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軌道(前編)

 ※今回は三人称で書かせていただきます。

 そのまま書き起こすと冗長だと判断しました。ご了承願います。

 リアルでの忙しさと、複数回のインタビューを整理してまとめるのに時間がかかってしまいました。申し訳ありません。

 それでは、本編どうぞ。↓




 シオリさん(仮名)は、東日本のある山村の出身である。

 その村にほど近く、村民が「めん場」と呼ぶ山があった。

 シオリさんは思い出せないほど小さい頃から、めん場には絶対入るなと言い聞かされていた。

 あくまで村の中の不文のタブーであって、正式な宗教団体が掲げているようなものではない。正確にどこからが「めん場」なのかは、それを囲む形で高さ1メートルくらいの石の五角柱が点在していることで示されていた。

 石柱には何も書いていない。紐か何かで繋げているわけでもない。外部の人間なら見落としてしまうだろうし、存在に気付いたとしても「立入禁止の印だ」と直感的に分かるようなデザインではなかった。

 そもそも石柱と石柱の距離はまちまちだがかなり長い。知らないと見落としてしまう。もし森の中を迷いながら歩いていたりしたら、物理的に全く石柱を見ないまま、知らないうちに「めん場」に入ってしまう可能性もあった。

 部外者に告知することを想定していない。

 それだけ、人の交流が乏しかった大昔からの因襲なのだろう。


「でも私たちは絶対に入るなと脅されて育ちました」


 私「たち」というのは、女性のことである。

 彼女だけではなく、村の女性全員がそうだった。いわゆる女人禁制というものである。

 女人禁制の地はかつては各地にあった。だが今は一般的には奈良県の大峰山以外、日本には残っていないとされている。ただ、「めん場」のそれは外部に公開しているものではない。他にも未だに各地にはこうした「非公認」の禁制が残っているのかもしれない。

 なぜ女人禁制なのか。

 女性が「めん場」に入ると、村には奇形の子が産まれるのだ。

 入った本人が産むと決まっているわけではない。

 その地域に、近いうちに生まれた子が奇形になる。それも特殊な奇形になる。

 体のどこかが「輪っかになって」しまっている赤ん坊だ。

 要するに、例えば右手と左手が先端でくっついてた状態で生まれて来る。体に「輪」があるのだ。だから「ワゴ」。昔からそう言われていた。どことどこが接着しているかはその都度違うらしいが、とにかく体のどこかに輪が作られる。

 ワゴは、めん場のどこかに49歳以上の男が持って行って埋められる。親族はその子の葬式や忌引きをしない。生まれてこなかったものと見做されねばならないらしい。

 めん場の中のどこに埋めるのかはシオリさんには分からない。ついて行くことは当たり前だができないし、聞くこと自体できなかった。

 女の子がめん場のことを知りたがっただけで、体罰をもって報いられた。それだけタブーだったのだ。

 

 奇形ぐらい祟られなくても生まれると、口で言うのは簡単だ。

 だが実際、人口が少ないにも関わらず、シオリさんも子どもの頃から「またどこの家にワゴが生まれた」という話を何度も聞いている。純粋な自然の奇形にしては明らかに多かった。

 シオリさん自身、長女だが、本当はそうではないはずだった。

 兄か姉になるはずの子は「ワゴ」だったのだ。両足がまるで電車のつり革のような形に丸く接着していたらしい。

 その時めん場に侵入した女性の見当はついているという。だが彼女は村の人間ではなかった。

 当時、少し離れた山で遭難事件があった。報道のために飛んだヘリコプターが、村の上空そして「めん場」の上空を横切った。その中に女性が一人いた。それだけのことだった。

 外に訴え出ることはできなかった。

 ヘリコプターの乗員に何の悪意もない、何も知らない。

 先述したように、村民以外は知らないタブーである。相手にされないことぐらい分かっていた。

 村のある側から入るのなら止められるとしても、村人に連絡なく逆側から入ったような場合には、掟を知る機会さえない。

 役所か何かの土地の調査。山の開発会社。単なる登山者。

 そういう人が勝手に入り込んでまた出るというようなことも、誰も知らないうちに時々あるのかもしれない。

「人気の登山スポットがあるわけでもないので、しょっちゅうは無いはずですけど……」

 とシオリさんは言うが、ずっと昔はワゴはたまに生まれて来るだけのものだったらしい。なぜ今は多いのか。説得力のある答えを彼女は持っていない。


 

 彼女が通っていた小学校では、生徒数は一学年に多くてもせいぜい数人。全学年合計して15名ほどだ。同級生はおらず、その1つ上と2つ上の学年も生徒数ゼロだったという。

 いわゆる限界集落ほどではないとはいえ、村は人口が少なかった。

 要するにシオリさんは、4年生の時から3年にわたって、小学校の一番年上という特殊な立場にいた。

 その学校唯一の教師である女の先生は、シオリさんに繰り返し「だからあなたは下級生の面倒を見なくちゃいけないのよ」と役割を押し付けた。都会の感覚なら、それは本来先生の仕事である。学年さえ違う無関係の子の面倒を生徒が見るのはおかしいと思えるだろう。だが教師の扱いは田舎と都会では違う。都会ではただの凡人だが、田舎ではしばしば唯一の「学のある人」であると同時に公務員つまり「お役人様」であるという前時代的権威の後光を着ているのだ。学校の中の事情を覗きこんで、教師の方針に文句を付けるような大人は村にいなかった。

「私も単純だったんでしょう」

 シオリさんもまた、教師に言われるがままその気になって、子どもたちのまとめ役を精一杯務めたのだそうだ。

“彼”が新一年生として入学してきたのは、その1年後。シオリさんが5年生のとき。

 変わった子だったという。

 S君という、村ではかなり有力な部類の家の子で、勉強は誰よりも得意だった。が、運動はからっきし苦手で、周囲と話すのを好まないおとなしい少年だった。都会ではともかく、野山をかけまわって遊ぶ子ばかりの田舎では、相当悪目立ちする部類の子だ。

 そのため村の悪ガキどもから、日常的にいじめを受けていた。特に酷かったのはS君の一学年上のOという少年で、何かと彼に因縁をつけて暴行を加えていた。

 加害者たちの親も最初はS君の親の権力に遠慮して、いじめた我が子を怒鳴りつけたりしていたものの、次第にいじめを許容する空気になっていった。S君の親も、いじめは抵抗できない被害者の弱さに責任があると考えるタイプで、息子がいじめの被害にあっている事実をあからさまに侮辱したり弱虫呼ばわりした。そうと分かれば加害者の箍は簡単に外れた。同じ学校にS君の姉もいた(シオリさんから見て一学年下だった)が、彼女も弟を守るより村の空気に迎合する方を選んだ。

 それでもシオリさんは彼の面倒を見ようとした。目の前でイジメが起これば止めさせた。

 今から振り返れば、いじめが悪いという純粋な正義感や、ましてやS君への好意なんかではなく、自分がリーダーなのにいじめが起こるなんてという、一種のプライドのようなものだったという。

 他の子にちょっかいを出されていない時、S君はしょっちゅう学校のささやかな図書室に籠って本を読んでいた。卒業前におそらく図書室中の本を読み終わっていたのではないかという。

 特に理科の本が好きで、図鑑類や『科学のアルバム』という写真入りのカラフルなシリーズ本が大のお気に入りだった。

 当たり前の帰結であるが、彼の知力は他の子を大きく引き離し、逆に体力面ではどんどん引き離されていった。そして山村の子供社会で物を言うのは、もちろん体力の方だった。

 彼と他の子の距離はますます離れていった。

 S君もイジメに対してただ沈黙していたわけではない。知識を武器にして侮辱を返した。村の子たちが、虫や動植物のことを俗称・地方名で呼ぶのを、彼は嘲笑った。

「バカだな、それ本当は○○って言うんだよ」

 などと、科学の本から身に着けた「本当の名前」を振りかざし、小馬鹿にするのである。

 憎悪の応酬。イジメはエスカレートした。

 彼はある朝は顔中を腫れ上がらせ、鼻の骨を折って登校してきた。大人の拳ぐらいの石を幾つも投げつけられていたのもシオリさんは見た。それでもS君は敵を馬鹿にし続ける態度をやめなかった。

 それでもシオリさんは義務感のような感情から、表面的には優しく接し続けた。

 もちろんシオリさんだって、24時間彼を守るわけにはいかない。彼は次第に同年代の子だけでなく、田舎の村そのものを憎悪の眼で見るようになり、さらにイジメは過酷を極めていった。はがいじめにされて別の子たちに雨あられの殴打を受けているのを止めたのも、一度や二度ではない。

 なぜ自殺しなかったのか不思議なくらいだという。

 田舎の小さな図書室とはいえ膨大な知識と、圧倒的な成績の良さが自分にはあるというプライドが彼を支えていたのだろう。

 彼が時々持っていた自前の本を、Oとその取り巻きによってズタズタに破られたことがある。

 なんでも誕生日に買ってもらった図鑑だそうだが。

 その次には図書室から借りた本まで破られた。

 そのときはさすがにO達は、先生にビンタを受けて説教された。

「男がケンカをするのはしょうがない。相手のものが壊れることだってあるだろう。でも学校の物を取って壊したら泥棒だぞ! 交番に突き出されたいのか!」

 それからはO達は、S君個人の持ち物を選んで、だがより頻繁に壊すようになった。

 ある日、S君は自分の本を図書室に寄付したいと申し出た。

 子供が自分で言い出すような話ではない。先生が問い質すと「だってそうしたら、取った奴らを泥棒にできるんでしょ」と答えたそうだ。

  

 シオリさんが6年生のときの、ある日の放課後である。

 もう夕方近かったがOが他の子供たちを集めて、何かを見せびらかして笑っているのをシオリさんは見た。

「……何してるの?」

 彼が得意げに見せていたのは、500mlのペットボトルほどのサイズと形の、赤い石だった。

 いや、赤い石ではなかった。石に血が付いていたのだ。

「どうしたの」

 嫌な予感がして聞いた。Oはヘラヘラ笑いながら、その石でSを「やっつけた」のだと言った。

「S君はどこにいるの!?」

 樹に縛りつけてこの石で殴りまくったのだという。Oは得意満面だった。Sの姉もその場面を見ていたが、自分には関係のないことという表情をしていた。

「何考えてんの!」

 どこの樹かと問い詰めて、近くの川から遡って行ったところの大木と聞いて、シオリさんは一人で川岸を走っていった。

 背後でO達の「ほっとけよあんなの」「行かなくていいって」という声がしたが無視した。

 Oが何か言い、他の子供たちがそれを聞いて爆笑したのが聞こえた。

 そのときはなぜ子供たちが笑ったのか分からなかった。


 川を遡ったところに大木なんてあっただろうか。シオリさんは思い出せなかった。

 が、とにかく遡って行った。

 そして悟った。

 なぜ自分には思い出せなかったのか。そしてなぜ、下級生達が爆笑したのか。

「めん場」を意味する石碑が川岸に立っていた。

 彼がその向こうにいるのは、明らかだった。


 女の子が「めん場」の中に入るというのが、村の規範にとってどういうことなのか。

 シオリさんももちろん知っていた。

 冗談でも女の子が行ってみたいなどと発言したら、どんな目に遭わされても仕方がないというのが村の空気だった。

 シオリさんが助けるのは不可能だと思ったから、あの子どもたちは笑ったのだ。

 だが、辺りに人はいなかった。

 普段から誰も来ないところで、だからこそOも誰に止められる心配もなくS君にやりたい放題の暴力を振るったのだろう。

 しかし、シオリさんは長いこと、S君の唯一の話し相手だった。彼はシオリさんにだけは色んなことを話した。楽しい、面白いと思ったこと(大半は読んだ本の内容だった)。そして村の子供達や、村そのものへの悪口。

 S君は村の風習や迷信をいつも侮蔑していた。それは「ワゴ」や「めん場」のことも含めてだった。ただの迷信だと馬鹿にしていた。

 彼女自身も影響を受けて、村の言い伝えを甘く見るようになっていたのではないかと、シオリさんは振り返っている。


 迷いを振り払ってシオリさんは、石碑の向こうに一歩踏み出した。


 その途端、周囲から「音」が消えた。

 小鳥のさえずりや虫の声、風で梢や草のこすれる音、そういったものが一斉に静まったそうだ。

 一歩だけ足を出したまま、シオリさんはしばらく固まっていた。

 シオリさんは今のは錯覚だったと思い直した。きっと最初から静かだったんだ。気のせいだ。 

 迷信でしかない、S君の言う通りだ。迷信でしかないはずだ。

 おばけなんていない。祟りなんてない。

 あってたまるものか。

「ワゴ」なんてS君が言う、難しい本に書いてあるトツゼンなんとか(シオリさんは正確に覚えていないそうだが、おそらくS君は突然変異と言ったのだろう)だ。

 必死に自分に言い聞かせながらシオリさんは、川沿いに「めん場」の中を歩き……S君を見つけた。

 

 Oの言った通り、S君は血まみれで大木に縛り付けられていた。

 縛っているものは子供達がコマを回すのに使うような紐。長さが足りなかったらしくつる草でも補っていた。

 縛られただけでなく、彼に直接加えられたらしい暴行の酷さは一目で分かった。体中を擦り剥き、土や木屑、草まみれになっていた。

 それでも彼は自力で紐を緩め、三分の一ほどは解いていたところだった。

 シオリさんは彼に駆け寄って紐を残りの紐を外し、抱きしめた。

 テレビドラマなら感動的な音楽とともにS君が声をあげて泣き出すシーンだろうが、現実のS君は無表情だった。

「歩ける?」

 俯いたままコクリと頷く。

 川の水とハンカチであちこちの血や泥を拭いてやっている間ずっと、S君はまるで人形のようにされるがままになっていた。それでもちゃんと立っているだけでもシオリさんには一安心だった。子供心に、死んでしまっているかもしれないと思ったのだ。

「帰ろう」

 促すとまたS君は頷き、シオリさんの手を握った。

 自分から手を繋いできたのは初めてだった。

 シオリさんは笑顔を作って「怖かった?」と優しく聞いた。世話をする側に戻ることで自分自身の恐怖を忘れられる気がした。

 S君はまたこっくりと頷いた。

「さっき急に静かになってこわかった」

 シオリさんは今の質問を後悔した。

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