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クロの死神  作者: 莉子
本編
2/2

港町の源さん



季節は春。


真っ青な空。


鼻をくすぐる潮の香り。


活気のある人の声。



今回の対象は古い港町に住む源次郎さん。


源さん、と呼ばれて街の人達に親しまれている。



死因は老衰。


ひ孫まで居るご長寿で、余命は三日。


平均的な宣告期間だ。



僕は庭の木の上から、源さんの家の縁側を見下ろした。


源さんは、庭がよく見える位置に置かれた揺り椅子の上で、暖かな日差しを受けてまどろんでいる。


いつもなら夜の闇夜に紛れて接触するんだけど、源さんは高齢だし寿命も近いから、変に驚かせてぽっくり亡くなられては困る。


明るいうちに姿を見せて、なるべく穏便に話をしよう。



僕はふわりと木から飛び降りる。


庭に降り立った僕の気配を感じたのか、源さんがゆるりと目を開けた。


顔も上げようとせず、動くのが辛いのだろう様子が見て取れる。


白内障なのか、目の奥の瞳孔が少し白く濁っている。


それでも、瞳には理知的な輝きが宿り、長く生きてきた貫禄を感じさせた。



明るい庭に立つ真っ黒な僕の姿を、源さんはどう見ているんだろうか。



僕は、源さんにゆっくり歩み寄り、なるべく優しく見えるように笑顔を浮かべて告げた。




「初めまして、源次郎さん。僕はクロ。死神です。貴方の余命を告げに来ました。」




僕のその言葉に、源さんは顔を上げた。



そして、優しい声で言う。



「……お迎えですかな?」



穏やかな声色。


生きてきた年月を感じさせる白いひげを蓄えた口元が、柔らかな笑みを浮かべた。



その源さんの様子から、僕や死に対する過度の恐怖や、自棄な気配は感じない。


僕は安心すると同時に、職務を果たすべく、源さんの瞳を真っ直ぐ見て告知する。



「源次郎さん。貴方のこれまでの善行を表し、三日の余命を告知します。身辺整理や、親しい方とのお別れなど、残りの時間をどうぞ有意義にお過ごしください。今、僕の声や姿は貴方以外には認識できません。やり残したことがあれば、世間に大きな影響が出ない程度でなら、そのお手伝いをすることもできます。お邪魔でしたら姿を消すことも可能ですが。」



と、そこまで話したところで、源さんはゆるりと首を横に振り、



「いえいえ、構いません。むしろ居てください。子供も孫ももう一人前になり、妻もいません。死神さん。どうかこの寂しい年寄りの話し相手になって下され。」




そう言って温かく微笑んだ。







「もうそろそろかと思っておりました。私は十分生きた…。良き友人にも恵まれ、もう子供も孫も大きくなってそれぞれ家庭を築いております。

…余命のことですかな?なぁに、告げることはありません。そんな野暮なことを告げて、家族を不安にさせたくはありません。私が死んだその日にだけ、ほんの少し悲しんでもらえればそれでよいのです。残してやれるものも何もありませんから、立つ鳥跡を濁さず、静かに去ることにします。

…あぁ、それにしてもお迎えがこの季節とは、嬉しいことです。私はこの季節が一番好きなのですよ。彼に会ったのがこの季節でね。

彼は親友です。とても世話になりました。家族ぐるみの付き合いでね。孫ら同士の代まで仲良くしてくれているのですよ。それは気立てがよく、まだ若かった頃の私がふざけて悪戯をして怪我をさせてしまった時も、優しく諫め、後悔する私を『大丈夫だ』と笑って慰めてくれました。

妻も彼の紹介でね。彼の連れてきてくれた彼女に、私は一目ぼれでしたよ。

あぁ、そういえばいつだったか…。彼とその家族と共に、私の子供らも連れて、海まで遠出したことがありましたなぁ…。まだ幼かった子供らが落ちていた小鳥を見つけ、虐めておりましてな。私と彼と二人して子供らを叱ったものです。幸い小鳥に大きな怪我は無かったようで、彼が近くの木の上に戻してやると、嬉しそうにパタパタと羽を羽ばたかせておりました。

……あの時の小鳥がお礼を、ですか?…それは…嬉しいことです。助けに入ったのも、木の上に戻したのも彼だというのに…。私のことまで覚えていてくれたばかりか感謝まで…。

……やり残したこと…。……そうですねぇ…いざこうなるとなかなか思いつかないものです。

子供らも自立しておりますし、整理しなければいけないほどの物もそうありません。別れを告げようとも思いません。出来ればこのまま家を出て、どこか遠いところでひっそりと死にたいほどです。まぁしかし…ガタのきたこの体では、一人で遠出などできませんな。昔は暇を見つけては彼と外へ遊びに出たものですが……。

あぁ…そうでした……。彼は今……。」




そこで言葉を切って、源さんはふと、青い青い空を見上げた。



遠くの何かを想うその目には見覚えがある。




今までの仕事の中で沢山見てきた……未練がある者の目だ。




僕は静かに源さんの言葉を待った。


「……彼がね、病を煩い街の病院に入院しているのですよ。この体ではもう遠出は難しく……長らく彼には会っていません。

この命尽きるというなら、その前に一目…彼に…彼に会いに行きたい。…家族は反対するでしょう。彼の家族もまた……。

死神さん…この老骨の小さな未練に、付き合ってはくれませんか。」




僕は少し迷った。


源さんはかなりのご高齢だ。


そんな体で無理をしたら寿命を縮めてしまうかもしれない。



そうなったら始末書ものだ。


ただでさえ閑職といえる立場なのに、上司や同僚に何を言われるかわからない。




だけど、僕は答えた。





「えぇ、勿論。」










源さんはそのまま家を飛び出した。



何も持たずに、何も残さずに。



反対されるだろう、なんていろいろ言っていたけれど、きっと、自分の足で、歩いて会いに行きたかったのだ。


一人で病と闘う彼の元へ。




源さんの足取りは、あと三日で亡くなるなど信じられないほどしっかりしていた。




源さんは歩いた。


町の人達とすれ違って驚いた顔をされても、呼びかけられても立ち止まることなく。



僕は源さんの後ろを付いていきながら、その姿をずっと見ていた。



今の僕は源さんにしか見えない。


そして、何にも触れることはできない。



手を貸すことは簡単だけれど、そうすると、僕の姿は他の者達にも見えるようになってしまう。



それは僕にとっても…そして源さんにとっても良くないことだと思ったから。












何時間経ったのだろう。


もう周りに人の姿はほとんどない。


源さんがふらついた。



僕は思わず姿を現し、彼を支えた。




「…っ…大丈夫ですか…?」


「…あぁ…すみませんねぇ…死神さん…。年甲斐もなく張り切ってしまいました。やはり年には勝てません…。誰かの手を借りねば、こんな散歩さえ辛い…。若い頃はあんなに野山を駆け回ったというのに…。」



そう言って、源さんは悲しそうな顔をする。





だが、それでも彼はゆっくり歩きだした。


僕は彼の体を支え、寄り添ったままそれに続く。




歩く、歩く。



ずっと。



真っ直ぐ。




先を見て。







前を見据える彼の瞳は強い。


きっと、源さんには見えているのだろう。



彼の姿が。




ずっと、見えていたのだろう。



そこに行けない自分を、もどかしく思いながら。






そして今、残り少ないと分かった生の炎を燃やして、前に進んでいるのだ。






僕は、生きる者のこういう姿が、とても好きだ。


源さんのような対象者たちの強さに力をもらって、僕も前を向いていられるのだ。



この仕事をしていて良かった、と思えるのだ。
















二日二晩、僕たちは休憩を挟みながらも歩き続けた。







そして三日目…僕たちはようやく街へたどり着いた。



彼のいる病院は目の前だ。




源さんの瞳が輝いた。



真っ白で無機質な建物。




その隣に見える中庭。




そのベンチに、看護師に付き添われながら空を眺める老人が座っていた。






僕にかかっていた重さがなくなった。


源さんが一人で歩き出す。



僕はその場に立ち止まって、それを見送った。



ゆっくり、ゆっくり、源さんは彼に近づいていく。





それに気づいた老人が、源さんの方を向いて…。







「…源次郎……か…?」






老人がそう声を漏らして目を見開いたその瞬間、源さんは力尽きたように声もなく、彼に寄り添った。



彼は源さんの背中を労わるようにゆっくり撫で、ぽろぽろと涙をこぼしながら言う。








「会いに来てくれたのか…?こんな遠くまで…?最近歩くのも辛そうだと聞いていたのに…。私に会いに来てくれたのか……?」







そんな彼の腕の中で、源さんは嬉しそうに尻尾を左右に一振りし、わふっと声をあげて眠るように目を閉じた。









あぁ……刻限だ。



長かった源さんの十八年の生涯は幕を下ろし、その魂は天へと昇る。



僕は仕事を全うするために源さんの方へ歩み寄る。


体から離れた魂を僕の鎌で断ち切って、彼を天国へ導くのだ。








――その時だった。



源さんの体を抱いた彼が僕に視線を向け、不思議そうな顔をした。




あぁ、うっかりしていた。


姿を現しっぱなしだったんだ。




僕は彼の目を避けるため、どこかに隠れて姿を消してから近付こうと、一旦踵を返す。



僕の首元に下げられた銀色のプレートが、その動きに合わせて揺れ、きらりと光を反射した。





それは死神の所属を示すもの。






「余命告知課 日本支部 飼育動物担当員 死神番号九十六番」




そのプレートを掲げるように胸を張り、僕は自慢の黒くしなやかな尻尾を一振りして、機嫌よく声をあげる。









「にゃあ。」







僕はやっぱりこの仕事が大好きだ。






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