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いつかどこかで交わることがあるならば

 それは、ある『事象』の一つ。


 モスグリーンのランドセルを背負った少女が足早に校門を後にした。


 ――見ないふり、見ないふり、見ないふり。


「今わたしの列に割り込んだでしょ!」駅前の行列で、そんなやりとりが聞こえる。


 ――見ないふり、見ないふり、見ないふり。


「危ないじゃない、いきなり肩をぶつけてくるなんて!」狭い通りで、言い争いが鼓膜を打つ。


 ――見ないふり、見ないふり、見ないふり。


 缶やペットボトルのゴミ箱に詰められた新聞やコンビニ弁当の空箱。小銭を拾って、少額だからと交番に届けない人。車が見えないからと言って、赤信号を渡る人。


 ――見ないふり、見ないふり、見ないふり。


 ワカラーヌ小学校に通う四年生の彼女=天夜サニーは地面を見つめながら歩いていた。


 空き缶を道端に捨てる人、自分が散歩させる犬の糞を片付けない人。電子煙草だからと言って人目を気にせず道の中央でそれを吸う人。


『サニーちゃん。そういう人に、関わっちゃだめよ。だって、何してくるかわからないんだから』


 ママはいつもそういっている。だから、サニーはいつも地面を見て歩いている。登校するときも、下校するときも。学校の中でも。


 ――見ないふり、見ないふり、見ないふり。


「おいガキ! 前見て歩け!」


 雑踏に負けない大声がした。


「ひっ! ごめんなさい!」


 反射的にサニーは謝罪を吐いて深く頭を下げた。しかし、続く相手の言葉がない。気になって顔を上げると、大声の主は車道を挟んで反対側にいる男だった。そして当然、男が声を荒げる相手はサニーではない。男が怒鳴りつけていたのは、サニーと同じ小学校に通うウェジー君だった。


 ウェジー君はすでに目に涙を溜めていて、ぎゅっと拳を握って震えていた。だが、そんな彼はき、と顔を上げて、男を睨んだ。自分の二倍以上の体格の持ち主に向かって。


「おじさんこそ、スマホを見て歩くなんて……」


「うるせえ! ガキが口答えするな!」


 ウェジー君の抵抗は、こうしてあっさりと圧し折られてしまった。一瞬だけ、迷いが生まれる。でも、こういう時どうしたらいいのかはサニーが一番よく知っているし、一番してきた。故に、また地面に視線を落とす。


 ――見ないふり、見ないふり……


 サニーは視線を外し、帰途に戻ろうとした。だが。


『いいねえ、溜まってるねえ。ラムラムするだろう?』


 それは、不思議と妖艶な雰囲気すら纏っていた。しかし一方で、自分とさして年の変わらない女の子のものにも感じた。


「ら、ラムラム?」


 声の方向、つまりすぐ傍の暗い建物と建物の隙間にサニーは目を凝らす。普段は気にしないその暗がりだが、そこに珍しく人影のようなものを認めた。


『そうさ。君は、ずっと怒っている。ラムラムしているのさ』


「え? わたしが?」サニーは思わず口を両手で覆った。


『マナーを守らない人。ルールを守らない人。誰かを傷つけても平気な人。それから……』


 暗がりは、じっとサニーを見つめている。


『……そういうことを、見ないふりして通り過ぎてきた自分自身に、ラムラムしているのさ』


「そ、そんなことない!」


 反射的にサニーは言い返す。だが、体が震えていた。暗がりは笑った。


『いいね! 素晴らしい反応だ。本当は全て壊してしまいたいはずだ。ママの言いつけなんて関係ない、だって、悪いのは周りの大人達だ!』


「違う、それは間違って……」


『いいや、間違っていない! 解放するんだ、サニー。君のラムラムした気持ち! わたしが、わたしだけが君の怒りを肯定してあげる!』


 暗がりからまっすぐ一輪のシャグナゲの花が飛び出すと、避ける隙も与えずサニーの頭にぷすりと刺さった。


「あーーーーー!」


 それは、まるで煙のような声。それを口からもくもくと吐き出す。


『素晴らしい! こんなにラムラムしている女の子がいたなんて! これはいい!』


 サニーの口から噴き出したのは、無数の真っ黒な花びらだった。もこもこもこもこと噴き出たそれが、あっという間に通りを、車道を、建物の高さも超えて、埋め尽くしていく!


「ちょ、ちょっとなにこれ!」


 全てを吐ききったサニーは叫んだ。その花びらの向こうに、信じられない光景が広がっていたからだ。


「スマートフォンを見ながら歩くのはよくないよなあ!」


 二階建てほどの大きさの足が生えたスマートフォンが、ウェジー君を脅かしていた男を見下ろしている!


「犬の糞も片付けられない奴は、クソ以下だぜ!」犬の怪物がトングを使って人間を挟んで持ち上げる。


「町にゴミを捨てるなああああ!」無数の逆さになった巨大なゴミ箱が群れを成して人を囲む。


「信号を守れ!」

「ちゃんと拾ったお金は交番に届けろ!」

「人にぶつかるな!」

「並んでいる人に割り込むな!」


 さっきまで平和そのものだった町に、見たことのない怪物が溢れ、人間たちを捕まえたり、暴力をふるおうと拳を振り上げている!


「助けてくれええええ!」

「おれが何したっていうんだ!」

「警察を呼べ!」

「軍隊は何をしているの! 税金泥棒!」


 人々は口々にそう叫んで逃げ惑い、周囲の人を顧みず、ぶつかったり押しのけたりして、唾を飛ばして泣きわめく。


『はっはっは、いい様だな!』


 暗がりは言った。サニーは暗がりを睨みつけた。


「あなたがやったの?」


『違うね。これは……』


「わ、た、し、が、やっ、た、ん、だ、よ」


 サニーが振り返ると、そこには正真正銘、もう一人のサニーがいた。サニーと同じ背丈、恰好、ランドセルの少女が立っていた。ただし、俯いていて人相だけは判別がつかない。


「どうして、あなたは見ないふりをしたの?」


 それは、サニーに問うた。


「だって、それは……」


 サニーの唇が震えている。そこから先を口にするのが、あまりにも恐ろしかった。


「わたしは……」


 目に涙が積もっていく。サニーは理解していた。


 ――破壊される建物。砕かれるアスファルト。怪物に捕まって叫ぶ人。ベビーカーの中で泣く赤ちゃん。


 ――その原因を作ったのは、わたしだ。


「わたしが、ずっと、よくないことを、見ないふりして……」


 サニーは膝をつき、言葉を発しかけた。その時である。


「ちがああああああうっ!」


 もう一人のサニーに、白い小さな塊がぶつかった。


「あなたはちゃんと、自分の良くない気持ちを抑えてきたサビ! そのことを忘れちゃだめだサビ!」


 白い塊はサニーを振り見て言う。対して、サニーは驚きながら、次のように言った。


「え、喋るウサギ……?」


 それは確かに、白いウサギであった。ただ、サニーの知るウサギとは少し違い、長い耳は鳥の羽に似て、なおかつ額には角のようなものが生えている。


「ウサギだって? 違うサビ! わたしは次元を超越して悪事を働く〈マッドフラム〉と戦うストリーマー〈コサビ〉だサビ!」




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