第六話 悪手
初撃を生き延びた綺羅と北神。
綺羅は即座に北神を抱えて跳躍。窓を蹴破ってビルの外へと逃れようと試みる。
両腕に北神の体重を感じつつ、綺羅は魔力で強化した脚力を以て、画材屋の窓ガラスを蹴りつける。
(割れない!?)
本来なら、ガラス程度容易く粉砕するはずの一撃。
だが、綺羅の靴先が激突した窓ガラスは、割れるどころか罅一つ入っていなかった。
「言っただろ。結界でビルを覆っていると」
綺羅が読み違ったのは、防護結界の強度。
剣士の口ぶりから、結界は周囲への被害を抑えるために張られたものだと認識した綺羅だったが、実際は真逆。
結界は外への被害を軽減するための盾ではなく、中の綺羅達を逃がさないための檻。
足の速い綺羅を易々と逃がさないために展開されたものだった。
再び、剣士の斬撃が宙を駆ける。
北神を抱えたまま回避するのは不可能だと判断した綺羅は、懐から取り出した短刀で斬撃そのものを弾きにかかる。
キィン、と鳴り響く金属音。
衝突する刃と刃が、鼓膜に直接冷水をかけたような、涼しくも強烈な音を打ち鳴らす。
「……ッ!」
昨夜とは段違いの威力と圧力。
左手に握った短刀は斬撃を弾きはしたものの、その湾曲した刃は刃こぼれしていた。
斬撃の威力を正面から受け止めた左腕は、骨の芯にまで響くような衝撃によって痙攣していた。
(重い。多分、もう一度受けたら短刀ごと真っ二つにされる。短刀の予備はあと四本。投擲用のやつはいっぱいあるけど、そっちで弾くなんて無理。たった四度の守りで、素人の北神を守り切れる?)
ボロ、と刃から零れ落ちる金属を尻目に、綺羅は冷や汗を流す。
状況は最悪に近い。結界によって隔離された駅ビル内、敵の攻撃を防ぐ手段はたった四度きり。
逆に綺羅が反撃できる糸口は全く見えない。
恐らく、綺羅が北神の側を離れて剣士へと向かった瞬間、彼女の斬撃が北神を切り裂く。
護衛対象から離れることのできない綺羅は、リーチ差のある剣士の懐に飛び込んでいけない。
完封、という言葉が頭をよぎった、その瞬間――――
「綺羅」
すぐ側で、北神が声をかけてきた。
綺羅には聞こえても、離れた位置にいる剣士には聞き取れないくらいの声量で。
「多分、あいつの狙いは俺を殺すことだと思う。綺羅を殺せても俺に逃げられたら意味が無いし、俺を殺せるなら綺羅は生きてても良い。だから、俺を上手く動かせば、あいつの隙を作れるんじゃないかな」
淡々と提案する北神。
彼の提案に対して綺羅は、冷静な思考よりも先んじて、殺し屋として身に染みついた常識でそれを否定しそうになった。
「それは……」
それは、護衛任務では悪手中の悪手として有名だ。
確かに、護衛側と刺客側の勝利条件の差異を利用して、相手の動きを牽制したり誘導したりすることは可能かもしれない。
だが、それは訓練された殺し屋や戦闘稼業を営む者達の話。
護衛によって守られるような戦いの素人が、戦場で上手く動けるはずがないのだ。
彼らは銃弾一発で足が竦む。攻撃魔術なんて飛んで来た日には、一歩も歩けずにへたりこむしかない。
彼らに戦術的な思考と行動を要求しても、上手く遂行できるはずがない。
故に、護衛を駒として動かしての戦術は、護衛任務における悪手として知られている。
しかし――――
「綺羅、俺はどうしたら良い?」
その悪手にかけるしかないほど追い詰められた状況。
何より、命のかかった場面での平坦さを失わない北神の瞳が、綺羅を賭けに走らせた。
「私が合図したら走って。あいつの右側を駆け抜ける感じで。その後はとにかく、私とあの剣士から離れてほしい。ベストは下の階まで下りること。それがダメそうなら、私と北神であいつを挟むような位置取り、斬撃で私達二人を同時に狙えないようにしたい。オーケー?」
無茶な要求とは分かっている。
素人が戦場で正しい位置取りを保つのがどれだけ難しいか。
綺羅が初めて出た戦場では、パニックに陥ってまともに動けなかった。七鉈家で訓練された綺羅でもそうだったのだ。
北神にそれ以上のことを求めるのは、あまりにも愚かというものだろう。
それでも――――
「オーケー」
この少年が自分のようなヘマをすることはないのだろうと、綺羅は直感的に思った。
強い覚悟は無い。鋭い経験則も無い。
ただ、異様なまでに希薄な精神性が、北神望人にいつも通りの目をさせている。
「5、4……」
綺羅がカウントダウンを始める。
「3,2……」
北神の目に曇りは無い。
ぼんやりとした瞳で、やや離れた剣士を見据えている。
「1……」
敵は剣士。対する此方は画家と殺し屋。
敗北すれば北神は死ぬ。任務に失敗した綺羅もただではすまない。
賭けのチップは少年少女の命が二つ。天秤に乗った生命は、灰色の剣に断たれるか否か。
「ゴー!」
綺羅の合図が響く。
勢いよく床を蹴り上げる北神の足音が、命を賭けたゲームの幕開けを告げていた。




