ep.016 冷たい炎
「はい、稲美さんのお兄さんは、よくお電話を掛けていらっしゃいます」
「どんな事でです?」
今度は、桜子が問う。
「鷲尾さん、鈴木さんはバレー部なのよ、でも稲川さんは・・・」
即座に解答を、桜子は出すと、
「何も入っておられませんよね?」
「そうなの・・・。この前も、夜の8時前に学校に電話があって、『まだ雪江は帰宅していない。何時に出たんだ、どんな躾しているんだって』、えんえん1時間も・・・」
桜子が、深いため息を吐き、
「躾は、保護者が行うもんですよね、普通」
聞いていた睦月が頷く。
「ただ・・・」
「ただ?どうしました?橘先生」
かなり、橘は躊躇っている様子である。
睦月は、橘の手を取り、目を見つめた。
「一人で背負い込まないで、僕が一緒に担ぎますから、おっしゃって下さい」
その言葉は、限りなく優しい。
見兼ねた桜子も、
「橘先生、私も力になりますから」
と力いっぱい微笑んだ。
「鷲尾さんも・・・、ありがとう」
橘は、白衣からハンカチを取り出し、目元を拭い、
「ええ、話さなくては、理解りませんものね・・・。そうやって、電話でクレームを聞いていると、稲美さんが帰ってきたみたいで、お兄さんは電話を放り出し、何か言い出したんです」
睦月は握る手に軽く力を込め、
「何と言ってましたか?」
「はい、聞こえてきたのは、頬を叩く音、『何処言ってやがったんだ、心配かけさせるんじゃねぇ』と言うお兄さんの台詞、そして、『アタシが何処行こうと、アンタには関係ないだろ!』と怒鳴る稲美さんの声。正直、もの静かな彼女がここまで声を荒げるのにも、びっくりしました。ここまでは、思春期のよくある家庭内のいい争いだと思います」
「違ったんですね?」
桜子が状況を想像し、恐いくらい冷静に聞いた。
橘は頷く。
「電話口の向こうから聞こえてきたのは、『まだ、立場が理解ってないようだな!』と稲美さんと同じように声を荒げるお兄さんの声。それと・・・」
橘は身震いすると、
「更にこう言ったんです『身体で理解らせるしかねぇか、おい脱げ、さっさとしねぇか』、それから、何かを破る音、しばらくして、聞こえてきた若い男と女の喘ぎ声・・・。私がそうやって呆然と聞いていると、電話はいきなり切られました・・・」
ずっと誰にも話せなくてて、辛かったのだろう、橘の目に涙が溢れる。
睦月は橘を抱きしめ、
子供をあやすように諭した。
「お辛かったでしょう。もう安心ですよ」
「睦月先生・・・」
妹を溺愛する睦月の目に、恐いものが宿った。
ちらりと睦月が、桜子を横目で見る。
窓は開いてないハズなのに、桜子の髪の毛が舞った気がした。
桜子は、静かに怒りをもたげつつある。
まるで冷たい炎の様に・・・。