第3話
暫く体調が悪いと夜の陛下のお相手はパスさせてもらうことにした。
体調万全の状態でダンス練習に励んだナファフィステアは、みるみる上達していった。
「どう? 随分上手になったと思わない?」
「まあまあね。まだ殿下のレベルには遠いけど」
ふふん。
悔しそうなおネェ先生の様子では、かなり上達したらしい。
「義姉上、本当に上手くなられましたよ」
相変わらず、ジェイナスはかわいいことを言ってくれる。
私を褒めるその笑顔にはクラクラする。爽やかすぎ。
この先、ジェイナスはさぞかし女性を泣かせることになるんだろうなぁ。
「私のダンス練習に付き合ってくれてありがとう。あなたのおかげよ」
「お役に立てて光栄です」
十一歳にしてこの貴公子ぶり。
どんな教育を受けているんだか。
「お礼をしたいわ、ジェイナス。何が欲しい?」
何度尋ねても、ジェイナスは首を振り、欲しいものを口にすることはなかった。
ただ、殿下の役目が終ったことを知ったとき、ジェイナスは寂しそうな顔をした。
それは少しの間で、すぐ笑顔になったけれど。
どうやらジェイナスも私とのダンス練習は楽しいと思ってくれていたらしい。
この歳で既に他人に感情を悟らせないようにしようとするなんて。
自分の立場をよく理解しているということなんだろう。
王弟殿下なのだから、欲しいものは大抵手に入る生活をしているのだ。大抵のものは。
本当に欲しいものでも、手に入らないものは欲しいと言わないのか。
誰かに一緒にいて欲しいといっても、それが強制で実現したものであるなら、本当に欲しいものではなくなってしまうのだから。
翌日、ユーロウスに時間を空けさせ、ジェイナスを誘い一緒に街へ出ることにした。
勿論、私は鬘をかぶって変装して。
「義姉上、よろしいのですか?」
街中を歩きながら、隣のジェイナスは戸惑っている。
一応、私をエスコートしているので、遠目には貴族の子供の姉弟に見えるはずだ。
戸惑いながらも、ジェイナスはあちこちを観て興奮している。
やはり、いいとこの坊っちゃま。
街を歩いたことはないらしい。
「たまにはいいでしょ。警護の騎士も付いてるんだから」
きっと、ジェイナスは、いい子であろうとしてきたのだろう。まわりの期待に応えるように。
王位継承権第一位として大事に育てられ、父にも母にも甘えることもなく。
他人行儀に振舞うことを普通に。
子供なんだから、もっと思いっきり笑ったらいいと思う。
でないと、大人になっても笑うことが出来なくなってしまうから。
私は彼を連れて、サーカスを見に行った。
一般客といっても貴族席だけど、そこで他の客達と一緒になって歓声をあげ、戯けた道化師に笑い声をあげた。
こういうのは、お行儀を気にしてちゃ楽しさ半減だから。
自分の立場や他人の目など気にしないで欲しかった。
さすがに今評判のサーカス一座の催しは面白かった。
ジェイナスは始めこそきちんと座っていたが、みるみる引き込まれて行き、私と一緒に声をあげていた。
隣に座っていた私は、途中からジェイナスのことも忘れて芸に夢中になってたから、多分、なんだけど。
本当にすごかった。命綱なしであんな高いところで紐の上を歩くなんて。
でっかい猫もどきが可愛らしく芸をする様も。
その猫もどきの毛皮を撫でにそばへ寄りたかったけど、あれは猛獣ですから危険ですと近寄らせてもらえなかった。猛獣にしては、可愛かったな。
「楽しかったわねぇ」
「はい」
嬉しさを噛み殺しきれずはにかむ殿下、なんてかわいらしいんでしょ。
さすが、私の弟!
「また、面白いところがあったら一緒に行きましょうね」
そう言ってジェイナスをハイドヴァン邸まで送っていった。
ふふふん、ふん。
私は鼻歌混じりの上機嫌で王宮へ帰った。
その私とは対象的に、陛下の機嫌は最低だった。
夕食は久しぶりに一緒にとる。最近、陛下は外国から来た使節団との会食やらで夕食は別だったのだ。
食事の間に流れる、冷気の元となっている陛下を、眉を顰めて見やる。
食事が不味くなるから、やめてほしい。全く。
陛下の不機嫌の素が自分であるなどと露ほども思っていないナファフィステアは、上機嫌を台無しにした陛下にムッとしてみせた。
それは、余計に陛下の不機嫌を煽りまくっていたのだが。
夜、まだ体調不良で陛下を立ち入り禁止にしていたけれど。
今夜はそうはいかなかったらしい。
晩餐の時の暗雲をそのまま引きずった陛下が寝室にやってきた。
これはまた、鬱陶しいこと。
今日のかわいい弟との一日を台無しにしてくれるとは。
「今夜は体調が悪いと伝えてあったと思うんだけど」
「体調が悪い? どこがだ。今日はジェイナスと出掛けてはしゃぎまわっていたらしいではないか」
「それは別。あなたも大人の男性なんだからわかるでしょう? 体調が悪いといったら悪いの! 私は一人で寝たいの。そういう時が女にはあるのよっ」
わたしは、最後には大きな声で主張していた。
月に一度やってくる不快感も知らないくせに勝手なことを言うなあぁ。
と内心で叫びながら、腕を組み、ベッドの前で仁王立ちする陛下を睨み返した。
侍女や女官達は、冷や冷やしながら成り行きを見守っていた。
出るに出られず戸口付近でそうするしかなかったのだ。
「わかったら、出ていって」
そう言って追い出そうとした。
けど。
「下がってよい」
陛下は女官達を下がらせてしまった。
居座るつもりのようだ。
眉をしかめて見せるが、スタスタとベッドに歩み寄ってくる。
「ちょっ、ちょっと待って。出てってよ早く」
「本当に体調が悪いわけでないなら、一緒に休めばよかろう」
はあ?
聞いてた? わかってる?
わかって言ってるわね、当然。
ふっふっふっ。
ふっ。あり得ないし。
陛下がベッドに上がらないように、ベッドの端に座る位置をずらす。
そんな私の身体の小さな壁など、障害になるはずもなかったが。
「一緒に寝るだけよ。何もしないで頂戴」
語気強く言ってみた。
陛下は機嫌を治しつつあるらしい。
私を腕に抱えて横になる。
しかし、返事をしない。
ドンドンと胸を拳で打ってみるけど、効果はまるでなし。
「聞いてるの?」
「聞いている」
「何もしないでって言ってるでしょっ」
陛下は止めるのも聞かず勝手に人の夜着を脱がそうとしている。手馴れているせいで素早い。
余計にムカつき、俄然抵抗する。
こちらは必至でもがいているっていうのに。もしかして、陛下は、楽しそう?
「余は気にせぬ」
あなたじゃなくて、私が気にするのよ!
私はとっても気になるのよっ!
「デリカシーのない人ねっ。私は嫌だって言ってるでしょーっ」
ここ数日間放置されていた陛下は、今夜はたっぷりとナファフィステアを満喫するつもりだったので、彼女の抗議を受け流した。
せっかくジェイナスのことを許可し、ご褒美までもらったというのに。
あれから、ジェイナスと楽しそうに過ごしている報告書を読むだけで、自分は少しも相手をしてもらえないのだ。
ジェイナスばかりではなく、自分も構って欲しい陛下なのであった。