ep02 襲撃 -maraud-
モービルの銀色の影が、岩壁の競り上がった日陰で止まった。
「……クリア。水を」
「はい。こちらを」
少女は両手で水筒を抱き、乾いた唇を濡らした。
喉が動く音が小さく響く。
男はその様子を静かに見ていた。
薄衣は擦り切れ、泥が乾いてひび割れている。
肌の上には、細い傷跡が幾筋も走っていた。
「……あの」
長い黒髪が風に揺れ、少女は顔を上げる。
赫い瞳が光を掠め、男の視線と交わった。
炎の残滓のような赫さ。
血を思わせる赫さ。
「……あ」
「──あぁ」
「ありがとうございました」
掠れた声が、乾いた風に溶けて消える。
「他の人は?」
「……分かりません」
「そうか。名前は?」
「……イグニス」
「そうか」
男の声音に感情の波はない。
イグニスの瞳だけが、何かを確かめるように揺れた。
その静けさを破るように、電子音が一つ、空を震わせた。
クリアの頭上に淡い光輪が浮かび、規則的に脈動している。
「マスター」
「どうした」
「敵意を持った集団が急速に接近中です。……接敵まで五分」
風が止まる。
遠くで砂煙が上がっていた。
イグニスの肩がわずかに震えた。
赫い瞳に浮かんだものは恐怖とも諦めともつかない。
男は短く息を吐いた。
「クリア」
「はい」
「この世界で初めて会った人間だ。保護は、重要か?」
「はい。情報源としても貴重です」
「そうか。なら、連れて行く」
「しかし」
「問題が?」
クリアの瞳がかすかに揺れた。
「敵集団は十数名。武装を確認。モービルでの逃走は困難です」
男は黙って視線を砂の向こうへ送った。
イグニスの赫い瞳が揺れ、唇が「いや」と震える。
「……戦うしかないか」
淡々とした声。
感情の揺れは、ほとんどない。
「戦闘行動は可能です。モービルに防衛用ドローンが三基搭載されています。
敵戦力を無力化可能です」
「そうか」
男の返事は、まるで機械のようだった。
判断を下しただけの声。
風の音が消えた。
クリアが頷き、淡い青髪が揺れる。
その仕草は、祈りに似ていた。
岩壁の向こうで、砂煙と怒号が近づく。
イグニスの肩が震える。
赫い瞳が怯えに濁る。
「……やるぞ」
「はい、マスター」
冷たい金属音。
三基の小型ドローンが射出され、空へと舞い上がる。
無機質な光が灰色の空を切り裂いた。
世界の静寂が、戦いの気配に染まっていく。
──そして、戦いが始まる。
〇
「マスター。戦い方をお教えいたします。
こちらのドローンは三基。それぞれにビーコンが取り付けられていて、
こちらのタブレットで確認、操作が可能です」
タブレットには、味方を示す緑色のランプが地図上に光っている。
それとは別に、赤色のランプが多数。
「同じように、センサー上で感知された敵は赤色で表示されます。
あくまでセンサーの感知できる範囲なので、敵の武装までは分かりません。
ドローンによる偵察により初めて敵の武装は確認できます。
追加で、ドローンは射出型ビーコンを搭載しています。敵に撃ちこむことで個体識別が可能になります。識別された敵には追跡マーカーを付与し、各個体への対処優先度を決定できます」
クリアがタブレットを差し出す。地図は荒野の等高線と廃墟のスケッチ、そして数十の赤い点で賑わっていた。接敵までの残り時間が秒で減っていく。
「まずは偵察ドローンを一基、前方へ。高高度で広域を掃く。残りは中低空で個別識別。射出ビーコンは二基、それぞれ別の群れに射ち込みます。命中後、即座に映像を解析してくれ」
「了解しました。マスターの仰せの通りに」
クリアはさくさくと操作を進める。小型ハッチが開き、三基のドローンが淡く光りながら空を裂いた。金属の羽が空気を掻き、砂塵が渦を巻く。微かな青白い軌跡が、灰色の世界に線を引いた。
高高度ドローンの広域カメラが先に景色を拾う。男のタブレットに、廃墟の向こうの人影が群れになって動く様子が映し出される。赤い点は瞬く間に増え、やがて個々のシルエットに輪郭が与えられた。
「偵察映像、来ます」
「映像を」
クリアの淡々とした報告。画面が切り替わると、男は喉が鳴るのを感じた。槍、焼け焦げた松明、角材、そして数本の粗末な銃床が、映像の中でちらつく。集団は整然としてはいない。だが、数で圧す気配は明白だ。
「銃器あり…射手あり。銃手が複数。数は十名以上。
ドローンには非致死性のパルス弾と煙幕弾、50mmの炸裂弾の二種類が搭載されています。
基本的な戦術行動は、この二種を用い、
パルス弾で敵の足止め、炸裂弾で敵の交戦能力を削ぐというものです」
「分かった。敵後方、射手目掛けてパルス弾発射。正面の銃手が怯んだタイミングで、残りのドローンで炸裂弾をお見舞いしてやれ」
「了解です。D-1、パルス弾……発射ッ。続けてD-2、D-3、炸裂弾射撃開始ッ!」
小さな閃光が荒野に弾け、赤のマーカーがひとつ、またひとつと点滅し、やがて消えていった。
後方の射手は姿を崩し、銃手たちの射撃は乱れ、前線は混乱して散り散りに退いていく。
「戦闘、終了です。敵は撤退しました」
「……これで、終わりか」
「はい。マスターは正しく操作できました」
短い沈黙ののち、イグニスが小さく囁いた。
「……強い」
男は答えず、タブレットに残った緑の光を見つめていた。
それは確かに少女を「救った証」だと、男は思う。
だが胸の奥には、まだ言葉にならない重さが沈んでいる。
後ろでは、クリアが小さく頭を下げていた。




