真昼の月下美人と伝承の中の真実
夜明け。
いつも通り夜更けまで飲んでいたはずのパールの姿が、くりあと共に食堂にある。その辺りは流石、と言って良いだろうか。
「馬を使わなくても、余裕で昼前に着きそうだねぇ。」
パンを片手に、地図を見ながらパールが言う。
「何も食事中に地図を広げんでも… 昨日の内に打ち合わせておけば良かったんじゃないのか?」
食べた気がしない、と、くりあが呟く。
「細かい事は気にするな。食べ終わったら、早速行くよ。」
「うぃ。もう何も言いますまい。あとは、あの魔女のばあさんが言ってた通りに、魔道具使って塔の天辺まで往復だよな?」
「そうなるね。」
二人は朝食を取り終えると、一息ついてガラスの塔に向かう。
森への全ての道には衛兵が二人以上ついて管理している。
「厳重だなー。」
と、くりあが肩を竦めた。
「そこの二人、この先は許可証の無い者は立ち入り禁止だ。先へ進む場合は許可証の提示を求める。」
衛兵が抑揚の無い声で言い放った。
「ああ、これですね。二人分になります。確認をお願いします。」
パールが許可証を見せる。衛兵がチェックし、二人に戻す。
「日が沈む前に戻るように。行って良し。」
衛兵達にむけ軽く会釈をしたあと、二人は森に足を踏み入れた。
「なーんか、偉そうだよなあ。」
少し離れてからくりあが一言。我慢おし、と、事も無げにパールが流した。
暫く地図を片手に歩き回ると、泉のある開けた場所に出た。老婆の言うとおりの場所だ。
「なあ、ホンットに何も無いなあ。どうすんの?」
「言われた通り、コレを使うさ。」
手にした魔道具をひらひらと振ってみせるパール。
「えっ、イキナリ?」
言うが早いか、パールはくりあの事などお構いなしで魔道具の封印を解く。
風が起こり、そうして二人の目の前に風の精霊が姿を見せた。
… … …
風が啼く。いや、精霊が話しかけているのだ。だが、魔術を使えず魔力も持たない二人には、精霊の言葉など聞き取れない。姿とて、辛うじて見えるようなもの。
「なっ、なあ、クイーン・パール、どうするんだ?」
「ん? 心配性だねえ。こうすりゃいいのさ。アタシ達を連れて飛んでおくれ。遥か上空に、ガラスで出来た塔があるはずなんだよ。そこまで連れていっておくれ。」
… … …
風が啼き、そうして、二人の体が宙に。
空を切り、あっという間に遥か上空まで来た。地面は遥か彼方。そうして、何もないはずの空中に広がる花畑。
「あの花畑へ下ろしておくれ。」
… … …
風がまた啼いて、二人は花畑に下ろされた。
「ありがとうよ。もとの世界にお帰り。」
… … …
何事かを言い残して、風の精霊は姿を消した。
「…って、何、ここ。空の上に花畑???」
「ガラスの塔の最上階だろうね。ここまで来ても塔自体の姿は見えないとは… それにしても、見た事の無い花ばかりだね。…月下美人は…」
一つだけ、蕾の花があった。それでも他のどの花よりも高貴で、一際存在感があった。
「ああ、あれだろうね。」
「で、結局あのばあさんは何が言いたかった訳?」
「さあ…?」
二人は顔を見合わせた。とにかく月下美人は無事にあったことだし、ばあさんに報告しにでも行こうか? と、パールが言った時だった。
ドナタ
どこからか、儚げな女の声が聞こえた。いや、声とはまた別のような、音、ともまた別のもの。
「…。…今、何か言いマシタ?」
「いや?」
ひきつり気味のくりあに、動じる気配の無いパールがそう一言答える。
ドナタデスカ?
「また? 何? 幽霊???」
アナタガタハ ドナタ
「月下美人が…!」
パールが目を見張った。月下美人が、…そうだ。花開くのではなく、変化した。花の部分が線の細い、悲しみに満ちた瞳の女性の上半身に。磔刑台の下に咲くアルラウネのようだ。だが、それとは違ってどこか気品がある。その人化した月下美人は言う。
アナタガタハ ナゼ ココニキタノ?
と。声に成らない声のような、聞こえると言うよりは、肌で感じる、否それとも違う。まるで直接魂に響く言葉のようなもの。
「…月下美人を見るため、に。」
半ば呆然と、パールが答えた。
アナタガタモ…
ココハ トテモキケン ハヤク オカエリナサイ
「帰る、けれど、その前に一ついいかい? 一体どういうカラクリで花が人に?」
予想だにしなかった出来事に、人に成った月下美人から視線を外せない。
ワタシモ カツテハ ニンゲンデシタ
ツキノマモノニ サラワレ
ココニ トジコメラレタノデス
「もともと人間だったのか? じゃあなんで、花になっちゃったんだ?」
ココニヒトリ トジコメラレ
ヨルニナルタビ ツキノマモノガ クル
ソシテ ワタシニ ウタワセル ソノクリカエシ
ワタシハ カナシクテ オソロシクテ
ソシテ タスケガクルマエニ
ココデイノチ ハテマシタ
ワタシガ シンダコトヲシッタ ツキノマモノハ
ワタシヲ ハナニカエマシタ
ソレカラズット ワタシハヒトリデ ココニ…
ソレカラモ ヨゴト ツキノマモノガ ヤッテキマス
ウタウコトサエデキナクナッタ ワタシノモトニ
心がきりきりと締め付けられるのは、月下美人の悲しみが、言葉と一緒に流れ込んでくるからなのだろうか。
「…月の魔物は何故、貴女を拐ったんだ?」
くりあが、月下美人に尋ねる。
ワカリマセン タダ…
ヨゴト ワタシノウタヲ キイテイマシタ
イマハタダ ワタシノソバニ イマス
「そうか。月下美人は月の魔物の呪いを受けた人間の魂… だから、あのばあさんは、月下美人を手折るなと…」
パールは、花畑の中で儚げに浮かぶ、かつては人間だったと言う月下美人の姿を目にし、老婆のあの回りくどい言葉を思い出した。そう軽々しく口にしてしまえることじゃないと。タチの悪いヤツなら、構わずこの塔を荒らすことさえ躊躇は無いだろう、と。
「手折ったらどうなっちまうんだ?」
と、くりあが、不安げにパールを見る。
「この世から魂が、存在そのものが消えてしまうらしいねぇ。永久に救われないと聞いているよ。アタシも魔術が使える訳じゃないから、これ以上詳しくは知らないよ。」
同情、いやそれ以上にどうにか救いたいと言う想いが芽生えている。たが、どうする? 今、何が出来る。考えろ。そう思考を巡らせながらパールはくりあに答えていた。
「どうするんだ? このままずっと、ここにいなきゃいけないなんて可哀想すぎる。」
「…やっぱりルビィ・アイの世話になる事になったね。…月下美人、もう少しだけお待ち。
そうしたら、アタシ達が月の魔物の呪縛から解放してあげられるはずさ。」
視線を月下美人に向け、パールが言った。
ホントウニ?
すがるように、それでも躊躇いがちに月下美人が問う。
「ああ。約束する。」
力強くパールが言い切ると、
アア… アリガトウ
ほろり、と、月下美人から涙がこぼれたようだった。
「行くよ、くりあ。」
決意に満ちた目のパールが踵を返す。
「おうっ。」
俄然やる気が出てきた、そう言わんばかりにくりあが応える。
パールは二つ目の魔道具の封印を解き、風の精霊に地上に下ろして貰う。
急がなくては。一刻も早く。心が逸る二人だった。
足早にもと来た道を戻る二人の姿を見付けた衛兵が、
「ご無事で何より。」
淡白に一言。許可証を彼等に渡し、二人は王都に戻った。日も暮れ始めたので、出発は翌朝にすることにし、二人は少し早めの夕食を取りに食堂へ向かった。
「考え事がある。」
と言って、珍しく酒場に向かわずパールは宿の部屋に戻った。それを見て、
「…明日、槍が降ったりしないよなあ?」
と、思わずくりあは呟いてしまった。
「まあ、でも、そんなもんかなあ。」
あの月下美人の姿が、とても切なくて、そんな悠長にしていられない。パールもきっとそう思っているに違いないと、くりあは考えた。早くなんとかしてあげたい。夜通し馬を走らせるにも限度がある。
「俺も、もう寝よ。」
早く寝て、その分早く起きて、早く出発できるようにしよう、そうしよう。と、一人頷いてくりあも自分の部屋に戻った。
翌朝。いつものように軽く朝食を済ませると、くりあは荷物のまとめに入った。その間にパールは例の古の魔道具マン・イーターを受け取りに武具屋へ向かう。
「ホントに来た…」
店主は少し驚いたのか面食らった顔で、パールを見た。
「どうしたんだい?」
「いやねえ、あんな曰く付きなモノを本気で買うとは思ってなかったんだ。悪かったよ、ただの冷やかしだと思っていたんだ。」
と、正直に言った店主に、それもそうかもしれないね、と、笑って答えると、
「で、幾らで売ってくれるんだい?」
と、パールは早速商談に入る構えを見せる。
「そんな物騒なモノは売れないよ。店の評判が悪くなっちまう。だから、何か別の物を買っておくれよ。そのオマケとしてあげるからさ。で、ここで手に入れたってのは内緒にしてくれないか?」
と、口に指を当て内緒話をするポーズの店主がヒソヒソ声で言った。
「慎重だねえ。ま、いいよ。そうさね… …。じゃあ、これを頂こうか。」
店内を見回す。ふと、目を引かれた一振りのレイピア。迷わず手にするパール。それは、不思議な気配をしていた。魔術で仕上げられているのが一目で分かる。軽く、鋭利な、そしてパールに良く似合う作りの剣だ。
「姉さん目の付け所が違うなあ。それは錬金術師が作り、魔女が術をかけた一品モノさ。気紛れで作ったみたいだけど、なかなかの出来だよ。銘はフェザー・ファング。」
「へえ… 扱い易そうじゃないか。気に入ったよ。」
そう言うパールの目が煌めいている。お気に入りを見付けた目だ。
「ありがとう。それはすぐに装備するのかい?」
「そうさね。いくら扱い易いと言っても、使わなければいつまで経っても巧く使えないからねぇ。」
「尤もだ。…こっちのマン・イーターは包んで良いんだな? 姉さん。」
「ああ、宜しく頼むよ。」
王都の端までくりあが馬と荷物を移動させておく段取りになっていたので、勘定を済ませたパールは武具屋を出ると真っ直ぐに、くりあが居るはずの街道を目指した。
「待たせたね。」
「まあ、いつもの事ですから。」
「何か言ったかい?」
「イエ。さっさと出発しましょうよ。」
「そうさねぇ。」
そうして二人は一路、自国、透明なる湖の王国へと戻ることに。
途中、例の老婆の家に立ち寄る。
「…そうかい。月下美人は無事だったのかい。」
安堵の表情を見せた老婆が言った。
「アレは人間の魂だったんだね。ばあさんは解呪をしようとは思わなかったのかい?」
「言っただろう? アタシゃを魔女になり損ねたんだ。解呪なんて高等な術は使えないのさ。しかも、出来損ないだから普通の魔女は相手にしてくれなくてねぇ…」
目を伏せ老婆が呟くように言う。
「…。悪いこと聞いちまったね。まあ、安心しておくれ。アタシの知り合いの魔女に、解呪を頼むことにしたからさ。」
手土産もあることだし、なんとかなるだろうとパールは老婆に言った。
「…そうかい。月下美人を頼んだよ。」
すがるように、老婆がパールの手を取った。
「じゃあ、先を急ぐから。また、報告に来るよ。」
「ああ。気を付けてお行き。」
老婆に見送られ、馬を急がせ故郷を目指す。
そうして、暫く振りの故郷、透明なる湖の王国の土を踏んだが早いか、荷物の整理もせずに、進路を国の最北端の森に切り替える。