪者に桜子が少し驚くと、藍がこころの元へ駆け寄って来てフィナンシェを差し出しす。
「こころちゃんは、これが食べたくなったんどすなぁ?」
こころは、“さんきゅ”とだけ言って受け取り、
「桜子、予備のメット有ったやろ?貸してくれんと?」
「別にいいけど」
桜子は、背後のキャビネットから白地に桜吹雪が舞う特製ヘルメットを取り出し、こころに渡す。
「ありがと、助かるとよ」
こころは、桜子に向け手を合わす。
「でも珍しいわね?こころがタンデムなんて?」
「デートどすか?こころちゃん?」
藍が屈託のない笑顔で、合いの手を入れる。
「“そうだ”と言いたいけど、違うと。みぃから頼まれて、直子に話せんといかんとよ」
桜子は少し考え、
「直子って、1年B組の鈴木直子さん?バレー部の?」
「そうったい。その直子。さすがやね、桜子」
その会話を聞いていた、桜子の横に居る副会長の若槻が、
《薄々感じていたけど、ウチが選挙で負けた理由は、これか・・・》
桜子の記憶力に改めて驚いていた。
実際、桜子は聖クリの全生徒、全教員、そして、果ては食堂のおばちゃんや事務のお姉さんに至る全職員の顔、名前、所属、誕生日等がインプットされている。
とはいえ、桜子は生徒会会長にしては忙しく飛び回るので、実務サポートに前会長の三年・若槻を、自らの推薦で副会長に引き入れたのだ。
それはまた別のエピソードで語るとして・・・。
「じゃあ、遠慮なくメット借りるとよ。桜子、ありがと。ウチは行くと」
出て行こうとするこころに、桜子が声を掛ける。
「なんね?」
「参考までに聞きたいんだけど、来月の音楽祭、何が聞きたい?」
こころは少し考え、
「ウチは、メイのクラリネットが聞きたかね。あの子、ずっと影で練習ば、しとっと。かなり上達しとるとよ」
そう言い残すと、執務室の扉がバタンと閉まる前にいなくなってしまった。
《急がんといけんね・・・》
こころはそんな事を考えながら、愛機V-maxの待つ駐輪場を目指して、再び駆け出していく。