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君を描いて、七等星 ~殺し屋少女が高校生天才画家の護衛をする話~  作者: 讀茸


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第一話 日々の残骸

誰も私のことなんて、見てはいないのだから

「おーい」


 声が聞こえる。


「おーい、北神ー」


 俺を呼ぶ声。

 誰かが俺を呼んでいるのに、当の俺は意識がはっきりとしない。

 霞がかかった空みたいに、ぼんやりとぼやけている。


「北神ー、戻ってこーい」


 そうだ、俺は戻らないと。

 でも、どこに戻れば良いのだろう。

 俺はどこか遠くに来てしまっていて、帰るべき場所を探していたはずだ。

 俺は一体、どこに――――


「起きろォ! 北神ィ!」


 ドン! と先生が俺の机を叩く。

 至近距離で鳴り響いた音で、俺の意識は完全に覚醒した。

 寝ぼけ瞼をこすれば、ジャージ姿の女性教師が、腕を組んで俺を睨んでいた。


「一限から居眠りとは良い度胸じゃないか、北神。私の授業はそんなに退屈かァ?」


 先生はこめかみをひくつかせながら、俺へと詰め寄って来る。

 獅堂先生。俺のクラスの担任であり、担当教科は魔術史。如何にも体育教師という見た目をしているが、運動は苦手らしい。


「あー、はい」

「肯定するなァ!」


 獅堂先生の鋭いツッコミに、クラスからドッと笑いが起きる。

 一連のやり取りを見ていれば分かる通り、獅堂先生は完全にナメられている。

 ナメられてはいるが「獅堂ちゃん」と呼ばれて親しまれるのは、本人的にもそこまで気分が悪いものではないらしい。


「北神も起きたし、続けるぞー。魔術における詠唱の歴史について、短縮詠唱と詠唱圧縮に始まり、現代ではほとんどの魔術がワンフレーズチャントか無詠唱で行われるに至っていて――――」


 獅堂先生は黒板の前に戻り、授業の続きを始める。

 高校二年生になって始まった魔術史の授業だが、正直な所、俺には内容が一ミリも理解できない。

 何でも魔術に関する歴史を学ぶ授業らしいが、これがもう、冗談みたいなレベルで難しいのだ。

 魔術系の教科はどれも難しいが、個人的に魔術史の難解さは群を抜いている。

 こんな意味不明な勉強は、できれば一生やりたくないのだが、今やどの大学でも魔術系の教科は受験科目に含まれている。

 魔力と共に文明を発達させてきたこの世界において、俺達はこのややこしい勉強から逃げられないのだ。


「ウィゼルトン公国で発足した大陸魔術連盟により、各地に散らばっていた魔導技術が統合、共有されるようになり、魔術の発展が劇的に進むことに――――」


 逃げられないとはいえ、やはり意味不明なものは意味不明だ。

 黒板に書かれた板書を写すのもなんだか億劫で、シャーペンが中々動かない。

 そんなこんなしている内にも、獅堂先生の講義は呪文のように耳から浸透してくる。

 難解な呪文に当てられて、意識がゆっくりとぼやけていく。シャーペンが指の隙間から零れ、頭がカクンと揺れ、再び俺は微睡みの中へ――――


「寝るなァ! 北神ィ!」


 またもや、獅堂先生の怒号が響いた。


     ***


 キーンコーンカーンコーン。

 放課後のホームルームもチャイムと共に終わりを迎える。


「それじゃあ、みんな気を付けて帰るように。最近暑いから、熱中症に気を付けろよー」


 獅堂先生の言葉を皮切りに、生徒達は席を立ち始めた。

 他の生徒と談笑する者やさっさと荷物をまとめて教室を出ようとする者。

 どちらかといえば、俺は後者だった。

 机の中のノート類をリュックに詰め込んで、やっぱり重いから机の中に戻す。

 ここ最近の殺人的な暑さの中、これだけのノート類を持ち帰るのは苦だ。俺は置き勉をすることに決めた。

 軽いリュックを背負って席を立つ。教室を出ようとした俺に、背後から陽気な声が聞こえた。


「あ、北神。この後暇? これからカラオケ行くんだけどさ、お前もどう?」


 声をかけてきたのは乙井。

 サッカー部に所属する明るい男子生徒で、クラスのムードメーカー的存在だ。

 俺に声をかけてきたのは乙井だが、その周りには何人かの生徒が談笑している。

 というか、いつも乙井と一緒にいる三人だ。


「ごめん。これから部活」


 カラオケには行きたいが、今日は部活がある。

 俺は乙井の誘いを断った。


「えー、北神君来ないのー。……部活サボるってどう?」

「マジかよぉ、北神ぃ~。サボっちまえって部活くらい」

「北神君って言ったらアキバのアイドルですからねぇ。それぁ、世間は許してくれぁせんよぉ」


 俺が口にしたシンプルな拒絶の言葉に、乙井の仲間達が口々に文句を言う。

 約一名ネットミームで喋っているやつがいるが、俺は気にしないことにした。アキバ関係無いし。


「そっか。また今度な。北神」


 文句たらたらな三人とは違い、乙井は気を悪くする様子も無い。

 やや強引なきらいがある取り巻きにも、乙井の好青年ぶりを見習ってほしい所ではあるが、言っても栓無いことだ。

 それに、彼らの方が言っていることは正しいのだ。

 部活くらいサボれば良い。部員なんて俺一人なのだから、行かなくたって誰も困らない。

 部室棟の隅にあるような部屋に籠っているより、友達とカラオケに行った方がよっぽど健全だ。


「うん、また今度」


 俺は乙井達に手を振って、教室を出た。

 目指すは部室棟。生徒達の話し声で溢れる廊下を、俺は一人で歩いて行った。

 まるで、喧騒の海を泳ぐように。


     ***


 部室棟の隅の隅。滅多に人の立ち入らないような校舎の隅っこに、その部室は位置している。

 「美術部」と書かれた看板はボロボロで、今にも剥がれ落ちそうにさえ見える。

 いや、本来はとっくに剥がれ落ちているはずの看板だ。

 先輩がいなくなってから、ここの部員は俺一人。

 この部屋を自由に使えているのは、学校側のお情けのようなもの。どこかの同好会が部活に格上げにでもなれば、すぐに美術部は取り潰されるだろう。


「――――三日月(みかづき)先輩」


 ここに来る度、いつも思ってしまう。

 この扉を開ければ、中では先輩が待っているんじゃないかと。

 キャンパスの前に椅子を置いて、そこに座った先輩はつなぎを絵の具で汚しながらも、楽しそうに絵を描いている。

 そんなあり得るはずもない光景を、いつも頭に思い描いてしまう。


「こんちはー……」


 挨拶しながら、部室の扉を開く。

 返答は無い。ただ、殺風景な一室が俺の前には広がっている。

 壁と天井はホワイト。床はライトグレー。画材やらが置かれている棚までも白い色合いの素材を使っているのは、意図的な配色だ。

 窓から差し込む光が、白い部屋に一条のラインを引く。

 壁に取り付けた額縁。そこにかざった絵にはカーテンをかけて、人目に触れないように保管している。アレは人目に触れて良いものじゃない。

 この部室は俺と先輩でかなり改造した。限りなく白に近い色の空間は、俺と先輩で作り上げた理想のアトリエ。

 純白の世界を窓から差し込む陽光が照らす。その眩しさに目を細めながら、何にも縛れずに筆を走らせる。白い部屋では、描いた色彩がよく映えた。

 そんな思い出の残骸だった。


「始めるかぁ」


 俺は白い部屋の中央にキャンバスを立て、その前に椅子を置いて座った。

 少し前までは、向かいに先輩が座っていたのだけれど、今はもういない。

 そこには白い空白が在る。

 棚から画材を取って来て、気の向くままに絵を描く。意味も理由も信念も無く、言うなれば惰性で筆を走らせる。

 ひどくぼんやりとした意識の中、茫漠とした意志だけを頼りに、縋りつくように色を塗る。

 その筆は幸福だった過去をなぞるように。

 ほとんど無意識に動かした筆は、気付けば一枚の絵を仕上げていた。

 描いたのは、夜の花畑。冥界を思わせるほど暗い夜空の下、断崖に覆われたような狭い場所に、色彩豊かな花が咲き乱れている風景だ。


「皮肉なくらいの出来だわな。キタガミ」


 ふと、隣から声が聞こえた。

 振り向けば、そこには小学生程の歳の女の子が立っている。

 群青の髪を膝下まで伸ばし、黒いドレスのような装いをした子供。明らかに人ではあり得ない明度を誇る金の瞳が、彼女が人外の存在であることを教えてくれる。

 彼女が俺の隣まで歩いてきたわけでも、俺がずっと彼女の存在に気付かなかったわけでもない。

 今この瞬間から、彼女は存在し始めたのだ。


「それは、よく出来てるってこと? ノルニル」

「お前の絵がよく出来てなかったことなんて一度も無いわな。少なくとも、ニルがお前を観察し始めてからは」


 彼女はノルニル。俺が契約する精霊である。

 現代において、精霊との契約は珍しいことではない。国民の三人に一人が精霊と契約しているという話も聞いたことがある。

 日々の生活に精霊の助けを借りるというのは、魔術社会に生きる俺達にとって身近な選択肢の一つだ。

 そんな現代では珍しくもない精霊だが、ノルニルほどの自我を持つ精霊は相当珍しい。

 先輩の話では、精霊というカテゴリーに当てはまるかどうかさえ怪しいイレギュラーらしいが、魔術に疎い俺にはよく分からなかった。


「ニルと契約できてる時点で、お前はこの世界で最も優れた芸術家だわな。……お前達人間の倫理観に当てはめれば、優れたと評するには危険すぎる代物だとしても」


 ノルニルと契約する条件。

 それは、その時代において最も優れた芸術家であること。

 何を以て優とし、何を以て劣とするか。その判断基準を持っているのはノルニルであり、俺にはその概要は測り知れない。

 ただ、その判断基準は人間のそれと大きな乖離は無いと思う。

 ノルニルは人外特有のそれで絵を見定めているのではない。あくまで人と同じ物差しの上で人のキャパシティを超えてしまったものを、人外のキャパシティで以て見定めている。


「で、それも捨てるんだわな?」

「危ないからね」


 出来上がった絵に、俺は黒い絵の具を塗りたくる。

 無遠慮な黒に蹂躙された絵画は、すぐに原形を失い、真っ黒な落書きへと成り果てる。

 放課後をかけて描き上げた完成品をゴミに変えた上で、それを四度ほど破いて分断する。

 完全に紙屑になったそれをくしゃくしゃに丸めて、部室の隅のゴミ箱へと放り込んだ。

 絵を描いて、それを黒く塗りつぶして、捨てる。

 これが、美術部でしている活動の全容だった。描いたものを誰に見せるでもなく、自分で満足するでもなく、ただ無感動にゴミ箱に捨てる。

 そんな虚しいだけの無意味な時間を、俺は未だに手放せずにいた。


「ノルニル、もう帰るよ。戻る?」


 ノルニルは普段俺の中で眠っている。何でも、俺の精神世界に棲んでいるのだとか。

 俺の精神世界へと戻るか、という意味を込めて、俺はノルニルに訊いた。


「まだ戻んないわな。それよりキタガミ。あれ食べたいわな、マック。マックのポテコが食べたいわな」

「ポテトね。じゃあ、帰りにマック寄るかぁ」


 ノルニルはマックをご所望らしい。既に夜の六時過ぎ。夕飯代わりにマックを食べるのも、たまには良いだろう。

 俺は画材を片付けて、部室を後にした。

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