第十三話 勘違い
翌日、私は北神の通う学校に転入生として潜り込んだ。
私に戸籍は無いが、北神の親戚ということになっている。
転校生は物珍しいのだろう、放課後、私は早速何人かの生徒に囲まれていた。
「七鉈さん、北神の親戚ってマジ? 全然似てなくね」
「えー、結構似てるよー。美形だし。てか、髪めっちゃ綺麗じゃない⁉ どこのシャンプー使ってるの?」
「乗るしかないですよねぇ、このビッグウェーブに」
約一名何を言っているか分からない人がいたが、こうして人に囲まれるのは悪い気分じゃなかった。
むしろ、嬉しかった。
私のことに興味を持ってくれて、質問してくれて、一緒に話してくれる。それが嬉しかったのだ。
ただ、少し寂しくもあった。
彼らは北神と仲が良くて、私よりもずっと長い時間を北神と過ごしていて、私よりも北神について多く知っていた。
北神に私よりも親しい家族や友人がいるのは、少し虚しいけれど。
でも、それは考えてみれば当たり前のことで、そこまで気にしなくて良いのかもしれない。
そもそも、北神に他の友達がいたからって、北神が私に興味が無いことにはならない。
家族関係や友人関係にまで嫉妬するなんて、馬鹿らしいにもほどがある。
「でもさ、一緒に住んでるって結構ヤバくね?」
馬鹿らしいにもほどがあると、分かっているのに。
頭では分かってはいるのに。
「ほら、北神って彼女いたじゃん。親戚っつってもさー、彼女的には結構複雑なんじゃないの?」
分かっているのに、その言葉はどうしようもなく、私の脳を揺るがした。
まるで、頭蓋を直接ハンマーで叩かれて、脳髄を激しくシェイクされたみたい。
「あー、美術部の先輩? 付き合ってたんだっけ? まあ、ぽかったよね。北神超デレデレだったし。でも、最近見なくない? あの先輩」
「付き合うってレベルじゃねぇぞぉ、おい」
ぐらつく。脳がぐらつく。
脊髄が完全に麻痺して、身体が思うように動かない。自分でも何を考えているのか分からない。
そういうこともあるだろう。別にあっても不思議じゃないはずだ。
北神だって顔は良い。彼に好意を寄せる女子がいても不思議じゃないし、北神がその想いに応えることだって十分あり得る。
そういうこともあり得ると、頭で分かってはいたはずなのに――――
そこから先の記憶は無い。
自分が何を話したのかも、どこを歩いたのかも朧げなまま、私はとある部室の前に来ていた。
「美術部」と書かれた看板。今にも剥がれ落ちそうなほどに古いそれが、私には鉄壁の城門のように思えた。
北神は私が思っていたよりもずっと普通で、大切な家族がいて、仲の良い友達がいて、愛すべき恋人もいる。
洗導絵画という唯一無二の能力を持ちつつも、その魂は暖かな日常の中に在る。
私は真逆。友達も恋人もいなければ、家族との絆は皆無に等しい。いつだって血塗れの戦場にいるのに、私の能力自体はひどく凡庸で替えの利く歯車に過ぎない。
普通でありながら特別な北神。
異常でありながら凡庸な私。
決して交わることのない世界の境界線が、この古びた看板の下に引かれているようだった。
「入らないわな?」
すぐ隣から声が聞こえた。
視線を横に移せば、黒いドレスのような装いをした幼女が目に入る。
「入って、良いの…?」
「そりゃ良いに決まってるわな」
ノルニルに促され、私は部室の扉を開ける。
そこに広がっていたのは、純白の空間だった。
壁と天井はホワイト。床はライトグレー。画材やらが置かれている棚までも白い色合い。
潔癖なまでに白い、ただひたすらに白い純白の部屋。窓から差し込む光さえも、聖域に差し込む木漏れ日のように荘厳だ。
息を呑むほどの白の中、北神は絵を描いていた。
椅子に座って、キャンパスに筆を走らせている。ここからは、どんな絵を描いているかまでは見えない。
ただ、淡く微笑むような貌で、北神は絵を描いていた。
「きた、がみ……」
その顔があまりにも綺麗だったから、私は言葉を失ってしまった。
それは、色んな色を詰め込んだ顔。悲しみとか、優しさとか、愛しさとか、そういう感情を描き込んだ完成品。
想いという絵の具で描き上げた北神の顔は、見惚れるほどに美しい色をしていた。
きっと、ああいう顔を、一番好きな人に向けるのだろう。
ここにいたはずの、北神が好きだった誰かに、あんな表情を見せていたのだろう。
私ではない、誰かに。
「あ、綺羅」
ふと、北神が顔を上げた。
目が合う。
その透き通った瞳を直視するのが、どれだけ恐ろしく苦しいことだったか、私の語彙力では言葉にすることができない。
「どうしたの?」
問いかける北神の言葉が鼓膜の内側に響く。
どうしたのっていうのは、どうかしないとここに来てはいけないということなのかな。
だって、そうだ。私は北神の家族でも友達でも恋人でもない。何か用があるとか、そういう事情じゃないと、北神と関わることはできない。
でも、私は北神の護衛で、いや、護衛が何だというのだろう。
北神の身辺警護なんてノルニル一人で十分だ。むしろ、私は足手纏いかもしれない。
駅ビルでの戦闘でも、私は終始ボコボコにされていただけ。北神を殺しに来た刺客を仕留めたのはノルニルだ。
洗導絵画を描ける北神に、今まで身の危険が少しも無かったなんてことはないだろう。
私なんかいなくとも、ノルニルという強力な契約精霊が北神を守る役目を果たしていたのだ。
北神にとって、私が存在する意味なんて無い。
「綺羅?」
何より、その瞳が。
私に向けられる透明な視線が、何もかもが希薄な茶色の眼球が。
私を見ていないような気がしたのだ。
「……私、先に戻ってる」
だから、私は逃げ出した。
北神と何も話すことなく、とにかくこの場から離れようと足を動かした。
恐ろしかったのだ。何か話をすることで、致命的な事実が明らかになってしまうことが。
これ以上、自分の勘違いを自覚するのが怖かった。幻想じみた夢を砕かれるのが恐ろしかった。
北神は私なんか見ていないと。
そう、突きつけられるのが、たまらなく怖かったのだ。
***
通達、七鉈綺羅。
命令変更。
北神望人の護衛任務は現時点を以て終了、北神望人の殺害に任務を移行する。
九月八日二十四時までにこれを遂行し、指定の地点に死体を移送されたし。
死体受け取りの座標は以下のファイルに添付する。




