ボクのママは二人いる
マーシーは小さいころ、
遠い国から船にゆられて
ママの町にやって来ました。
最初は不安で
いっぱいだったけど、
ママはいつも
やさしく包んでくれました。
ママといっしょにさんぽをしたり、
ちょうちょを追いかけて
転んじゃったり、
ママの靴をかじっちゃったり。
毎日が、たからものでした。
でもある日、
ママの足どりが
すこしだけ重くなりました。
ママはマーシーを
優しく抱きしめて言いました。
「マーシー
これからは
あの人が一緒にいてくれるからね」
マーシーは
よく分からなかったけど
ママの匂いと
ぬくもりを
いっぱい覚えておきました。
その日から、
ママは
あまり歩かなくなりました。
マーシーは
ママのそばで
じっと座っていました。
ママは
マーシーのあたまを
優しくなでながら
「マーシーはいい子ね」
と、ほほえみました。
⸻
ある朝、
ママの手は
もうマーシーを
なでてくれなくなりました。
ママが
「マーシー、おはよう」
って言ってくれるのを
マーシーは
ずっと待ちました。
でも——
ひかりが
なんど変わっても、
夜が、何度めぐっても、
ママの声は聞こえませんでした。
マーシーは
ママの匂いに
からだをうずめながら
ただ、じっとしていました。
⸻
ある日、
やさしい靴の
おとがしました。
「大丈夫…?ママといたの?」
小さな声が、
そっとマーシーにふれました。
その人は
マーシーそっと抱き上げ
ゆっくり歩き出しました。
⸻
着いた先は、
ひんやりした静かな場所。
同じように
だれかを、待っている
ワンコたちがいました。
マーシーは、扉の向こうを
じっと見つめたまま。
足音がするたび、
しっぽが、かすかに動きました。
でも、
ママの足音じゃない。
———
しばらく経った
ある日。
ひとりの女性が
マーシーに会いに来ました。
その人は、
どこか必死な顔で
マーシーを見つめていた。
「マーシー……
やっと会えた……」
「マーシー。
あなたのママはね、
いつも言ってたの。
“この子は私の宝物”って。
あなたをひとりにしないって
決めていたの」
「あなたの ママの 親友として
ずっと 探していたの だから、
あなたを迎えに来たのよ」
なんだか、知ってる匂いがする。
遠い記憶が
小さな灯りのように
胸の奥でともりました。
新しいママは、
マーシーを優しく抱き上げ
胸にギュッと寄せて
クルマに乗り込みました。
「もう、大丈夫よ マーシー
これからは 一緒だからね」
マーシーは、
その胸の音を聞きながら
じっとしていました。
トクン、トクン。
やさしい音。
どこか、
むかし聞いたことのある音。
車が動き出し、
窓の外の景色が
ゆっくり流れていきます。
マーシーは、
ガラスに鼻をつけて
そっと外を見ました。
クルマが、進むにつれて
知らない景色が
流れていきました。
⸻
家に着くと、
マーシーは
ゆっくり部屋を歩きました。
くん、くん。
知らない匂い。
ふと 顔を上げると、
壁には、ママとさっきの女性が
笑って写っている写真が
飾られていました。
マーシーは
写真の前で立ち止まり、
じっと見つめました。
しっぽが、
かすかに揺れました。
写真から、
なつかしい気配が
そっと流れてきます。
マーシーは
小さく鼻を鳴らしました。
(……ママ)
⸻
そのとき、
階段から
ことん、ことん。
軽い足音がしました。
顔を出したのは、
この家に住むノアでした。
ノアはしっぽを大きく振りながら、
マーシーに近づいてきます。
まるで、
「ようこそ!」
「これからは一緒だよ!」
と言っているみたいです。
マーシーは、
そんなノアを見つめました。
———
ノアは朝から元気いっぱい。
葉っぱを
くわえて
走り回ったり
ボールを追いかけて
草むらに
顔を突っ込んだり
ごはんの時間になると、
ノアはぴょんぴょん跳ねて
大はしゃぎ。
でも
マーシーはママが
「どうぞ」
と言うまでジーッと待つ。
ノアは、
マーシーのマネをしてみるけど
シッポだけは
忙しそうに動いています。
———
でもノアは、
マーシーが、眠りにつくまで
いつも起きていました。
まるでマーシーを
やさしく包むように。
マーシーは
そんなノアのぬくもりに
少しずつ心を開いていきました。
⸻
そんなある日。
マーシーは庭で
お日さまに、
あたっていました。
あたたかくて、
気持ちよくて
うとうとしていると、
風がふわっと通りぬけた時——
どこかで嗅いだことのある
優しい匂いが
鼻先をかすめました。
ママの匂い。
マーシーの胸が
とつぜん どくん! と跳ねました。
(…ママだ!)
気づいたときには、
もう走り出していました。
マーシーは柵のすき間をすり抜け
風の流れる方向へと
一直線に走って行きました。
ノアも後ろから
必死でついて行きました。
マーシーは 細い道をくねり
角を何度も曲がり
知らない通りへ
知らない路地へ
走り込んでいきます。
(ママに会える!ママに会える!)
マーシーは
ママの匂いだと思い込んだ風だけを頼りに どんどん町の奥へ。
ノアは
マーシーの白いしっぽを
見失わないよう追いかけて行きました。
———
その頃、
ママはふたりを追うように
急いで外へ飛び出しました。
いつもは、静かな住宅街。
けれど、その日は
どの道も
知らない道のように見えました。
角を曲がるたび、
マーシーの白い姿を探します。
ノアの茶色いしっぽを探します。
でも、
どこにもいません。
(マーシー……ノア……)
胸の奥で、
不安が波のように押し寄せます。
(どうか、見つかりますように。
どうか……
怖い思いをしていませんように。)
———
そしてその頃
マーシーとノアは
町はずれの丘の上にいました。
夕暮れの町の音が
遠で聞こえて来ました。
マーシーは遠くを見つめたまま
そっと心の奥で呟きます。
(……ママ。
ママに会いたい…)
ノアは黙って夕日を
ただただ、見つめていました。
———
家では、
ママは、何度も町の人に聞き
ポスターを貼り、
毎日、玄関で待っていました。
「どうか、無事でいて…」
それだけを、
毎日、願い続けていました。
家の庭は静かで、風が通るたびに
葉っぱがゆれます。
けれど
マーシーとノアの姿は
どれだけ待っても帰って来ません。
日にちだけが
ゆっくり過ぎていきます。
一週間、二週間、一カ月…
気づけば
三か月経っていました。
———
そんな
ある日の夕方。
ゆっくりと玄関を開けたママは
思わず息をのみました。
玄関の前にいたのは
マーシーとノア。
泥だらけで、毛はからまり、
痩せているふたりの姿。
でも——
並んで立っていました。
名前を呼ぼうとしても
涙で声が出ません。
ふたりは、
同時に一歩、前に出ました。
ママは走り出しました。
そして
ふたりを強く、
強く、抱きしめます。
「……おかえり」
それしか言いません。
何があったのか、
どこでどうしていたのか、
分かりません。
けれど
ふたりは一緒に帰ってきました。
それだけで、
十分でした。
———
ふたりが帰って来て
しばらく経った頃。
ママは、
そっとふたりを見つめます。
前よりも、
ほんの少しだけ——
ノアとマーシーの距離が
近くなっていました。
ぴたりと寄り添うわけでもなく、
べったり甘えるわけでもなく。
それでも
兄弟のような絆があるように見えました。
三か月のあいだ
ふたりが並んで歩いてきた
時間のしるし。
ママは、
何も言わずに、
やさしく微笑みました。
⸻
あの脱走事件のあと、
マーシーは
庭で、
よく空を見上げるようになりました。
風が、
耳をやさしく揺らします。
(ママ……
ボクは元気にしているよ。
安心してね……)
小さな声は、
空へと溶けていきます。
そのとき——
「マーシー、ノア」
新しいママの声がします。
あたたかい声。
マーシーは、
ぱっと振り向いて、
走ります。
まっすぐに。
新しいママのもとへ。
ノアも、いっしょに。
新しいママの腕の中は、
あたたかくて、
やわらかくて
マーシーは、
そのぬくもりに
身をゆだねました。
マーシーは思いました。
ボクのママは、
ニ人いる。
ひとりは、
空の向こうで
見守ってくれているママ。
もうひとりは、
今、抱きしめてくれるママ。
どちらも、
マーシーにとって、
かけがえのない
たったひとりのママ。
———おしまい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
マーシーとノア、そして二人のママの物語を見届けていただけて嬉しいです。
この物語が、誰かの心に小さな温もりを残せたなら幸いです。




