終わらない怪談話
「それでさ、腹が痛くてトイレの一番奥の個室に入ってたら、ノックの音が聞こえてさ。
おかしいな?って思ったんだ。オレがトイレに入った時、他の個室は全部ドアが開いてたから。しかも、声とか足音はしなくて、ドアをノックする音だけ。
入り口側の個室から順番に近づいてくる音がなんとなく怖くて、オレは息を潜めたんだ。手前の個室三つがノックされて、ついにオレの居る個室の扉が叩かれた……!
……だけど、何も起こらなくてさ。ほら、定番のドアの上から覗き込んでくるとか、そういうのも無し。でもやっぱり怖くて、こっそり静かに出てみたらさ……他の個室のドア、三つとも開いたままなわけ。じゃあ、なんでノックしてたんだよ!ってビビって手も洗わずにトイレから飛び出して、部活の後輩に話したらさ……そいつ、こう言ったんだ。
『先輩、あそこのトイレ、個室三つしかないですよ……?』って……」
「なるほど、お前は謎の四つ目の個室……つまり掃除用具箱に入っていたのか」
「ちげーよ!なんで掃除用具に囲まれて用足さなきゃなんねーんだよ!?オレは変質者か!」
真面目な、本当に真面目な顔でずれた感想を述べた賢治に、最近もっとも怖かった体験談を話していた洋一は激しくツッコミをいれた。
昼休みの放送室。
放送委員は当番制で昼休みに音楽放送を流す仕事があるから、と弁当を持って教室を出た史郎に、洋一、賢治、充斗の三人はついて来た。
史郎が部屋に掛けられた壁掛け時計で、一時ちょうどをしっかり確認し、本日の一曲目を再生。弁当をつつきながら、次のクラシック音楽に切り変えるまで二十分くらいは余裕があるからと、洋一が切り出したのが先程の怪談話だ。
史郎は一人椅子に腰掛け、他の三人は床に円を描く形で座っている。怪談やるなら電気消そうぜ!と言った洋一の意見は充斗に却下された為、窓はなくとも放送室内は明るかった。
「どうせ個室の数を見間違えたとかじゃないの?だって洋一だし」
「充斗さぁーん……。オレ、さすがにそこまで馬鹿じゃないぞぉ?」
「そうだよ、充斗。とってもアレな洋一だって、両手の指の数ぐらいの数字ならたぶんカウントできるよぉ。ボクはそう信じてる!」
「あれ?オレ、史郎にも馬鹿にされてない?史郎さん?」
しょんぼりとする洋一の肩を、やはり真面目顔を崩さない賢治が慰めるように叩いた。ただし言葉でフォローはしない。充斗と史郎には口で敵わない事がわかりきっているからだ。
その代わり、洋一いじりの流れを変えるように賢治は尋ねた。
「充斗と史郎は、何か知っている怪談話はあるのか?」
「んー……僕が小さい頃の不思議な話で良ければあるかな」
充斗がそう言えば、落ち込んだ雰囲気から一転、洋一の顔が期待に輝いた。彼はへこみやすいが、立ち直りも早い。クラスメイトの女子曰く、「楽しいけど面倒くさい奴」でる。
話をせがむ洋一に苦笑しつつも、充斗は喋り始める。
「僕が小学生の頃、毎年夏休みは家族で祖母ちゃんの家に行ってたんだ。夏休みが始まってすぐの二週間ぐらいそっちに泊っててね。
確か、四年生の時だったかな。お祖母ちゃんの家ってすごく田舎で、周りは田んぼと山ばっかり。まぁ、僕は海より山派だから良かったけど。それである日、一人でこっそり山に登ってみたんだ。普段は必ず父さんと一緒だったから、冒険気分でね。そうしたら見事に迷って、夜になっちゃって」
「うわぁ……。それ、リアルに怖いねぇ」
史郎の言葉に充斗は頷いた。
「うん。子供ながらに死ぬかと思ったよ。暗い山の中、獣道ですらない斜面を必死で降りて。やっと麓に辿り着いて道路に出られて、偶然通りかかった駐在さんに保護してもらったんだけどね……。
でも、迎えに来た父さんの様子がおかしかったんだ。父さんは僕にこう訊いた。
『充斗、お前ついさっきまで家にいたはずだよな?』って。
僕が山に行ったのはお昼を食べてすぐで、保護されたのは夜の九時ごろ。でも父さんは僕がずっと家に居たって言うんだ。宿題してて、母さんが切ってくれたスイカをおやつに食べて、七時ごろには家族で夕食食べてたって。駐在さんから電話がかかってきた時も、一番静かな和室で宿題してたはずで。電話をうけて慌てて和室に行ったら、机の上に宿題のプリントと筆記具があるだけで僕の姿は消えていたらしい。
帰って確かめたら、確かにまだ手を付けてなかったはずの宿題が終わってたよ。ただ、文字は無理に僕の筆跡を真似たような感じだったけど。
まぁ、それ以来何も起こってないし、狐にでも化かされたのかな?」
僕の話は、これでお終い。
そう締めくくられると、周囲には何とも言えない沈黙が漂った。どこか遠くから放送の音楽が聴こえてくる。
思ったよりガチだ。しかも不思議系ではなく不気味系だ。三人の目はそう語っていた。充斗は居心地悪そうに身じろぐ。
「な、なにこの空気……?そうだ史郎は?史郎は怪談話のネタってないの!?」
「うーん……ボクはあんまり。強いて言えば、さっき放送室に来たときのアレかなぁ」
そもそもこの怪談話が始まったきっかけは、放送室を訪れた際の奇妙な現象が原因だった。
ドアの鍵を開けようと鍵を差し込み回したら、逆に鍵が閉まり……つまり鍵が開いたままで、電気も付いたまま。さらにはドアを開ける直前まで、中から人の声がしていたのに誰も居ないという。
声に関しては史郎と充斗しか聞いていないが、それにテンションが上がった洋一が「なぁ、怪談話しようぜ!」と言いだして、今に至るのである。
「でも放送室に幽霊が出るとかって、ボクは聞いた覚えないんだよねぇ。鍵と電気は誰かが忘れたんだと思うけど、声はなんだったんだろ?」
「だーかーらーさ!絶対幽霊だって!」
「……洋一ってさぁ、どうして怖いの苦手なのにそんな好奇心旺盛なの?」
ちげーし!怖くねーし!と、図星を指された洋一が騒ぐ。怖がりのレッテルを返上しようとでも思ったのか、彼は「じゃあ次!賢治な!」と元気よく指名した。
空になった弁当箱を無地の巾着にしまいつつ、賢治は眉根にシワを寄せて暫く考えた後、ぽつりと。
「最近、ベッドで寝てる自分を見下ろす夢を頻繁に見るのと、寝ていると誰かの気配を感じるぐらいで、特に何もないな……」
「あるあるある!それ普通にホラーだから!オレだったら寝るの怖くなるから!何お前、そういうのがナチュラル現象なの!?」
「すまん、洋一。ナチュラル現象とはなんだ?」
「賢治、気にしなくていいよ。たぶん洋一のオリジナル単語だろうし。でも珍しいね。賢治ってそういうのには無縁じゃなかったっけ?どうせなら詳しく聞かせてよ」
「詳しく、と言われてもな……」
他の三人が各々の弁当箱をしまう間、賢治は極力詳しく事を思い出そうと努力するが、少しして首を横に振った。
「駄目だな。寝ている時の気配は気のせいだろうし、夢の方も頻繁に見るのが不思議なだけで、怪談としては話せそうもない」
「えー!?なんでだよ!ちょっとぐらい盛ったっていいのにさー?」
洋一のブーイングに賢治は「すまん」と謝り、充斗が洋一を小突き、史郎は蹴りを入れた。
やめてぇ!オレを苛めないでぇ!と、どこか楽しそうに洋一が叫ぶ様に、史郎は心から残念に思った。こいつ、黙っていればボクと同じぐらい顔は良いのになぁと考えてつつ、史郎は肩をすくめ放送機材に向き直る。そろそろ次のクラシック音楽をかける時間だ。
後ろで三人が他にネタはないのか、別に体験談限定じゃないしと約一名が盛り上がる中、史郎は壁に掛けられた時計を見上げた。
十二時、五十五分。
「え?」
放送室の扉から、鍵をかける音がした。
「あれ?もしかして鍵開いたままだった……?」
「というか、今、誰か居なかった?声が聞こえた気がしたんだけど」
「えー?なになに?」
「どうした?何かトラブルか?」
鍵を開けたつもりが、逆に閉まったドアに首を傾げれば、充斗、賢治、洋一が口々に言った。
もう一度鍵を差し込み、回す。ドアが開いた先は、明かりに煌々と照らされた室内。
誰もいない。
「ねぇ、充斗。誰かの声、してたよねぇ?」
「うん、僕だけなら聞き間違いで済むんだけど……複数人の声、してたと思う。史郎にも聞こえたんでしょ?」
なんか、不気味だね。そう二人は目配せした。
昼休みなので、他の生徒が忍び込んで弁当でも食べていたのかと考えても、放送室内には隠れられるような場所はない。間違いなく誰も居ないし、誰かが居た痕跡も見当たらない。
入り口で固まっていても仕方ないので、室内に入る。史郎が今日の一曲目のCDを探し出し、機材にセットしている間に、充斗が複数人の声の件を話したらしい。時計が一時ちょうどであることを確認して、一人椅子に座った史郎が振り向けば、そこには円を描くように座った三人の友人たち。
その内で唯一喜々とした表情の洋一は、こう言った。
「なぁ、怪談話しようぜ!」
――怪談話は、終わらない。