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君を描いて、七等星  作者: 讀茸


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第二十話 護衛

(仕留め損なった……!)


 短刀で南視の左顔面を抉った綺羅の感想は、絶好の機会を逃したという後悔だった。

 南視の顔面左側を裂いた綺羅の一撃。左耳から頬にかけての裂傷は、一見重傷に見えるが、脳などの急所には届いていない。

 できることなら、今の一撃で終わらせたかったというのが、綺羅の本音だ。


(ネトゥリエムが死んだら、北神にかかってる治癒魔術も途切れるかもしれない。だから、ネトゥリエムは死なせられない。再生能力の天井とか言ってたし、多分今のネトゥリエムが南視を振り切って屋上まで走るのは無理。だから――――)


 光速躯体を維持したまま、綺羅は左耳から血を流す南視を見据える。

 全身に星紛いの光を纏ったまま、綺羅は短刀を構え直した。


(ここで、私が勝つしかない)


 極度の弱視である南視にとって、耳は重要な感覚器官だ。

 足音や衣擦れの音を捉えるのはもちろん、音の反響で周囲の空間を把握することもできる。

 そんな彼女から左耳を奪ったのは、傷の深さ以上の成果となる。

 ネトゥリエムの奮戦によって、南視は利き手である右腕にも傷を多数負っている。どれも戦闘続行に関わるほどの深さは無いが、確実に南視のパフォーマンスを下げるだろう。


(ネトゥリエムにかけてもらった治癒魔術。想像以上に効きが良い。さっきも普段の最高速度以上出してたのに、体が壊れる気がしなかった)


 加えて、綺羅の身体には、今もネトゥリエムの治癒魔術が作用している。

 質量を速度に変換する綺羅の術式は、その性質上、どうしても自傷は避けられない。

 傷付けば傷付くほどスピードを出せる光速躯体にとって、傷を常時治してくれるネトゥリエムの治癒魔術は、最大のサポートになっていた。


(勝つんだ。私が勝って、北神を助ける)


 左耳を手で押さえ、少しふらついている南視。

 ダメージの余波が残っている内に追撃するべきと判断した綺羅は、一気に南視へと接近していく。

 その速度は彗星の如く、淡い光が尾を引く。

 再び南視を襲う星紛いの光。超高速で振り抜かれる短刀が、再度剣士に傷を付ける――――


「戦力、ですか」


 はずがなかった。

 綺羅の接近に合わせて振り抜かれた南視の剣。

 タイミングを完璧に合わせた一閃は綺羅の脇腹を深く抉り、顔面を狙った綺羅の短刀は空を切った。


(――――え?)


 激痛。

 腹の傷口から血を撒き散らしながら、綺羅は激しく廊下を転がる。

 スプリンクラーみたいに鮮血を噴きながら、何度も床をバウンドする肉体。

 そのまま壁に叩きつけられた綺羅は、立ち上がって反撃することはおろか、床に両手をついて息を荒げるのが精いっぱいだった。


(なんで?)


 深々と抉られた脇腹。

 血が止まらない。痛みが引かない。失血と激痛でまともに動けない。

 ネトゥリエムの治癒魔術が無ければ、間違いなく致命傷になっていた。

 あまりに重いダメージ故に、光速躯体が強制的に中断された。

 緩やかに回復していく傷。けれど、完治まで待ってくれるほど、南視が慈愛の精神に満ち溢れているわけがない。


「その戦力が足りてないんでしょう。もう少しまともな使い手なら、さっきの不意打ちで私を殺せていた。それができる人間を用意できなかった貴方の負けです。キメラヒューム」


 そこにあったのは、隔絶したスケールの差。

 千年以上の時を生きるキメラヒュームと三日月家の最高戦力が相対する中、綺羅だけがあまりに凡庸だった。


(なんで……?)


 それは、当然と言えば当然の帰結。

 何も綺羅を責められた話ではない。

 これだけの怪物が殺し合っている中、十七歳の少女に一体何ができようか。


(なんで、私は……)


 南視は綺羅を見てすらいなかった。

 その弱視の瞳で一瞥することすら無かった。

 ただ、あっさりと致命傷をもらい、這いつくばる綺羅を魔力探知でだけ認識している。


「先に向こうを潰しましょうか。貴方を殺すのは、北神望人を消してからで良い」


 南視の判断は冷静で冷酷だった。

 ネトゥリエムに構うから、先のような不意打ちのチャンスを作られる。

 既にまともな戦闘はできないほどに叩きのめしたネトゥリエムを、無理に殺そうとする必要は無い。

 ネトゥリエムを完全に殺す方法を見つけるには、それなりに時間がかかるだろう。

 そちらに時間を割く前に、脆弱な殺し屋一人に守られている北神望人を殺す方が賢明だ。


「……っ!」


 南視と綺羅が動いたのは同時。

 意識を失ったまま床に寝かされていた北神。

 彼を殺すため、無造作に伐空を放った南視。彼を救うため、光速躯体を起動して駆け出した綺羅。

 死に物狂いで走ったことで、何とか南視に先んじた綺羅は、北神を抱え上げて、そのまま隣の教室の扉を蹴破る。

 そのまま、窓を突き破って校庭に逃れようとした綺羅。


(なんで、追いつかれるの……っ!?)


 しかし、即座に追いついてきた南視との戦闘を余儀無くされる。

 南視の身体能力が常軌を逸しているといえど、速度に特化した術式である光速躯体よりも速く走れるわけではない。

 南視が綺羅よりも秀でていたのは、地形把握とそれに伴うコース取り。スピードをできるだけ殺さずに方向転換する走法といった技術の部分である。

 狭い屋内ではそれが顕著に表れ、南視は教室から外へと逃げる綺羅へと追いついた。

 振り抜かれる剣の一撃を、綺羅は短刀で受け止める。


(重い……っ!)


 受け止め切れるはずも無く、短刀は一撃で砕け散る。綺羅は抱えた北神ごとに大きく吹っ飛ばされた。

 窓を突き破り、中庭へと落下する綺羅。

 綺羅を追うように窓の外へと飛び降りた南視は、綺羅の上空で剣を構える。

 空中から振り下ろされる伐空。飛翔する斬撃が、落下中の綺羅を襲う。

 綺羅は懐から取り出した短刀で、降ってくる斬撃を打ち払おうと試みる。


「づゥ――――っ!」


 再び、短刀が砕けた。

 砕けたのは短刀だけに非ず。伐空の衝撃を直に受けた左腕も、見るも無残な形に折れ曲がっていた。

 空中で追撃を受けた綺羅は地面に叩きつけられ、コンクリートの洗礼を全身で受ける。


(一撃一撃の威力が尋常じゃない。ネトゥリエムの治癒魔術が無かったら五回は死んでる。こんなの、私にはどうしようも……)


 土埃の中で、辛うじて直立を保つ綺羅。

 その身には既に致命傷が何度も刻まれているが、その度にネトゥリエムの治癒魔術が傷を癒していた。

 絶えず回復するとはいえ、絶えず致命傷を叩き込まれていれば意味は無い。

 骨折の回数は言うに及ばず、臓器も損壊と再生を繰り返している。積み重なる蓄積ダメージは、綺羅の体力を急激に奪っていった

 幾度も死を味わわされた少女は、心身共に満身創痍。

 吹けば消えてしまいそうなボロボロの風体で、たった一つ、腕の中の少年は無傷で抱えていた。


(不気味ですね。何から何まで二流だというのに、北神望人だけは無傷で守り通している。……もう、動けないはずなんですが)


 中庭、軽やかに着地した南視は、綺羅の前方に降り立つ。

 南視にとっては不思議な感覚だった。

 綺羅自身はあと数手で殺せるという程度には追い詰めているのに、肝心の北神には傷一つ付けられない。

 奇妙な感覚に違和感を覚える南視の前で、綺羅がふっと零した。


「弱いなぁ、私……」


 そよ風に吹かれて消えるほど、細く弱くささやかな呟き。

 常人離れした聴覚を持っている南視でなければ、聞き届けることはできなかっただろう。

 南視自身は気付いているだろうか。

 限りなく白に近い空色の瞳が、大きく見開かれていることに。

 ぼやけた視界に映る、プラチナブロンドとスカイブルーの色彩に、目を奪われていることに。


(もう、彼女は……)


 七鉈綺羅。

 彼女の人生において、強くなりたいという意思が存在したことはほとんど無い。

 強くなろうと、弱いままだろうと、殺し屋として使い潰される運命は変わらない。強くなったって、誰も自分を見てくれない。

 そんな諦めが、綺羅から向上心を奪い去っていた。

 今、人生で初めて、綺羅は無力感を感じている。

 大切な物を守れないという無力感が、綺羅の戦意を完全に折っていた。

 命令にのみ従って殺しを遂行してきた綺羅。自分の意思で戦う重みを知らない少女は、殺し屋としては及第点でも、戦士としてはあまりに脆かった。

 静かな無力感と諦念を胸に、綺羅は北神を抱きしめて立ち尽くす。

 そんな綺羅の命を刈り取るべく、南視が介錯の刃を振り抜く。コンマ一秒にも満たない刹那の内に放たれた斬撃は、少女の首を痛み無く落とす。

 そんな未来が訪れる、一秒前のことだ。


「……? 貴方は――――」


 南視の剣を、もう一振りの剣が受け止める。

 南視と綺羅の間に飛び込んで来た人影は、己の剣で南視の剣と鍔迫り合っていた。


「何、突っ立ってんだよ」


 風になびく暗い銀髪。グレイッシュブルーの双眸で南視を見据える彼女は、グレーのロングコートを羽織っていた。

 それは、剣士。

 綺羅とネトゥリエムと同等以上に、三日月南視に北神望人を殺させないようにと願った人物。

 南視と最も近い存在として生まれ、最も近い存在として生き、ある日を境に他人になってしまった少女。


「お前は北神の護衛なんじゃないのか……!」


 鈍い色合いの少女は叫ぶ。

 自分の到着よりも早く戦意を折った少女に、心の叫びを叩きつける。


「七鉈綺羅!」


 三日月裁架が、ノーガードの綺羅を守っていた。

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