第七話 光速躯体
人の歴史とは殺し合いの歴史。
相手を殺すための技術、相手に殺されないための技術。
殺し合いで有利に立つための技術を、人類は際限無く磨き上げてきた。
魔術の高速化は、その代表例として分かりやすい。
かつて、魔術とは長大な儀式や魔法陣を必要とする大掛かりなものだった。
しかし、人類が魔術を戦闘に用いるようになって以来、その常識は過去に置き去りにされていく。
詠唱による術式補助で魔術発動の儀式過程を大幅に削り。
その詠唱すらも、より短くより早く簡略化してゆき。
さらには、詠唱すら必要としない無詠唱魔術にさえ行き着き。
その果て、人類が辿り着いた結論の一つが、肉体に術式自体を刻んでしまうこと。
その身に刻んだ術式以外は使えなくなるものの、肉体に宿したただ一つの魔術は手足の如く扱える。
魔術に必要な過程を身体機能に落とし込んだそれは、元々の魔術とはあまりにも隔絶していた。
魔力を用いた術というよりは、後天的に生まれ持った異能の一つ。カテゴリーとしては、魔眼や魔力特性に近い。
最早魔術とは呼べないそれを、現代では刻印術式と呼ぶ。
七鉈綺羅の肉体には術式、光速躯体が刻まれている。
***
「ゴー!」
綺羅の合図と共に、北神が走り出す。
色とりどりの画材が無残に散乱する店内を駆ける足取りに、一切の迷いは感じられない。
グラウンドで五十メートルを走るような自然さで、北神望人は駆けていく。
(北神が動いた? 素人のあいつが護衛から離れるメリットがどこにある? 血迷ったか? にしては、落ち着いているように見えるが――――)
突如として走り出した北神。
剣士がその意図を考察するより早く、綺羅は左手に持っていた短刀を投擲していた。
さらに懐から投擲用のナイフを取り出し、二投目として投げつける。
時間差で投擲される二本の刃。真っすぐに剣士へと向かうそれらには、一つの罠が仕込まれている。
先に右手の短刀を、次いで投擲用のナイフを投げた綺羅。
しかし、投擲の際に発揮される速度は、白兵戦用の短刀よりも投擲専用のナイフの方が速い。
つまり、先に投げられた短刀より、後に投げられたナイフの方が先に剣士へと到着する。
慣れない者は、訳も分からず投げナイフの餌食になる。
(時間差と速度差でこっちを惑わす投擲術か。七鉈の人間らしい、小手先の技だ)
だが、剣士は慣れていた。
巧妙なやり口でこちらを惑わし、何とか命を獲ろうと企てる殺し屋の手口など見飽きている。
刃の軌道をよく観察し、初めに投擲用のナイフを剣で打ち払い、さらに翻す刃で、遅れて到着する短刀を弾く――――はずだった。
(――――光速躯体、起動)
一瞬、剣士の視界を掠めた閃光。
直後には、瞬きの内に剣士との間合いを潰した綺羅が、その胸にドロップキックを叩き込んでいた。
「か、ハ――――ッ!」
それは、完全な奇襲。
一投目の短刀よりも早く二投目のナイフが剣士に届く――――よりもさらに早く、刻印術式を起動した綺羅自身の蹴りが届く。
七鉈綺羅による三段構えの不意打ちだった。
(自分自身で突っ込んで来た! 投げナイフ二本は囮! しかもこの速度! 使ってきたな! 刻印術式!)
綺羅の蹴りを受けた剣士は、画材屋からフロアへと吹っ飛ばされる。
受け身を取って起き上がった剣士の目に映ったのは、光粒を纏った少女の姿。
懐から取り出した短刀を左手に握り、プラチナブロンドの髪をなびかせて、一気に剣士へと迫っていく。
剣士の喉元にまで伸びた綺羅の短刀は、寸手の所で剣の刀身に阻まれた。
綺羅のコンパクトな短刀と剣士の無骨な剣。衝突した二つの刃が、火花を立てて鍔迫り合う。
「なるほど」
剣で鍔迫り合いながら、剣士は視線を横にやる。
その鋭い視線の先では、北神がフロア端の非常階段を駆け下りていた。
ほとんど飛び降りるような具合で階段を下りていく北神。その姿はすぐに下の階へと消えていった。
「北神を下の階に逃がしたのか。随分な賭けに出たな」
この一連の攻防で綺羅が狙っていたのは、北神が下の階に逃げる時間を稼ぐこと。
北神を守りながら、というディスアドバンテージを消し去り、剣士と一対一で戦える状況を作り出したのだ。
「僕と一対一。この状況を作るためにお前が切ったカードは三枚。短刀を一本、投げナイフを一本、刻印術式まで見せた」
鍔迫り合う綺羅と剣士。
剣士が力を込めてその刃を押し込むだけで、綺羅はその圧力に一歩退く。
押し潰されそうな圧迫感が、綺羅の全身を抑えつけているようだった。
「僕と戦うためのカードは、あと何枚残ってる?」
鍔迫り合う刃から綺羅が感じ取ったのは、あまりにも濃密な死の気配。
殺意を灯して爛々と光るグレイッシュブルーの双眸は、獲物を狙う肉食獣のそれ。
自分と大して歳も違わぬはずの少女剣士が、綺羅には自らを取り殺す死神に見えた。
「……私の術式は光速躯体。七鉈家で私だけが使える、私だけの魔術」
しかして、少女は光を纏う。
眩いばかりの輝きを宿し、左の掌に短刀の柄を握り込む。
「君を殺すためのカードなんて、これ一枚で十分だから」
碧眼に灯のような戦意を宿し、剣士を見上げる少女の躯体。
淡い燐光を纏い始めた殺し屋を、剣士は冷たい殺意で以て見下ろしていた。




