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満月の女


 あれはそう、入梅前のじめじめとした薄曇りの夜のことじゃった。空には星影ひとつ見えず、ただ天を衝くようなビルの頂きのあちこちで航空障害灯の赤い点滅だけが弱々しく闇に浮かんでおった。ときおり雲の切れ間からすうっと月がのぞいてな。それがなんとまあ、有精卵の黄身みたいにどろりと赤みがかった忌まわしい月で、しかも空からこぼれ落ちてきそうなくらいの満月じゃ。

 そのときわしは、警備を担当していたあるオフィスビルの屋上でひとりたばこを吸っておった。そのビルは全館禁煙で、ロビーはもちろんわしらが詰め所にしていた管理人室でも一切吸ってはいけないことになっておったから、いつも夜回りの途中で屋上へ出て、好きなたばこを一本だけ吸わせてもらうのが毎日の慣習となっておったのよ。

 そこはちょうど川崎の臨海工業地帯に面していて、本来ならば美しい夜景を見渡せるはずなんじゃが、なにせ背の高い建物がぐるりと四方を囲んでおっての、見えるものといえば、いびつな形に切り取られたちっぽけな空くらいのものさ。

 わしは、塔屋の壁に寄りかかってぼんやりと煙を吐いておった。目の前には、背中合わせに建つビルの外壁が寂然とそびえている。

 ところがじゃ、ふと闇に目を凝らしてみると、そこになぜか女が浮かんで見えたのよ。ぎょっとしてよくよく見れば、その者はどうやらビルの壁から突き出た換気扇のフードの上に立っておった。

 幽霊であろうの。そんな場所にひとの立てるわけがない。

 明るい色のワンピースを着て、長い黒髪がビルの谷間から吹き上げてくる風にさわさわとたなびいておった。わしはしばし呆然とその女を眺めておったが、指にはさんだたばこがフィルターを焦がして「熱ちっ」と声を上げてしもうた。とたんに女がこっちを見て、ニヤリと笑ったんじゃ。それがなんともいえない嫌な笑いかたで、わしはつい足がすくんでしまった。するとまるで捨てられたコンビニ袋が風で舞い上がるように、その女の体がふわりと浮いてな。そのままこっちへふわり、ふわりと漂ってくるのじゃ。わしはもう怖くて悲鳴を上げながら……。

 なに、まるで怪談みたいだ? そのとおり、わしは怪談を講釈しておるつもりじゃが……。えっ、ここはSF企画の会場だって? はてさて、わしは夏ホラーに参加したつもりでおったが、どうも年を取ると勘違いが多くて困るのう。どうやら場所を間違えてしまったらしいわい。はっはっは。いや、これは申し訳ないことをした。後でここの管理人さんにメールで詫びておこう。

 それでは皆さまがた、これにて失礼。

 おすこやかに……。




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