二人の時間
俺は自室のベッドに寝転んでいる。寝具一式はかつて女からプレゼントされたもので、ベッドはふかふかだし、掛け布団は風通しがとても良い。ただし、枕はこの町で手に入れたものを使っている。彼女に貰った枕は俺には高すぎるからだ。
ベッドの周りには本が散乱している。そのどれもに魔法という単語が付いている。目に付いたものを身を乗り出して取ろうとする。腕が短くて届かない。諦めてベッドに身を横たえる。
暫く寝返りをうったりして暇を潰していると、ドアを開けて女が入ってくる。体を起こして彼女に声をかける。
「よお、どっか調子が悪いとかあるか?」
彼女が答える。
「大丈夫よ、何も問題は無いわ。商品として扱われていた時も、万が一あなたの目に入らないかを気にしてかしらね。そんなに待遇は悪くなかったの。連中自分が食べるものよりも良い物を食べさせてくれたのよ。それに」
彼女は身を屈めて俺の目をじっと見つめて、それから言葉を続ける。
「さっき、ご飯を食べてるときにね、あなたの傍にまたいられるって実感できたの。それがわたしには何より嬉しいことなのよ。体に何かあったって、調子が悪いなんて言えないわ」
彼女の言葉を聞いて頬が熱くなるのを感じる。彼女の瞳から視線を逸らす。口を開きかける。寸前のところでそれを止める。ベッドに彼女が座れるだけのスペースが出来るように場所を移る。投げ出した足を揺らしながら彼女に座るよう促す。
「あいつのことで話があるんだ。ちょっと長い話になるかもしれない。から、まあ、座ってくれ」
彼女は言われたとおりに俺の隣に腰掛ける。俺は体を横たえて彼女に一つ問う。
「あいつの目的が何かは覚えているか?」
その問いを聞いて彼女は少しだけ目を伏せる。足を組み、潰れた太腿に視線を落とす。目を瞑る。長い睫の先端が小刻みに揺れている。肩に垂れていた髪が流れて、彼女の顔を遮ってしまう。彼女が口を開く。
「顔、見すぎ」
予期せぬ言葉に思わず声が漏れる。
「え?」
彼女が顔を上げる。髪で隠れていた表情が露になり、頬がほんのりと赤くなっているのが見える。彼女は少し低い声で言う。
「こっち見すぎ」
彼女の指が伸びてきて俺の頬を突く。俺は彼女よりもずっと顔を赤くして言う。
「わ、悪い」
彼女は少し笑って、それから俺に言う。
「大丈夫よ、覚えてるわ。誰の目にも触れない。誰も立ち入ることができない。そんな場所で死にたい。でしょ?」
その回答に俺は頷く。少女の願いは正しく彼女が言ったとおりだ。死に場所を求めて一日中都合の良い場所を探し続けている。そして、俺はそうした彼女の頑なな意思を折ってやろうと企んでいる。
彼女に本題を切り出そうと口を開きかける。しかしその前に彼女が口を開く。
「あの時のあの子の目、初めて会った時のあなたの目にそっくりだったの」
彼女の方を見る。彼女も俺の方を見ている。俺からすると彼女の目線はとても高い。彼女に言う。
「でも、あいつを見るお前の目は、かつて俺を見た時の目とは違っていたな」
彼女は俺に笑いかける。彼女は言う。
「そうね。あの時ほど幼くは無いし、たくさんのことを、色々な人に教わったもの。何の為にとは言わないけどね」
俺は彼女から目を背ける。溜め息を吐いて、彼女に問う。
「やっぱり、似てるか。俺とあいつは」
「ええ」
間髪入れずに返された答えに俺は笑ってしまう。俺は彼女に言う。
「なら安心したよ。お前はスペシャリストだもんな」
彼女は軽やかに言い放つ。
「あら、あなただってすぐにでも専門家になれるわよ。経験は自分の中にあるんだから、ちょっと意識的になればいいだけの話よ」
彼女に問う。
「そういうものか?」
彼女が答える。
「そういうものよ。ああ、それとね」
一つ咳払いをして言葉が続く。
「自分が照れ屋になって鈍感になってるみたいだけど、わたしだってじっと見つめられたりしたら恥ずかしいわ」
俺が答える。
「そういうものか」
この町の何処かでは今も林檎が育っている。