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真夜中の地獄

作者: 理人

 いくらなんでもあんまりだ。



 ミツルは目の前ですうすう寝息をたてるリツを見つめながら、小さくため息をつく。

 いい年をした女が、恋人でもない男のベッドでよだれをたらさん勢いでぐうぐう無防備に眠るなんて。いくらなんでもあんまりだろう。

 警戒心云々よりも、まずミツル自身が異性ではないと言われているような気がしていた。

 まあ、実際リツとは幼馴染で中学までは学校での時間もカウントすると、もしかしたら実の親兄弟よりも長く一緒にいたのかもしれない。高校からはお互いの進路先は違っていたが、そのせいで今でもリツとは妹、まではいかなくとも従兄弟ぐらいの感覚は抜け切れていない。

 それだからこそこんな夜中、突然一人暮らししているミツルの部屋にやってきてぐうぐう眠れるのだ。

 まあ、ミツル自身もリツに対して恋人とか、女とかわざわざ意識するようなことは今までなかった。だが、別にリツがミツルの好みじゃないとかそういうことではない。

 いや、むしろ好きな方だと思う。

 リツは昔から運動神経が良く運動会などではリレーのアンカーを任されることも少なくなかった。すらりとした足はまるで小鹿のようだったし、細身の体躯はまるでバネのように弾み、まさに運動場のヒロインさながらだった。

 くりっとした大きな目に、本人は気にしているようだが浅黒い肌。

 そこらの安っぽいアイドルなんかよりもずっと可愛らしいと思っていた。だが、それでもミツルがリツに対して女を感じることができなかったのは、一緒にいすぎた。その一言につきた。

「……んっ」

 ふっくらとした彼女の唇からこぼれおちた甘い声。いや甘いかどうかは別として、ミツルの耳にはそれは悪魔のささやきのように聞こえる。

 誰が見ているわけではないというのに、ミツルは至極真面目きった表情を浮かべながらじいと天井睨む。

 そもそもリツと一緒に寝る羽目になったかというと、なんてことはない。

 彼女の愚痴に付き合わされ、酒を飲んでいるうちに気が付いたら……ということだ。別にやましい事はなにもない。二人とも飲んだときの格好のままだし、寝ているといってもミツルの体の上に彼女の体がのしかかっているといった具合だ。

 まあ、いうなれば潰されているのだ。

 だったら彼女の体を退かせばいいではないかと思うのだが、先ほどからリツはなにを勘違いしているのか。ミツルがもぞもぞと体を動かそうとするたび、振り落とされまいと必死にしがみついてくる。そのせいでミツルの状態は、とてもとても面倒なことになっていた。

 ミツルの格好はグレーのスウェットというどうでもいいような格好だったが、彼女は電車に乗ってここまできたということでキャミソールに膝上丈のふわりとやわらかなシフォンのスカート。先ほどまでは薄手のカーディガンも羽織っていたはずだが、今はそれはない。むき出しの腕が、足がミツルのそれに絡みつき、彼は今、非常に面倒な状況になっていた。

 昔。十年以上前のことになるが夏休みなどは一緒に昼寝をしたことだってある。

 リツはもともと寝相が大層悪く、彼女の足が頬を、腹を蹴り目覚めたことも一度や二度ではない。その頃と何も代わりがないのだが、いかんせんあの頃と今では自分たちの立場や、……その、色々、何もかもが違っているのだ。

 ミツルは再度ため息をつき、天井を睨みつけたまま明後日のプレゼンの内容などを考えてみる。社内コンペで、企画が通れば一気に道が開ける。そのために何度も練習を繰り返し、今では空でも言えるほどになった……はずだった。

 だが、どうしたことかスラスラとでるはずの文言は何ひとつ出て来ない。

 いや、内容も言葉も分かっている。だが、言葉にすることができない。なぜなら

「……んん」

 首筋に触れる柔らかな彼女の唇の感触に、ミツルの心臓の音が一気に跳ね上がった。

 顎下から喉仏へと滑らせていた唇が、突然コースを外れ、彼女の頭ががくりと落ちる。丁度ミツルの肩に顎をのせるような形で動きをとめたリツに、ミツルは思わず目をつむった。

 神様!

 いつもはかけらも信じていない存在にむかって、ミツルは叫ぶ。

 だが、日ごろの信心のせいか。それともやはり神様が気まぐれなのか。叫んだ先からは何も返ってはこない。いや、それどころか先ほどから絡んでいた彼女の足が、ミツルの足にさらに深く絡む。

 緩慢な刺激に、ミツルは思わず喉元までせり上がってきた声を押し殺す。

 まるで地獄だ。

 もしかして、起きているのか。そうおもってミツルは横目でちらりと彼女を見る。が、相変わらずの間抜け面でぐうぐういびきをかいているばかり。他意があるようにはとても見えなかった。いや、他意などあるはずもない。だって――彼女が好きなのは自分ではなく、彼女を一方的に振ったと言う男のはずだ。


「聞いてよ!」

 半年ぶりに会ったリツの最初の言葉は、まさにこれだった。

 いくら幼馴染とはいえ、社会人ともなるとそれほど頻繁には合わなくなった。いや、社会人になる前から少しずつだが距離ができた。それは社会人になり実家を出て一人暮らしをするようになるとなおさらになった。

 思い立ったようにメールでやり取りをしていたが、仕事が忙しくなるにつれそれも難しくなり直接会うのは年に二回がいいところになった。

 まあ、幼馴染なんてこんなものだろう。

 そんなことを思っていた矢先の出来事だった。

 飛び込んできたリツは、堰を切ったように話し始めた。付き合いだしたのは社会人になって二年目のことだそうだ。相手は友人の紹介だという。

 自分はさほどではなかったが、相手は一目でリツを気に入り無理やり押しきるような形で付き合いが始まったと言う。

「……無理やり?」

 思わずそこで言葉をとめたミツルに、リツは肩を軽くすくめ、飲みかけの缶ビールを指で軽く凹ませる。

 ぽこり、という気の抜けた音に、ミツルははっとしたように視線を手元へと落とした。

 無理やり、と言う言葉がひどく耳に障った。

 それが何を意味するかなんて、考えたくもなかった。

 ミツルは煽るように飲みかけのビールを飲み干し、つまみというには貧相なチーズスナックを口に放り込んだ。

 半ば強引にはじまった付き合いだったが、それでも少しは楽しかったこともあったという。だが、それも一瞬。もともと惚れやすい気質だったのか。それとも運命の相手が別にいたというのか。

 男の気が変わると同時に関係も終わった。

「別に好きじゃなかったんだろ。だったらいいじゃん」

 切って捨てるように言うミツルに、リツはんーと声をあげながら軽く首をかしげた。 

「でもさぁ……、なんていうんだろう」

 空の缶をぺこりと凹ませながら、リツはぽつりとつぶやく。

「……別に、嫌いじゃなかったしさあ」

「なんだよそれ」

 むっつりと返すミツルに、リツは肘をついたままふっと口元だけに笑みを浮かべる。

その姿は、かつての浅黒い肌をしたスポーツ少女とはとても思えないほど色気があった。大人の女性だった。

 リツはかるく目をふせ、頬にかかる髪を指先で払った。

 そのしぐさがまるで泣いているように思え、ミツルは開きかけた口を閉じた。

「……馬鹿じゃねーの」

「馬鹿はどっちよ」

 ふふっと笑うその声も、昔とは違う。

 好きだったのだろう。

 今の友人には話せない。だが、言わずにはいられない。それほどまでに好きだったのだろう。

 ミツルは開いていない缶ビールを無言でリツの前に滑らせる。

「飲もうぜ」

「……ん」

 小さく頷いたリツが缶のふたに指をかけた。

 中の炭酸の抜ける微かな音だけが、通りを行き交う車の音がかすかに聞こえる部屋に響いた。

 それからは二人とも会話らしい会話もせずただ只管飲みまくった。

 家にあるだけの酒を飲み干し、気が付いたらこのていたらくだ。

 だらりと四肢を放り出し、ぐうぐうと眠る彼女を見つめたままミツルは呆れたように笑う。まったく、何をやっているんだか。いい年をして馬鹿みたいだ。

「……違うな」

 ミツルは酒の抜けきらない息を吐きだしながら、呟く。

 馬鹿なのはこんな事態になるまで気が付かない自分自身か。

「いやいやいや、違うだろ」

 アルコールのせいか、それとも彼女の体から立ち上る甘い香りのせいか。

 どちらにしても今の自分は冷静とは言い難い。

 リツが妙に可愛いと思うのも、彼女が付き合っていたという見たこともない男に対し異様なまでにムカつくのも、これは一時の気の迷いかもしれない。

 こういう事態は寝るに限る。

 ミツルは上に覆いかぶさったままのリツをちらりと見る。

 相変わらず眠ったまま。わずかに体を動かしてみたが、起きる気配は――なかった。まあ、仕方ない。

 重いことは重いが、アルコールのおかげで眠れないことはなさそうだった。

――ただ一つ、問題を覗けば

 ミツルはゆっくりと目をつむりながら、意識を下半身にむける。

 いつの間にか彼女のほっそりとした足が、ミツルの足の間にもぐりこんでいた。

「……っ」

 ミツルは目をつむったまま、ぐっと顔をしかめる。

 触れるか触れないかというなんとも曖昧な感覚が、冷めたはずの体温を再びゆっくりと煽っていく。

 まったく。

 ミツルは懸命に眠ろうとするものの、緩慢で甘やかな感覚がそれを邪魔する。

 男の下半身は別人格だと言ったのは誰だったか。それが本当だとしたら、上半身は関係ないのだからさっさと眠らせてくれてもいいのに。

「……あんまりだ」

 無意識に、両手が彼女の背中に回っていた。深く深く彼女を抱きしめると、寝息をこぼしていた唇からかすかに喘ぐような声がこぼれる。

 耳朶に触れるその声に、ミツルはああ、と小さく声を漏らす。

 勢いにまかせてしまえと心の隅から声が聞こえる。

 それができれば悩んでなどいないのに。小さく呟いた言葉は、静まり返った深夜の部屋の隅へと消えて行く。

 まだ夜は始まったばかり。無限にも続くこの闇の中、ミツルは再びため息を落とした。



 朝はまだ遙か遠い。


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