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蜃気楼の町からオアシスの集落へ

「あっ、ちゃんと砂漠に戻ってこれた。」

辺りを見回し、くりあがぽろっとこぼした。


「どういう意味かのぅ? ボウヤ。」

そう言ったルビィの周囲には、ここが砂漠であることを忘れさせるほどのブリザードが立ち込めた。

「あ、いや、特に深い意味は… てかさ、最初に散々脅したのは自分でしょ!?」

「と言うか… ルビィ。蜃気楼の町は、影の魔物が居なくなってもこのままなのかい?」

相変わらず空気が読めないねぇ、と、パールは呟いて、ふと、影の魔物が居なくなったというのに、未だ砂上で揺らめく蜃気楼の町を見やって憂鬱そうにルビィに聞いた。


 影の魔物が倒されたとて、この街に迷い込んだが最後。こちら側に無事に戻って来れないのは、今も変わらないはずなのだから。

 ふむ… と、腕を組み、ルビィの視線が不吉に揺らめく街から、足元へと移る。そこには、魔術の効果がまだ続いている老人が横たわっていた。


「どうやら、あの指輪が呪いの媒体のようじゃ。解呪でもしない限り、ジイサンの悪夢は続くし、蜃気楼の町は存在し続けるじゃろう。」

「…どうすんの? その呪いは。」

「ほっといたっていいんじゃないのかい? ジイサンが呪いを受けたのは、自業自得なんだしね。」

「またホントにこの人は好き嫌いが分かり易いなぁ、もう。そりゃ、ジイサンのせいで関係ないたくさんの人が犠牲になったけど… まあ、自業自得な気はするけどさ。」

冷たい目で見下ろし言い放つパールに、溜息交じりのくりあが言うと、

「パールの言う通り、じゃのぅ。未だにあの指輪を手放さないのは、それだけ業が深いという事じゃからな。」

と、老人を見下ろすルビィが言った。そして続ける。


「それに… 魔力を使いすぎたようじゃ。このジイサンの呪いを解くなんて真似をしたら、約束の期限までにガラスの塔に着けなくなるじゃろう。」

「それはマズイよ。…でもさ、一週間あっただろ? なんだかんだで二日…? しか使ってないからあと五日は余裕があるんだよなあ?」

一瞬、焦りを見せるくりあ。だが、ふと指折り数えながら落ち着きを取り戻す。


「蜃気楼の町… 影の魔物の腹の中の時間が、こちら側と同じ速さで流れとるなら、の話じゃがのぅ。」

空に居る、照り付ける太陽を睨み、ルビィが言った。渋い表情だ。

「どういうコト…?」

彼女の言葉に不安を煽られ、くりあが恐る恐る聞く。


「…一分一秒が、一日一ヶ月に相当している場合があるって事だね、ルビィ?」

忌々しい、と、パールがモノクロに揺らめく街を睨んで言った。

「そうじゃ。とにかく、あの砂漠の部族の村に戻ってみるかのう。」

「それが確実だね。どれだけあの影の魔物の腹の中で時間を使ったかが分かる。」

 そうしてこの場を立ち去る前に、ルビィは老人にかけていた魔術を解除した。老人が目を覚まし、蜃気楼の町は姿を消した。砂の海だけが広がる。


「…のう、やはりその指輪を手放す気にはならんのかね?」

「あたりまえだ。やらん、やらんぞ。」

「…。救いようがないね。行こうかルビィ、くりあ。」

指輪を手放す気があるのなら今すぐにと言わないまでも、解呪してやろうと思ったルビィが声をかけた。が、相変わらずの調子の老人に、侮蔑の眼差しを向けたパールが二人を連れてその場を去る。


 ふらり、と、枯れ木のような体が立ち上がった。容赦なく突き刺さる陽光の中、それはふらふらと当て所なく砂漠を彷徨い始めた。このまま、自然には消えることが無いだろう呪いを纏ったまま、その影はこの灼熱の砂の海を生き続けなければならないだろう。悪夢に追われながら。


 そして。三人は目指すガラスの塔の前に、一路砂漠の部族の村へ。

「まあ、ご無事で何よりですわ。」

あの時、世話をしてくれた女性を見付け、挨拶を交わした。彼女の周りの空気が緩み、肩の力が抜けたのが分かった。

「心配させちまったみたいだね。」

「ええ… もう四日もなんの連絡もなくて… でも、良かったですわ。」

すまなそうにするパールに、にっこりと微笑みかける女性の言葉に、

「四日!? 俺達がここ出発してから四日も経ってんの?」

くりあが飛びつくように尋ねた。

「? ええ、そうですけれど…?」

きょとん、と、くりあを見つめて答える。それを聞いて、

「ああ、やっぱりだったな。ルビィ。」

「まあ四日ですんで良かったがの。期限は明日の夜、か…」

と、険しい表情になるパールと、眉を顰めて思案に暮れるルビィ。


「何かありました?」

「いや、こっちの話さ。心配かけたみたいだけど、ほら、アタシ達は元気だから安心しておくれ。」

心配そうに見詰めてくる女性を安心させようと、そう応えるパールだったが、誰が見ても空元気だと分かってしまうほど疲弊している。

「でも、相当お疲れの様子ですわ… 今日はお泊りになっていかれます? いいえ、是非泊まっていってください。その様子のあなた方を見送るなんて出来ません…」

娘が不安げに三人の顔に順に視線を送る。


「えー… と。すごい心配されちゃってるけど… 確かに二人はかなりのお疲れモードだよね。どうすんの?」

特に疲労の激しい二人に、恐る恐るくりあが聞いた。すると、パールがルビィに視線を送り、回答を促す。

「ルビィ?」

「ん? ああ… そうじゃな。今日は泊めて貰おうかの。さすがに魔力を使いすぎたからのぅ。

…ガラスの塔まで戻れんじゃろうしな。」

ルビィが答えると、じゃあ決まりだね、とパールが言って、

「お言葉に甘えて泊めてもらうことにするよ。ただ悪いんだけど、アタシ達明日の夜までに済ませなきゃならない用事があるんだよ。だから明日の朝早く発たせて貰う事になるんだけど、大丈夫かい?」

すまなそうにパールが言うと、

「まあ… お忙しいのですね。ではそのようにしましょうね。」

嫌な顔一つせずに、女性は応えると、三人の寝床の準備に取り掛かった。


「我儘ばかりで申し訳ありません。」

そう言って、頭を下げる。そうして、一泊の恩を受ける事が決まった三人は、族長に蜃気楼の町について報告に向かった。


「…成る程。それが蜃気楼の町の正体か。」

挨拶を済ませ、蜃気楼の町の詳細を伝える。結局、呪いは解けなかった。影の魔物の脅威は無くなったとは言え、あの町自体が危険な事には変わりが無い。一歩踏み入ったが最後、こちら側には二度と戻れない魔物の腹だ。


「老人にかかった呪いを解く事が出来れば良かったのですが… 影の魔物との戦闘で魔力を使い果たしてしまいましたので…」

そう、ルビィが言うと、

「うむ。ヌシらが気に病むことでは無い。これだけの事が分かったのだ。後はこちらで手を打とう。むしろ感謝する。宴でもしようか。」

心なしか嬉しそうな様子で族長が労う。


「大変有り難いお申し出なのですが… 実は急ぎの用がございますので、今夜一晩の宿をお借りするだけにしたいのですが…」

申し訳なさそうに、パールが族長の申し出を断ると、そうか… と、残念そうに呟いて、

「随分疲労もたまっているようだしな、ゆっくり休むが良い。」

族長は三人を労う言葉をかける。


 その夜の事。ルビィとパールは泥の様に眠りに就く。

「ホント、すっごい疲れてんだなあ… 何があったんだろ?」

普段は何かあればすぐに起きる事が出来るよう、体を休める程度にしているパールとルビィが叩き起こそうとしても起きそうも無い位熟睡している。くりあは、珍しいその姿を見、首を傾げるがすぐに自分も眠りに就いた。


 翌朝。

「ホラ、何時まで寝ているつもりだい?」

そう、パールはくりあを叩き起こす。

「んあ? あれ? もう起きたの?」

「早くに出発すると言っただろう? さっさと支度をおし。」

自分よりも疲れ切って、泥のように眠りこけていた二人は、既に出発する準備を整えていた。眠い目をこすって、自分も急ぎ支度をするくりあ。


ルビィは娘や族長に挨拶を済ませて、テントの外で待っている。

「では、行こうかの二人とも。」

「ああ、宜しく頼むよルビィ。」

再び飛翔の魔術でガラスの塔に向かう三人。


 間も無く、針葉樹の王国に到着した。ふと、異変に気付いたくりあが、

「あっ、あれ!? ガラスの塔…? 今、朝だよなあ…?」

今はまだ、昼前なのだ。それだというのに… 寝惚けているのか、と、目をこする。


 一気に月下美人の元に向かう予定を取りやめ、一度、様子を探る為に着地する事にする。

「見てみな、ルビィ、くりあ。入り口があるよ。…魔女のばあさんは、入り口なんて無いって言っていたというのに…」

「ホントだ。夜に見た訳じゃないから、どうとも言えないけど…」

ガラスの塔があるはずの場所に、今は、巨大な天をも衝く塔が聳え立っていた。ガラスではなく、陶器の様な物で出来ているように見えて取れた。


「…夜の国の女王のやったことじゃろう。少し待っているんじゃな、上の様子を見てくるとしよう。」

そう言ってルビィは一人、飛翔の魔術で飛び上がる。

「なあ、クイーン・パール。なんで、こんな事になったんだと思う?」

高く、高くそびえる塔を見上げてくりあが言う。

「月の魔物を手放したくないんだろうな、夜の国の女王は。アタシらが、蜃気楼の百合を手に入れた事は、影の魔物が死んだ事で知っている筈… だから、約束の今夜までに月下美人の下に辿り着けない様に、ってことだろ? 多分、入り口から入ればワナだらけ、だろうよ。」

「ええっ!? そんなんアリかよう… でもさ、前みたいに飛んでいけば…」


「無理じゃな。」

そう言って、ルビィが降り立つ。その表情は渋い。

「ルビィ。…やっぱりこの入り口だけかい?」

「ああ… 塔の中に入るにはその入り口以外見当たらなかったのぅ。窓一つ無かったよ。それに、陶器で出来ているようじゃが… 魔術で穴を開ける、なんて事は出来そうも無いの。夜の国の女王の力で護られているようじゃから。」

「…試してきたんだね? それならしょうがない。行くしかないだろうねえ。月下美人との約束だ。」

天辺の見えない塔を見上げ、パールが、どうやら腹括って行くしかないね、と言った。


「なあなあ、なんで夜の国の女王はあの月の魔物をこうまでして手放したくないんだ?」

くりあが、首を傾げる。


「それだけイイ男だったんだろ?」

「でも、今はあんな魔物の姿してるだろ? ピンとこないんだよなあ…?」

「夜の国では人の姿に戻っているとも考えられるの。全ては夜の国の女王の掌の上の出来事じゃからのぅ。」

あー… と、納得出来たような出来ないような、そんな顔のくりあが塔の入り口に目を向けた。頂上の見えない、どんな罠があるかも分からない、それを登るのか、と思うと頭が痛くなるくりあだった。


「さっさと行こうか。」

そんなくりあを他所に、パールがさっさと塔に向かって歩き出す。

「ホント、お気楽だよね、クイーン・パールって…」

「別にワナだらけ、なんて何時もの事だろ? 大体飛翔の魔術で往復ってのが、簡単すぎて気に入らなかったんだよ。」

くるり、と振り返ってくりあに言い聞かせるパール。

「あんたって人は… ホントに… なんていうか…」

がっくりと肩を落とすくりあをそのままに、パールは先に進む。

「ボウヤ、こうなったパールに何を言っても無駄な事は知っているんじゃろ?」

と、ルビィが指すパールの表情は、水を得た魚の様に生き生きとしている。


「…ハイ。分かってマス。行きますよ。」

腹を括って、いざ、夜の国の女王が護る塔へ。月下美人を目指して。

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