ガラスの塔攻略と白の魔族の脅威②
「なっ、なに? 俺のせい~~~~~ッッッ!?」
「ちっ、掴まれルビィ、くりあ。」
咄嗟に鉤爪付きのロープを、崩れる気配の無い塔の内側の壁に投げかけたパールが、手を伸ばす。その手をくりあが取り、ルビィの手をもう片方の手で掴み、彼女に一言。
「すっ… スイマセヌ…」
「勝手な行動をするなと言ったじゃろう、ボウヤ。パールが居らんかったら、ミンチじゃったな。…どうやら、下の階は以前の状態に戻ったようじゃ。」
眉間に皺を寄せ、くりあに説教を食らわし、崩れ去った部分の塔の様子を窺うルビィ。
「ルビィ… 悪いが、鉤爪の食い込んだ位置が悪い。三人分も支えていられる時間はそう長くないみたいだ。」
ぐらぐらと安定しない鉤爪を確認したパールが、顔色も優れぬ様子で、掠れた声で言った。
「ああ、そのようじゃな。すぐに手を打たんといかんのぅ。ボウヤ、飛翔の魔術を使いたいから私の体を支えてくれんかの。」
と、指示してくりあに体を支えさせ、飛翔の魔術を使ったルビィはパールとくりあを連れて、足場の残っている部分まで飛び上がる。
「ああ~。地面がだいぶ下だねえ… これじゃ、本当にミンチだったねえ。くりあ、前から不用意にその辺にあるものを触るなって言ってあっただろ?」
ちくちくと、パールが釘を刺す。
「ごっ、ごめんよ~。だって、人間の作った塔じゃないから、そういう… 触ったり引っかかったりすると発動するようなワナは無いかと…」
手を組んで、パールとルビィに平謝りに謝るくりあだった。
「人間が作ってない分、逆に何でもアリなんじゃとは思わなんだかの?」
「ところでルビィ、前の状態に戻ったって?」
くりあを突付くのに飽きたのか、目下の優先事項を忘れていなかったからか、パールがルビィの方に向き直って尋ねる。
「ああ… 昼間は姿が見えないんじゃなくての、あの最上階の部分だけ浮いていたんじゃ。そして夜、月の光で塔が作られる、そんな仕掛けっだったんじゃろう。」
以前来た時も、目隠しの術がかかっている気配も無かったしのぅ、とルビィが言った。
「ふうん? 不思議だなあ。ガラスって言うより月光の塔、みたいな感じなのか?」
「まあ、そんなところじゃろう。」
不思議そうに塔を見詰めるくりあに、ルビィが答えた。
「で、結局、あのループするワナがどうなっているかなんだよ、ルビィ。」
「ああ… それなんじゃが…」
パールの問いに答えながら、数段上ったルビィが、
「どうやらあの罠が仕掛けられていた部分は崩れ落ちたようじゃ。普通に上れるじゃろう。あの紋様も無くなっていることじゃしの。」
辺りを調べ、そう結論する。
「えー… と、怪我の功名?」
へらっと、笑ってくりあが言うと、
「偶然だろ? もう勝手な事はおしでないよ。」
と、じろり、とパールがくりあを睨む。
「…スイマセンでした。」
「それにしても、あと一体どれだけあるんだろうねぇ。月下美人まで…」
遥か地上を見やり、そうして遥か上空にある筈のフロアを眺める。
「夜までに辿り着けるのかなぁ…?」
先の見えない螺旋階段に、三人は溜息を漏らした。ここでボーっとしても仕方ないね、と、パールが駆け出す。再び、最上階を目指す三人。
「あれ? 行き止まり?」
どれだけ駆け上っただろう。一瞬、網膜を焼くかと思われる光に襲われ、気が付くと一面真っ白な空間に放り出されていた。
「何でこんなに真っ白いんだい? 最初の暗闇のフロアに対抗してるのかねえ。」
「そんなん対抗するモンなの? てか、どっちにしても夜の国の女王が作ったんでしょ?これ。」
何も無い、そう天井も床も、…そして影さえも無い真っ白なフロアを見渡しパールとくりあが口々に言う。そんな二人に溜息を漏らしルビィが言う。
「呑気なモンだね、二人とも。この手の空間は…」
「時間の流れが速い可能性がある、んだったね? ルビィ。」
「分かってるじゃないか。」
「で、結局はどうなの? ルビィ・アイ。」
最初のフロアみたいにすぐに出られるんでしょ? とくりあがルビィを見る。
「…ん?」
ルビィが眉を顰めた。
「え?」
パールとくりあの声がハモる。辺りを探るルビィの表情は芳しくない。
「ここは… どこじゃ?」
「どこって… ガラスの塔、だろ?」
「何を言ってるんだい? ルビィ。」
的外れな事を言う、と、パールとくりあは顔を見合わせた。自分達はガラスの塔を攻略中なのだから。
「否。どうやら、別の空間に飛ばされたようじゃ。…ボウヤ、また何か触ったり踏んだりしていなじゃろうな…?」
くりあの方を向いたルビィの表情はかなり深刻だった。
「えっ? 俺? イヤ、別に何も… 無いと思う… ずっと走ってたし…」
「…うーん…」
今までを思い浮かべながら、くりあが答える横で、パールが腕を組んで唸っている。
「クイーン・パール、どうかした?」
「いや… そう言えば、さっき妙なモノを踏んだような気が?」
眉間に皺を寄せながら、パールが首を傾げる。
「…パール、お前…」
「…うーん… なんか柔らかいモノだったような…? うん。スマン! 今回はアタシだ、多分。」
さらり、と、パールが言い切る。
「良かったぁ、俺じゃなくて。」
「全くもって良くも無いがの。ホントにの、このふざけたコンビで、よく今まで無事に帰って来れたものじゃよ。」
くりあは胸を撫で下ろし、ルビィが項垂れる。
「…で、結局ここはどこなんだい、ルビィ?」
「まあ… 良くて、夜の国の魔物の腹の中、じゃろうが… 」
パールの問いに答えるルビィの言葉は歯切れが悪い。その表情も、一向に良くならない。
「え? じゃあさ、どうやって元の場所に戻ればいいワケ?」
肝心のルビィにも分からないのだとしたら、魔術関係に明るくない自分達には手に負えないんじゃないか、と、くりあも不安になってくる。
「フム… 見ル限リハタダノ人ノ子ノヨウダナ。」
どこからとも無く、威圧感がありながらもよく通る美しい声が響く。
「え? 何? 誰?」
辺りを見回しても、人影は見当たらない。
「害ハ無サソウダガ… シカシ…」
姿は見えないのに、声だけが響く。そして丸で見張られているような、気配。
「ダガ、我等ガ主ニ仇為ス輩デアルナラ…」
威圧感が強くなる。殺気が紛れているのが分かる。
「主…?」
パールが呟く。正体の分からぬ圧倒的な気配に、声に、冷や汗が流れる。ルビィやくりあの顔色も優れない。
・・・強い。
そう、まるで恐怖に近い何かが脳裏を過ぎる。勝てるのか? と。
「…こ、れってさ、ヤバい? もしかしなくても。」
そう掠れ声で言うくりあは震えている。
「どうだか、ね…」
パールが呟くように答えた。使いたくは無いが… ソウル・イーターなら、勝てる。攻撃さえ当てられたら。考えを巡らせる。…ただ。この閉じられた空間で、ルビィには三人分の結界が張れないというのに、ソウル・イーターを使うのか? ルビィも同じ考えの筈だ。
…どうする?
パールとルビィは視線を合わせる。張り詰める緊張感の中、何時の間にか三人の呼吸は押し殺したように、静かになっていた。
「ねえ、やっぱり影の魔物みたいなヤツに呑まれちゃったってコト、かな?」
と、くりあが恐る恐る口にした言葉が重苦しい緊張感に包まれた沈黙を破った。
「アノヨウナ下賤ノ者ト同列ニ扱ワナイデ貰イタイモノダ。」
くりあの言葉に答えたのは、他ならぬ正体不明の声そのものだった。それと同時に、真っ白な空間がゆらり、と歪んでいく。
「ああ、相手の方から来てくれたようだね。探す手間が省けてよかったじゃないか、ルビィ、くりあ。」
一人、楽しそうにパールが言う。とは言え、それが虚勢に近い事をルビィは見抜いていた。この場を切り抜ける手段がまだ思い付かない。けれど… 相手に付け入る隙を与えたくない、そんな思惑からの虚勢だ、と。
「そーいうモンダイ? …てか、キレーだなあ。ホントに魔物なの?」
声の主の姿を見て、くりあの緊張が幾許か弛んだようだ。それを見て、呆れ顔でパールは呟く。
「お前も十分現金だと思うけどね、くりあ。」
そう。真っ白な空間に姿を現したのは、純白のロングドレスに身を包んだ夜の国の魔物だった。月光のように輝く銀色の長い髪の美しい女性の姿をした魔物の、闇夜と同じ色をした瞳が、この白い空間に一際映える。
「ふ… 人ノ子ヨ、何故我等ガ女王ノ許ヲ目指スカ。」
静かな声は、刃物のように鋭く冷たい。ルビィの額から冷や汗が一筋。
「ルビィ…?」
その異変に気付き、パールは彼女に声をかける。
「参ったのぅ。あの長い髪… 夜の国の女王に匹敵する… あれは魔物じゃない、魔族、じゃ。戦ったら間違いなく殺されるじゃろう。」
そう答えるルビィの声は掠れていた。最悪の事態じゃ… と、呟く言葉は、声にさえ成らないほど弱々しい。
「髪が長いくらい、なんだっての?」
「バカだね、くりあ。魔族の力は髪に宿るんだよ。髪が長ければ長いほど…」
きょとん、としているくりあに、溜息を吐いたパールが説明する。
「強い?」
「簡単に言えば、じゃ。」
魔族を見据え、この場を如何にして切り向けるかと頭をフル回転させるルビィ。
…ソウル・イーターなら、たとえ相手が魔族でも勝てる。どんなに消耗しても死ぬよりはいい。が。三人分の結界が張れない。中途半端に結界を張ろうものなら、結局ソウル・イーターに喰われ… 共倒れになってしまう。考えろ。この場を切り抜ける方法を! ルビィは魔族を見据えたまま、微動だにしない。
「人ノ子ヨ、我ノ問イニ答エヌカ。何故我等ガ女王ノ許ヲ目指ス。」
魔族は静かに、静かに、けれど強く問い質す。
「…はい。月の魔物の契約を破棄して貰いたく、参じました。夜の国の女王様には、蜃気楼の百合と引き換えに、とのお約束を頂き、ただ今蜃気楼の百合を献上させて頂く為、女王様へお目通りをする為にございます。」
パールが、思考を巡らせることに集中しているルビィに代わって魔族の問いに答える。
「…蜃気楼ノ百合… 影ノ魔物ハ如何イタシタ。ソノ花ハアレノ領域ニ咲ク花ノハズ。」
魔族が問う。先程から一切表情が変わらない。故に腹の底を探る事が出来ない。だが、恐らく… この魔族は知っている筈だ。知っていながら問うているのだ、と、直感がパールに囁く。それならば。
「実に申し訳ありません。女王様の国の者とは存じておりましたが、戦闘が避けられない状態になりましたので、この手で…」
嘘で以て切り抜ける事は不可能だ、と、結論付けたパールが素直に答えると、
「ふ… 正直ナ。影ノ魔物ガドウナッタカハ、既ニ我ノ知ルトコロゾ。ダガ、分カラヌコトガアル。実体ヲ持タヌアノモノヲ、人ノ子風情ガ如何ナル手段ヲ以ッテ倒シタノカ。
…ソレヲ答エヨ。我ハソレヲ知ルタメニ、参ッタノダ。汝等ト刃ヲ交エル予定ハ無イ。汝等ガ我ノ問イニ、先程ノヨウニ素直ニ答エレバノ話ダガナ。」
魔族は、ふと笑みを漏らし、…それはとても冷たい牽制の笑みだったが、さらに問いを重ねてきた。
その問いを受けると、
「…ルビィ。」
パールはルビィに視線を送った。
「ああ…」
分かっている、掠れた声でパールに答えたルビィは軽く深呼吸をし覚悟を決めた。そして、
「…影の魔物は、この、ソウル・イーターの餌食となりました。今は、その強すぎる力ゆえ、不完全ではありますが封印させて頂いております。」
そう、ルビィはソウル・イーターを差し出して見せた。
「…ソレハ、…成程、人ノ子風情ニアノモノガ倒レル訳ダ。汝等ニ問ウ。ソノそうる・いーたーヲ、如何二スルツモリダ。ヨモヤ我等ガ女王ニ…」
魔族の表情が一瞬歪んだ。それを見て取ったルビィは、ただのソウル・イーターでは無いのかもしれない、と、感じ取った。
「いえ、そのような事はありません。飽く迄護身用であります。私が未熟であるため、封印がこの通り不完全ではありますが…」
嘘ではない。夜の国の女王にコレを使うつもりが無い事も。…尤も、女王が約束を守ってくれたらの話だが。
「ソウカ、ナラバソノそうる・いーたーニ、我ガ封印ヲ施シテモ構ワヌト言ウノダナ。」
と、ソウル・イーターを指差し魔族が言う。表情は変わらないのに、拒否できない気配が突き刺さる。拒否する理由も無いのだが。
「はい。宜しくお願い致します。」
ルビィは恭しくソウル・イーターを差し出した。すると白の魔族が何やら呟き、ソウル・イーターが淡く輝く。光が凝縮して、ソウル・イーターの中に消えた。
「…すごい… 完全に封印された…」
手の中の、それまで禍々しい気を垂れ流していたソウル・イーターが、ただのダガーとも思える状態になったのを感じ、ルビィが呟いた。その様子を一瞥し、
「コレデ不安要素ハ無クナッタカ…?」
と、魔族が呟いた。そして三人を探るように見据える。
「不安要素?」
と、それまで邪魔をしないように(正確には魔族の機嫌を損ねない為に)押し黙っていたくりあが、つい鸚鵡返しに聞いた。馬鹿! と、パールがくりあの足を踏みつける。スミマセヌ… と、くりあが呟く。その様子を見た魔族が、
「良イ。我等ガ女王ニ仇為ス輩ヲ、女王ノ許ニ向カワセル訳ニハイカヌカラナ。コノ塔ニ細工ヲサセテ貰ッタ。足止メ出来レバソレマデ…」
と、静かに答えた。その様子に気を許したくりあが、さらに尋ねる。
「え? じゃあ、足止め出来なかったら?」
それにパールとルビィが眉を顰め溜息を吐く。折角このまま何事も無く切り抜けられそうだったのに、と。
「ふ… 我ガ直接、手ヲ下スマデ。ソノ為ニ此処ニ居ルノダ。我モ、人ノ子ソナタ等モ、ナ。尤モ、今ヤ女王ニ仇為ス力モ有ルマイ。此処ヲ通ソウ。」
愛も変わらず無表情のまま、魔族が言う。此処を通す、の言葉に三人は胸を撫で下ろした。
「我ハ、帰ルトシヨウ。…クレグレモ粗相ノ無イヨウニ、ナ。」
と言い残し、白の魔族の姿が真っ白いこの空間に溶けて消えた。そして、それと同時に視界が緩やかに切り替わる。




