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影の魔物との戦闘と蜃気楼の百合

ゆらり、と、像が歪んだ。


「なんか… 暗い陽炎に呑まれたみたいだ。悪酔いしそう…」

町の中に入った、くりあの第一声だ。町全体はモノクロの写真が陽炎で揺らいでいるようだった。そうして老人の言っていたように魔物に破壊された廃墟の町には、人の気配がしない。魔物に喰われてしまったのだろう。

「さくっと百合の花を探しちまおうかね。」

と、無造作に歩き出すパール。全く… そう呟いて、ルビィがくりあとパールの後を追う。


「聞いて良いかの、パール。何処を目指しとるんじゃ。」

「どこって事は無いさ。ただのカンで歩いているだけさね。どっちにしたって、この町の情報は無いからね。適当に歩くしかないと思うんだけど、違うかい? ルビィ。」

振り返って、肩を竦めるパール。

「そう言われるとミもフタもないのぅ。取り敢えず一人で先に進むのだけは止めてくれんかの。」

「分かったよ。…人っ子一人いない… 気配もない。これじゃあどこにいても魔物に見つけてくれ、と言っているようなものだねえ。」

ルビィに注意を促され一度足を止めるパールが、周囲を見渡して言う。


「ええ~? 勘弁してくれよ… なあ、さくっと百合の花見つけて帰ろう、な。」

あからさまに嫌そうな顔のくりあが言う。すると、辺りを見ていたパールの視線が止まり、

「問題はこんな廃墟に花が咲いているかだね… ん? ルビィ、くりあ、あそこに行ってみないか? あの神殿の辺り、植物っぽいのがあるみたいなんだけどね。」

と、パールが二人に声をかける。彼女の指差す先、丘の上の神殿を見やると、確かに植物らしきものが伺える。

「…街中よりは可能性がありそうかのう。それに丘の上に行けば、町全体も見渡せる筈じゃな。悪くない選択じゃ。」

 三人は向かう当てもないので、まずは丘の上の神殿を目指し歩き始めた。


近付くにつれ全貌が明らかになるそれは、見る限り無傷だった。

「なんであの神殿だけ破壊されてないんだ?」

歩を進める毎に、その姿がハッキリしてくる。無人故の痛みはあっても、破壊された形跡が認められない事に気付いたくりあが、顔をしかめた。


「さあ、ねぇ。…いや、もしかしたら… ルビィ、あそこは…」

パールの表情が強張った。

「ああ… 影の魔物が封印されとった場所… そして、今現在の影の魔物の住処、か?」

ルビィの表情も硬い。


「えっ? それはヤバイんじゃ…」

「あーもー遅いみたいだな、くりあ。」

けろっと、パールが顔色の優れないくりあに言う。彼女はすでに開き直ったと見える。

「暢気にそんな事… って、うわあああああっ!?」

神殿全体が黒く歪み、やがてそれは巨大な人型に似た何かを模り、収縮し、三人の目の前に立ちはだかった。


「クケケ、コリャ珍ラシイナ。門ヲ通ッテキタ人間ハオ前達デ何人目ダッタカ?」

と、歪な声が三人に向けられた。


「…下品な声じゃのう。聞くに堪えん。」

「それに、笑い方に知性がみられないね。」

ルビィとパールが口々に言い、声を揃えて『減点だな』と魔物に言い放つ。

 あああ… またもう挑発してどうすんの… 普通に戦えないって言ってたじゃん、と、くりあが、二人の後ろで頭を抱える。


「ナッ、何ヲ言ウカ、えさノ分際デ、ワキマエロ。」


「ちょっと、怒ってるじゃん、どうすんの? って、うわ~~~~~!!!!」

挑発に乗り怒りも露に影の魔物が襲い掛かってくる。


「もっと挑発せい、パール。ボウヤ、お前は百合の花を探すんじゃ。そして、見付かったら、絶対に手で触れるんじゃない。消えてしまうからのう。ほら、これを渡すからの。これを百合の花に向け、こう呪文を唱えるんじゃ。そうすれば、この中に百合の花を収められるからのぅ。」

そう言って水晶玉を渡し、ルビィはくりあにその呪文を教える。


「わ、分かった… けど、大丈夫なのかよ。二人で。」

水晶玉を受け取ったくりあが、心配そうに聞く。

「勝算は、ある事はある。じゃが、可能性は低くてのぅ。だから、お前は私達がアレの気を引いている間にさっさと百合の花を探してくるんじゃ。お前が百合を持ってきたら、即行で逃げるからの。それが一番確実なんじゃよ。分かったかの? 分かったらさっさと行くんじゃ。」

と、ルビィが作戦を口早に説明すると、

「お、おう。すぐに見つけてくるから!」

納得したくりあはそう言いながら駆け出した。


「逃げるが勝ちってヤツかい? すっきりしないねえ…」

影の魔物を挑発しつつ、その攻撃をかわしていたパールが肩を竦めて言う。

「あれが一番あのボウヤをこの場から離し易い理由じゃろ?」

「…くりあが邪魔って?」

なんとなくむっとするパールに、

「お前の手土産を使うんじゃ。それも封印を解いてのぅ。私の力じゃ、三人分の結界は無理じゃ。取り敢えず、あのボウヤがこのソウル・イーターの勢力範囲から出たら反撃開始じゃよ、パール。」

と、本当の作戦を伝える。それを聞くと、

「なんだ、そういうことね。オーケイ。まずはひたすら挑発、ね。」

と、楽しそうに笑みを漏らし、パールが影の魔物に向き合う。ルビィもくりあの気配を追いながら、魔物の攻撃をかわし、時折攻撃を仕掛けては、挑発する。


「オノレ…!」

知性はあまり高くないと見受けられる。容易く挑発に乗り冷静さを失う影の魔物。


 挑発と反撃の応酬が続く。暫くして、

「…! パール。コレの封印を解く。いいか、よく聞くんじゃ。私は封印を解いたら、コレの力を制御しないといかんから一歩も動けん。だからパール、お前がこのソウル・イーターを使うんじゃ。」

と、くりあが十分に離れた事を認識したルビィがパールに声をかけた。

「…それだけの代物とはね。とんだ掘り出し物だったってことかねぇ。」

そうおどけるパールに、

「ああ。長引くと、不利。私もお前もコレの餌食じゃ。出来るだけ早く、否、可能なら一撃で仕留めるんじゃ。」

と、真顔で答えるルビィ。


「了解。…始めてくれていい。」

パールの表情から笑みが消えた。それを見て、

「少しの間、一人でしのいでくれ。」

ルビィはソウル・イーターにかけられた封印を解くために魔術を使い始める。


 影の魔物の腹の中。揺らめく蜃気楼の町に、それまでとは異質の揺らぎが生じた。

そう。ソウル・イーターの禍々しい魔力が、効力を失いつつある封印の綻びから漏れ始めたのだ。

「…なんて、威圧感だい。これは、とんでもないものを手土産にしちまったみたいだね、どうも…」

背筋が凍るのを、パールは感じた。なんだろう。まるで何か別のモノが、それも人の知らない、知ってはいけない何か、居る。そんな気配がする。


「ナ、ナンダ、コノ禍々シイ、気配ハ…」

さすがの影の魔物も、ソウル・イーターの気配に動揺を隠せない様子だ。


 もし、ソウル・イーターが魔物であったとしたら、影の魔物など足元にも及ばないだろう力を持つ、魔族に相当するのではないか、そう思われるほどの、威圧的、攻撃的、邪気。


「…パー… ル… は、早… く…」

ルビィの声が力なくパールの名前を呼ぶ。顔色は無くなり、ソウル・イーターの力を制御するだけで、手一杯といった様子だ。

「分かった。」

息を呑み、決心し、ルビィの両手の中に浮かぶソウル・イーターに手を伸ばす。


「うっ、…」

触れただけで、力を抜き取られるのを感じた。眩暈がする。気を抜いたら、その瞬間に魂を根こそぎ奪われ喰われてしまうんじゃないだろうか、そんな事がパールの頭を過ぎる。  

 僅かの恐怖とそのぎりぎりの状態に対する恍惚と、パールは微笑を漏らし、ルビィに、

「ホントに、一撃で仕留めないといけないみたいだね… 行って来る!」

そう声をかけ、眩む目を凝らし、ソウル・イーターを構え、改めて影の魔物に相対する。


「ソッ、ソレハ… そうる・いーたー… 馬鹿ナ。ドウシテソンナモノガ…」

そう言う影の魔物の声には初めて動揺と恐怖が見て取れた。


「ん? 武具屋のおまけさ。」

本当は余裕など無いパールだったが、弱みを見せないためにおどけた口調で答える。


「ナッ、ナンダト? オ前、ソレノ価値ヲ分カッテイルノカ?」

じりじりと、後退りながら影の魔物が吠える。


「ふふっ… さあ、ね。どうだっていいさ。さあ、コレで終わり、だろう?」

痩せ我慢半分の不敵な笑みを見せ、パールが影の魔物に切りかかる。


 最初の一撃がかわされた。パールとルビィの表情が一瞬、歪む。

だが、それ以上に影の魔物の動揺の方が大きかった。掠っただけで、力を根こそぎ喰い千切られる様な感覚、初めて突きつけられる死の、…恐怖。


「ウ、ウアァ… ソ、ソレヲ、コッチヘ向ケルナ!」

逃げの体勢で、形振り構わず悲鳴を上げる魔物。


「ふっ。ハイそうですか、と、お前の言う事を聞くとでも? それじゃあ、今度こそ最期だな。アデュー、影の魔物!」

ソウル・イーターに力を吸われながらも、パールは切り込む。恐怖に支配され、怯える魔物など敵にもならない。


 パールの渾身の一撃が影の魔物を捕らえた。


「ウ、ウワアァァアアアアアァァァアアア…!!」

断末魔の悲鳴を上げ、影の魔物の姿が掻き消えた。


…否。喰われたのだ。本体は夜の国にあるはずの魔物は、無防備にも魂だけの状態だったのだ。魂を喰らうソウル・イーターに欠片も残さず吸収された。夜の国に残された本体は、もう抜け殻として転がっているにすぎないだろう。


「ルビィ、それで… コレはどうすればいいんだい?」

もう両手に力が入らない。感覚さえ無くなりそうだ。パールは振り返り相方に尋ねる。

「す… こし、待つ… ん じゃ、今、封印… する、か ら、のぅ…」

げっそりとやつれたルビィが新たに呪文を唱え始める。弱りきったせいか、呪文があまり捗らない。それでも魔術を完成させ、どうにかソウル・イーターの封印を完了する。


「大丈夫かい? ルビィ。」

自身も立っているのがやっとのパールが、ルビィの元に歩み寄ろうとする。

「まあ、なんとか、じゃがのぅ。しかし… この様子じゃと魔力が回復したら封印をかけ直さないといかんようじゃがの。」

手元に収まったソウル・イーターを見て、ルビィが力無く言う。


「封印できたんじゃないのかい?」

「残念じゃが、な。このままだと、十日も持たんじゃろう。」

渋い顔で、ソウル・イーターを睨むルビィ。己の力不足が身に染みた。パールもまたそれに視線を落とし、溜息を吐いて言う。


「…思ったより厄介な代物だったみたいだねぇ… ああ… ここが、影の魔物の腹の中で良かったよ。」

それほど強力だったとは。きっと普通の人間なら、その邪気に当てられただけで喰われてしまっている筈だ。有効範囲も予想以上に広い。

疲れ切った様子の二人の目に、遠くから駆けてくる姿が見えた。


「くりあ… タイミングがいいね。」

「あれっ? 影の魔物は?」

影の魔物との戦闘中であることを想定し、得物を片手に警戒しながらやってきたくりあは、パールとルビィ以外の気配が無い事に拍子抜けた顔で言った。

「倒したよ。一応ね。」

と、パールが精一杯の力で微笑する。

「もしかして、作戦が成功した?」

「まあ、そんなところじゃな。で、ボウヤ、百合の花はどうしたんじゃ?」

一人、何も知らないくりあに最早説明する気力も無いルビィがさらっと答えた。

「おう。ばっちりだぜ。ほら、コレでいいんだろ?」

そう言って、くりあはルビィに預かっていた水晶玉を差し出す。その中には、一輪の百合の花が見えた。

「上出来じゃな、ボウヤ。」

「百合も手に入った事だし… 外に出るかねぇ、ルビィ。」

「…そうじゃな。こんな辛気臭い場所に長いこと居ると、気が滅入って仕方が無いからのぅ。」

そう言ってルビィがまた呪文を唱え始める。


 辛気臭いって、あの洞窟も十分辛気臭いと思うけどなあ… と、くりあが呟いて、パールに一撃を貰った。

 ルビィが呪文を唱え終わると、三人の姿が蜃気楼の町に溶けて消えた。

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