勝手に依頼を受けるんじゃないよ
「月下美人? 確かに珍しいっちゃあ、珍しいけどねえ。この辺ではね。それがアタシの次のエモノに相応しいって?」
月の魔物の話が、昔語りに僅かに聞かれる程度になった頃。ある町の酒場でのことだ。男女が向い合わせで話し合う。
葡萄酒が並々と注がれたグラスと、淡水魚メインの小料理がテーブルに並んでいる。…そして葡萄酒の空き瓶が何本も。身を乗り出し、男が弁をふるう。
「フツーの月下美人は、だろ? 俺が言ってんのは、ガラスの塔にしか咲いてないってゆー、この世で唯一の月下美人のコトなの。決して枯れないってヤツ。」
「…ガラスの塔… あの月の魔物が作ったと言う、御伽噺に出てくる塔だね。」
グラスに口を付けそう言う女は、男の話に関心を示す気配が全く無い。
「あっクイーン・パール、御伽噺と思って侮ってんだろ。でもなっ! ついにガラスの塔に行き着いたヤツがいるんだぜ。まあ、月下美人までは及ばなかったらしいけど。」
「へえ… 確かな話かい? それがホントなら目指す価値はありそうだねえ。」
美しきトレジャー・ハンター、クイーン・パール。伝説と謳われる秘宝の数々を手にした、当代切っての腕を持つ冒険家だ。彼女に相棒のくりあ・クォーツが次のターゲットを持ち掛けているところだった。
そう。今は話が歪み、ガラスの塔でこの世で唯一永遠を咲く月下美人を、月の魔物が育てているのだと、人々は語る。姫君のことは、もう誰も覚えていない。
「で、それをどうしようって? お前が花に関心を持つなんて俄にゃ信じられないね、ええ? くりあ?」
酒の肴を刺したままのフォークを、相棒の顔面すれすれに突き付けてパールが言う。お前の頭の中身はお見通しだよ、と、彼女の目は不敵な光を湛えている。
「うっ。実はクイーン・パール… とある人の依頼なんだよ。月下美人を盗って来てくれってさ。礼は弾むって…」
「大枚はたいてまで、ね。別に普通の月下美人でもいいんじゃないのかい? あれでも、この辺りでならそこそこ価値がある。…何か理由があるね?」
ぎらり、とパールが一睨みした。
「…なんか、俺にも良く分からんけど。不老不死の薬にするって言ってたよーな? 決して朽ちることの無い花… それも月の魔物が育てた花を煎じて呑めば、不老不死になれると信じてやがるみたいだ。俺はただの迷信だと思うんだけどなあ?」
訝るくりあが、パールに答える。
「はっ。物好きな。まあ、金持ちの道楽ってヤツだな。まあ… 良いさ。行こうじゃないか、ガラスの塔へ。…ただし、くりあ。月下美人を手に入れられたとして、それをどうするかはアタシが決めるよ。いいね?」
不老不死を望む見知らぬ相手を鼻で笑い、葡萄酒を口にする。そして手に入れた月下美人の所有権を確認するように、くりあに釘を刺すパール。
「うっっっ。…まあ、仕方ない、かなあ。俺だけでガラスの塔が攻略出来るとは思えねぇしさ。」
「て言うか、お前はアタシの下僕だろ。…まだ、あの契約は切れてないんだからねえ。」
「…ああ… そうでございますとも… ご主人様…」
項垂れて、くりあは呟く。…なんでこんなことになっちまったのかなあ。と。
「何だい?」
くくっと喉で笑うパール。くりあの腹の内など、彼女には全てお見通し。
そして彼女に追い詰められた時の反応が、パールには楽しかった。つまるところ、彼は雑用をさせる下僕であると同時に、退屈しのぎの道化役でもある訳だ。
「イエ、何でもございません…」
「だったら、さっさと支度をおし。」
「…ハイ。畏まりまして。」
くりあはガラスの塔攻略のための準備に走り回る。その間、パールはガラスの塔について調べ、いつでも出発出来るよう身支度を整えることにした。
人が語らうガラスの塔の情報は、パールにはどれも目新しさの無い、御伽噺だった。
昔、昔のことです。
月の魔物は地上でも生きられるようにと、ガラスの塔を建てました。それは月の魔力に満ちた塔。月が闇に喰われる一日の間、魔物はガラスの塔で、己が命を養うのだといいます。
だけど、そこは何も無いガラスの塔。固く冷たいその場所は、たった一日を過ごすにも孤独が魔物を蝕むのだそうです。
魔物は孤独を癒すために、一輪の花を育て始めました。それは月夜の晩に咲く、月下美人だったそうです。本来は月夜の晩に咲く花、それが蝕の夜にも花開くのはこの塔が、月の魔力に満ち溢れているから。
月下美人の花開く様を見ようと、それから魔物は毎夜ガラスの塔に舞い降りるようになりました。
限りなく自分に近い存在。だけど僅かな時間にしか花開かぬその花に、それでも魔物は心を癒されたそうです。
それから長い年月がたちました。魔物が大切に大切に育てたからでしょうか。それとも月の魔力に満ちた塔で育てられたからでしょうか。一度も枯れることなく、月下美人は夜になると花を咲かせるのです。可憐な花を。
悠久の歳月、魔物の孤独を癒すために。
「全く収穫が無かったねえ。まあ、端からたいした期待はしてなかったけどもねえ。」
パールは頭をかきながら、ぼやいた。ガラスの塔が実際見付かったことで、何か新しい情報が得られるんじゃないかと、心のどこかで期待していたから、分かりきった結果に拍子抜けしたのだ。
なんだかやりきれなくなって、酒場に舞い戻ると、今度はジョッキで葡萄酒を飲み始めた。空ジョッキが見る間に増殖する。
「ジョッキで葡萄酒なんて、色気が無いっつうか。情緒も無いっつうか。」
呆れ顔のくりあが、パールの前に現れた。見ると、彼も旅支度が終わったようで、身なりも動きやすいものに変わっていた。
「なんだい? …準備は終わったみたいだけど。ガラスの塔の情報が無くて、アタシゃ気分が乗らないんだよ。これが呑まずにいられると思うかい?」
そう言ってくりあを見るパールの目は据わっている。
「…あんた、なんでもなくても呑んでるじゃないか。
…っと。そうだガラスの塔は、遥か北の国、針葉樹の王国にある森で見付かったらしいんだ。だからこの辺じゃまだ、たいした話は聞けないんじゃないかな?」
そんな有り様のパールに半ば脱力気味のくりあが、思い出したように告げる。
「なるほど。この辺で聞くガラスの塔の話は、昔この辺に訪れた旅人の話が語り継がれてた、ってとこかねえ。」
「まあ、そんなトコじゃないかと。…で、そんなに飲んでどうすんだよ。まだビミョーに昼前なんですけど。…なあ、今日はもう出発しないのか? せっかく準備したのに。」
溜め息混じりに、くりあが尋ねる。
「いや、行くよ。馬は?」
けろっとした調子でパールが訊き返した。
「町外れの街道に準備してあるよ。…て、大丈夫かよ、馬に乗って。」
「ヘーキさ。おやっさん、勘定。おいてくよ。」
テーブルに代金を置いて、パールは酒場を後にした。くりあも転がる空ジョッキを一瞥して、彼女の後を追う。
…毎度の事ながら、いくらなんでも飲み過ぎやしないか?
ぼそっと呟く。なんだか今更呆れるのもバカらしいんじゃないかと、少し思いながら。
黒のインナーに魔法を練り込んだ純白の絹の衣をまとい、クイーン・パールが颯爽と歩く。動きやすいように丈を短くしつらえたその衣は、まるで真珠のような光沢をもって柔らかくなびく。その姿が、彼女の異名『クイーン・パール』の響きをより確固たるものにしている。
彼女は、とてもジョッキで葡萄酒をあおっていたとは思えないくらい、しっかりした足取りをしている。女王の何恥じぬ、凛とした姿で。
「旅の荷物は? ちゃんと馬に積んであるんだろうね。」
「あんたの相棒やって、結構経つんですけど。何で今更…」
「あっはっは。それもそうだ。けどねえ、お前の準備はたまに抜けているからさ。」
パールが陽気に笑い飛ばす。くりあは不服そうに眉を顰めた。
「…むー。まあ、そんなことも… 取り敢えず、出発しよう、今日は。で、荷物は針葉樹の王国に着いたら、にでも一回確認してくれよ。」
「くっくっく。ああ、そうかい。まあ、それでもいいさ。それなら路銀は十分に用意したんだろうね?」
道すがら、ただの雑談ともとれる会話をする。葡萄酒が入ってることもあってか、新たな冒険が始まるからか、パールは機嫌が良かった。
「まあ、それなりには。ああ、馬が見えてきた。あれでいいだろう? 一番いい馬を見繕ったんだぞ、ちゃんと。」
そして、町と外の世界との境界線までやって来ると、段々にくりあの用意した馬の姿もはっきりと確認できるようになってくる。
栗毛の毛並みのよい馬が二頭、町外れの街道で馬主に従えられていた。しなやかな筋肉が、美しいシルエットを作っている。
「お前が選んだにしては、いい馬だ。」
「…どーいうイミ? それ… まったくさあ。ああ、ありがとう、ダンナ。なんかわざわざ悪かったな、馬の番までさせちまって。」
「気にすんな、坊主。代金はちゃんと貰ったし、…それに姐さんが使うってんなら、最後まで面倒見なきゃな、なあ?」
その美貌と気っ風の良さと、その王者の如き風格が町の人々の人気を得ている要素だろう。
「アタシのためかい? うれしいねぇ。」
「姐さん、今度一杯どうだい? あんたと一緒にまた酒を飲みたいねぇ、また冒険の話を聞かせておくれよ。」
「分かったよ。無事に戻ったら、今度の冒険の話を肴に一緒に飲もうかね。」
「ああ、いいねえ。無事に帰ってきてくれ、楽しみに待ってるよ。」
馬主とひとしきり談笑したパールが、
「さて、それじゃあ行こうかね、くりあ。」
と、くりあの方を向いた。
「それじゃあ、ダンナ俺達行くよ。」
「おう。坊主もがんばれよ。姐さんの足を引っ張るんじゃねぇぞ。」
「そりゃないだろ、ダンナぁ~。…まったくさぁ。じゃ、行ってくるよ。」
くりあが馬主に手を降る。彼もそれに応える。
月下美人を求めての旅が始まった。