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君を描いて、七等星 ~殺し屋少女が高校生天才画家の護衛をする話~  作者: 讀茸


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第十話 盲いた姉妹

 日常って言葉が嫌いだった。

 暖かな日常。穏やかな日々。かけがえのない青春。

 いつも斬った張ったをしている自分が間違っていると言われているみたいで、何となく嫌いだったのだ。


 ――――ねえ、裁架。お姉ちゃん部活で絵描いたんだー。明日持って帰ってくるから、裁架にも見せてあげるよ


 だから、それを見ようとはしなかった。

 姉が部活で描いた絵なんて見たくない。そんな普通の日常の中で培われた美しさなんて、見せつけないでほしかった。

 だって、それは僕が弱くて間違っているという証明だったから。

 強くて正しい姉は青春を謳歌し、弱くて間違えている僕はいつも戦場にいる。

 姉が学校に通えているのは何故か。体に傷一つ無いのは何故か。いつも笑顔なのは何故か。

 シンプルに彼女が強いからだ。学校に行きたいだなんて我儘を通せるほど強く、戦闘で傷など負わないほど強く、ストレスフルな戦闘を長引かせないほど強いからだ。

 まるで普通の女の子であるかのように生きていける彼女は、普通になれない僕を否定している気がした。

 お前は弱いせいで、普通の日常を送れないのだと。

 そう、言われている気がしたのだ。

 だから、見たくなかった。

 強くて優しい姉が学校で描いた普通なんて、戦場で藻搔き苦しんでいる僕の眼を、眩しすぎる光で焼くだけだと知っていたから。


 僕とは正反対の、強くて優しくて無敵の姉。欠点も弱点も無い最強の剣士。望む日常を全て手に入れられる超越者。

 そんな彼女でさえも、洗導絵画(アートファタール)には抗えなかった。

 ある日、洗導絵画(アートファタール)を直視したことによって、姉の記憶は完全に消失した。

 あの三日月南視(みかづきみなみ)でさえ、悪魔の絵によって記憶を奪われたと知った時、僕がどれだけのショックを受けたか、言葉で表すのは難しい。

 あの完全無欠の姉から、何かを奪える人間がいるということが、僕には信じられなかった。


 記憶を失くした姉は、本当に全てを忘れていた。

 僕を始めとした家族のことはもちろん、学校での友人関係や部活の後輩に至るまで、全てを綺麗さっぱり忘却していた。

 姉妹の絆も、友達との関係も、後輩との思い出も、彼女は全てを捨て去った。

 何もかもを忘れ去り、ただ圧倒的な剣の腕だけが残る。

 上の連中にとっては都合の良い事態だった。

 姉の記憶が無いことに付け込み、彼女が学校に通っていた事実を無かったことにした。

 姉は日常を忘れ去り、オーダー通りに任務を遂行する剣になった。冷たく遊びの無い兵器のような、無機質で無敗の天才剣士。

 記憶を失い、姉は変わり果てた。

 笑わなくなった。遊ばなくなった。僕を見なくなった。

 誰かを斬っては家に帰り、また誰かを斬りに出掛けていく。

 あんなに表情豊かだった姉が、無表情な道具に変わってしまったみたいだった。

 姉が記憶を失くしてから、僕は彼女とほとんど話さなかった。いつもは向こうから話しかけてくるから、自分から声をかける方法が分からなかった。

 だから、勇気を振り絞って、「姉さん」と声をかけてみたのだ。


 ――――誰?


 返ってきた言葉は、透明な不理解。

 当然と言えば当然だった。

 姉は極度の弱視。僕はいつも姉の姿を見ていたが、姉は僕のことなど見えていない。

 声でやり取りする機会が無ければ、覚えられないのも当たり前のこと。

 そんな当たり前のことが、ひどく虚しくて苦しかった。


 知らなかった。

 認識されないということが、こんなに辛いだなんて知らなかった。

 思えば、姉はほとんど見えていないその両目で、いつも僕を見ようとしてくれていた。

 僕はずっと眩しすぎる姉から目を背けていたというのに。

 何もかもが今更で、全部が全部手遅れな空白の中、僕の足は何故か姉の学校へと向かっていた。

 校門を潜り、廊下を歩く。姉の制服を拝借してきたおかげで、誰にも不審がられなかった。

 辿り着いたのは、部室棟の隅の隅。滅多に人の立ち入らないような校舎の隅っこ。「美術部」と書かれた看板の下まで、僕は足を運んでいた。

 意思も目的もはっきりしないまま扉を開ける。


「――――――――」


 そこで僕が目にしたのは、一枚の絵画だった。

 真っ白な部屋の中、そこだけに色が付いたよう。

 テーマもモチーフも明瞭としない、ビビッドな色を塗りたくった抽象画。

 色合いはカラフルで派手なのに、どこか調和しているような雰囲気。

 滅茶苦茶に色をぶちまけたようにも見えるのに、どうしてか、そうでないと分かってしまう。

 それはまるで、陰惨で殺風景な世界に生まれたのに、楽しい日常を追い求めて精一杯笑うような。

 そんな、南の空に月が浮かぶような――――


「綺麗だ……」


 見惚れるほどに美しい、描き出された色彩の空。

 あの日の姉が僕に見せたかったはずの、伝えたかったはずの風景だった。


     ***


 目が覚めた。

 僕は駅ビルのフロアで大の字になっていて、周囲には三日月家の戦闘員が何人か立っていた。


「殺されてないのか」


 天井を見上げたまま、そんなことを呟く。

 七鉈綺羅との交戦後、僕は北神望人の契約精霊に奇襲された。

 七鉈の少女に手こずっている間に、精霊の休眠状態が解けてしまったのだろう。

 精神に作用する類の術を受け、無防備に眠っている僕を北神が殺さなかったのは、どういった意図だろうか。

 人を殺す覚悟が無かったのか。重傷を負った七鉈と共に、ここを離れることを優先したのか。


「北神は……?」


 ぐっと伸びをして起き上がりつつ、周囲の戦闘員に訊く。


「もう逃げたみたいですよ。どんな結界でも一か所を殴り続ければいつかは綻ぶ。貴方が落とした剣を使えば、一般人でも時間をかけて穴を空けるくらいはできたでしょう」


 口を開いたのは、僕よりもいくつか歳上程度の少女。

 背丈も体つきも一見普通の女子高生だが、身に纏う空気の鋭さだけが常軌を逸している。

 目の色は限りなく白に近い空色。透明と思えるほどに淡い色合いの瞳は、彼女が極度の弱視だと教えてくれる。

 腰には刀剣を提げている。軽く柄に手を当てているだけの仕草だが、次の瞬間には首を跳ね飛ばされている錯覚を覚えた。

 それほどまでに、彼女は剣として完成している。


「姉さん……」


 三日月南視(みかづきみなみ)

 北神の契約精霊に見せられた記憶のせいか、無意識の内に彼女を呼んでしまった。


「そういえば、私の妹なんでしたっけ。覚えてないので、よく分からないんですけど」


 ズキンと胸が痛む。

 別人のように変わり果てた姉と会う度に、僕は心臓をナイフで刺されたような気分になる。

 あの日、あの絵を僕に見せようとしてくれた姉さんは、もうどこにもいない。

 今は、粛々と命令を遂行する三日月の剣が在るだけだ。


「あと、北神望人暗殺は私が引き継ぎます。貴方はゆっくりと休んで下さい」


 まあ、そうなることは分かっていた。

 ついこの前まで、姉さんは大規模な討伐任務に就いていた。ここにいるということは、そちらはもう済ませたのだろう。

 姉さんがフリーになったなら、重要度の高いこの任務は僕から姉さんに引き継がれる。

 そうなる前に、自分の手で決着をつけたかった。

 姉さんから全てを奪った北神望人を自分の手で殺してしまいたかった。

 北神は憎い。姉さんを記憶喪失に追いやったあの画家を、僕は心から憎んでいる。

 でも、それ以上に――――


「……ごめん」

「? 何のことですか?」


 三日月南視が北神望人を殺すなんて、あまりにも悲惨だ。

 だって、姉さんはいつも、部活の後輩(北神望人)のことを楽しそうに話していたのだから。

 せめて、僕の手で殺してしまえれば良かったのに。


「いや、何でもない」


 胸に抱えるのは後悔ばかり。

 何一つ掬えなかった掌で、僕は剣を拾い上げた。

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