蜃気楼の中へ入るためのプロセス
そして翌早朝。
「起きな、くりあ。」
既に身支度も整え終わったパールが、くりあに蹴りを一撃。
「ん… にゃあにぃ…?」
寝ぼけ眼のくりあがむくりと起き上がると、パールとルビィが冷ややかに見下ろしている。
「まったくのぅ… 間抜けな寝顔じゃったぞ。」
「うっ… なっ、なんだようぅ…」
ルビィの視線に突き刺され、びくびくしながら身支度を急ぐくりあ。
「さて。私が先に挨拶を済ませておこうかのぅ。パール、そのボウヤを連れて来てくれんかの。」
「ああ分かったよ、ルビィ。」
パールの返事が終わるが早いか、ルビィはテントの外に出て行った。生きた心地もしないくりあは猛スピードで着替えをし荷物をまとめる。
くりあが支度を終えたのを見て、
「アタシ達も行こうかね。」
パールが立ち上がった。
「もう真っ直ぐ蜃気楼の町を目指すんだろ?」
「そうなるね。」
「うまく見付かんのかなあ。」
「そういう心配は、見付からない時におし。」
と、そんな話をしながら二人はテントの外で待っているルビィと合流する。挨拶を交わして、三人は集落を後にした。
「なんかアテはあんの?」
「挨拶がてら長老に聞いてみたんじゃがな。まあ、保証はないそうじゃのう。」
「ま、仕方ないねぇ。なんせ相手は蜃気楼だからねえ。」
「…じゃあ、どうすんの? 当てもないのに砂漠ん中歩きまわんの?」
くりあは限りない砂の海に目をやり、うんざりした。タイムリミットは一週間、たったそれだけの期間でこの砂漠で当ての無い捜索をしなきゃいけない。…逃げ出したい。
「あのさあ…」
そう言いかけた彼に、
「もともと、誰が月下美人のハナシを持ちかけたんだい?」
と、パールが釘をさした。
「うっっっ。スイマセン俺でした。」
「さて。長老の言っとったポイントに向かうとするかのう。何か手がかりがあるかもしれんからの。」
「この人はまた、いっつも無視だしさあ…」
構う事無く場を仕切るルビィにくりあが。ぼそっとぼやく。
「さっさと行くよ、くりあ。」
「アイアイサ、…はあ。」
やっぱり酒気がないから苛立ってんのかなあ、ふと、何となく気配がぴりぴりして来たぞ、と、パールを見て感じた。逆らうと怖そうなので大人しく後を付いて行く事にするくりあだった。
日が照りつける。雲一つ無い、快晴。砂漠を散策する身には、地獄が見える天気。
ぶつぶつと文句たらたらのくりあが、パールとルビィの後をついて砂の海原を歩く。何の収穫も無く、半日ほど歩いた頃だろうか。
「暑い… 喉がカラカラだ…」
「それはさっき聞いたよ。」
相変わらずそんなやり取りを、懲りもせずしていた。そんな時だった。
「…? どうかしたのかい? ルビィ。」
「空気が… 歪む… おかしな気配がするのぅ。」
ふと、足を止めルビィが眉を顰める。空気が歪む? と、パールとくりあが顔を見合わせた。
「ああ、ほら… そこじゃよ。」
ルビィが指差すその先を見ると、ゆらゆらと陽炎が燃え立ち、否、陽炎が渦を巻き、膨れ上がり、異質な気配を放ちながら、何かを象っていく。
「えっ!? もしかして、これが蜃気楼の町??」
次第に形作られていくのは、ゆらめく、町…
「そのようじゃの。」
「こんなに早く見付かるなんて、アタシ達ツイてるじゃないか。」
ゆらゆらと揺らめきながら、目の前に立ちはだかる蜃気楼の町に、パールは早速足を踏み入れようと前進する。
「ちょっと待つんじゃ、パール。いくらなんでも無謀すぎる。」
「コワイもん無いもんね。」
「…。何かあるのかい? ルビィ。」
くりあを一睨みするパールは、止められて不服そうだ。
「誰一人帰ってこれない、というのが気にかかるんじゃよ。ただでさえ特殊な町なんじゃ。無防備に足を踏み入れん方が良いじゃろう。」
そうパールに言い聞かせると、ルビィは持っていた杖の先だけを蜃気楼の町に入れてみる。ゆらっと、砂漠と町の境界線が揺らいだ。
「なんとも無いようだけど?」
くりあが一言。そのようじゃの、と、ルビィが答えて杖を引き戻した時、
「あっ!」
戻ってくるはずの杖の先は、境界の向こうに取り残されたまま、カランと乾いた音を鳴らして、町の石畳の上に落ちた。
「…。参ったのぅ。どうやら完全に別空間のようじゃ。誰も戻ってこれんはずじゃよ。」
杖の切り口は鋭い。予想だにしなかった展開に、呟くルビィの声も掠れている。
「一体… どうなっているんだい?」
蜃気楼の町に取り残された杖の先端に視線が釘付けになったパールが、ようやくその一言をルビィに投げかける。くりあに至っては言葉も無い。
「入ることは出来るが外には出ることが出来ないようじゃ。あの町の中は、こちら側とは全く別の世界なんじゃろう。本当、町の中に入らなくて良かったのぅ、パール。」
「そのようだね…」
さすがのパールも度肝を抜かれたのか、いつもの覇気が無い。どうしようもないんじゃないか、と、パールの頭にさえも諦めが過ぎる。
「…パール、」
「ああ… 流石に驚いたよ。でも、もう大丈夫さ。」
異変を感じたルビィに声をかけられ、我に返ったパールが彼女の方を向いて、笑ってみせる。そこにはもう、動揺の気配は無い。
「…。呆れたヤツじゃ。だが、お前らしいかのぅ。…行くんじゃろ?」
と、早々に立ち直ったパールに、ルビィは苦笑する。
「ああ、勿論だよルビィ。早く済ませて月下美人を安心させようじゃないか。」
「…え? どうやって? 戻って… 来れないんでしょ?」
くりあの顔色はまだ回復していない。
「…そうだねぇ。少し周辺を探って見ようかね。ルビィ?」
腕組みをし、蜃気楼の町を睨みながらパールが言った。
「そうじゃのぅ。この町の発生条件でも分かればのぅ…」
「っ、あのさ、周辺探ってどうにかなるもんなの? あっちは別の世界で、中に入ったらこっちの世界に戻って来れなくなっちまうんだろ? 百合の花があったってさ、持って来れないんだろ?」
歩き出した二人に真っ青になったくりあが問いかける。
「まだ分からんのう…」
無関心な答えがルビィから返ってくる。
「いや、分からん、って言われても…」
「何故こんな町が、というかの、別の世界が、こんな砂漠の真ん中に出没するのか気になるんじゃ。この町をここに呼び出す何か… 依代みたいなものがあるはずじゃが…」
取りとめも無く思い浮かぶ仮説を、その場で組み立てるように、ルビィが話す。
「そんなん見つけてどうすんの?」
あの、恐怖がちらついて離れない。もう、危険なんてレベルを超えてるよ! そう叫んで逃げてしまいたかった。だけど。恐怖と同時にあの悲しげな月下美人の姿も思い出されて、くりあはまた思い直すのだ。逃げちゃ駄目だ。クイーン・パールもルビィ・アイもまだ、不可能だなんて言ってないんだ。と。
「…それを使えば無事に往復できるかもしれんのう。…どうしたんじゃ? 元気が無いのう、パール。大丈夫なんじゃなかったんかのぅ?」
「ああ… こういう危険は初めてだからね。少しくらい緊張させておくれよ。」
肩を竦めて、パールが答えた。
「…。まあ、そうじゃの。お前達二人は魔術系統には抵抗力が無いからのう。」
現状、為す術も無く三人は蜃気楼の町の周辺を巡ってみることにした。じりじりと太陽が照りつける砂漠の中にあって、蜃気楼の町は涼しげに揺らめき立つ。
「おかしいと思わないかい? ルビィ。町の中に人の姿が見当たらないよ。」
砂漠と町の中、両方を探りながら歩いていたパールが足を止める。訝しげに町の中を伺いながら、ルビィに声をかけた。
「そうじゃのう… む。これは… むしろ廃墟のようじゃのう。像が揺らいでいるから建物の姿が良く分からないが、人が生活している様には見えない気がするのう…」
「えっ? あっ、ホントだ、クイーン・パール。あっちの建物なんか、崩れてるみたいだ。てか、瓦礫の山? なんでこんな…」
二人の反応に釣られ、中を覗いたくりあが言った。
「今まで迷い込んだ連中はどうなったんだろうね…」
「未だ町の中をさ迷っているか、あるいは…」
そう言いかけて、ルビィは口を噤んだ。あるいは… そう。無理に戻ろうとして、消えてしまったか。脳裏を過ぎった答えは最悪過ぎて口にするのも憚られる。
この町の仕組みが分からなければ、一週間で戻るどころか、自分の存在そのものが危ういのだから。
「…月の魔物を手放す気がないということかのぅ。」
夜の国の女王には分かっていたはずだ。蜃気楼の町の正体も、何もかも。上手く踊らされたか、そう思うと、だんだん腹立たしくなってきたルビィは、夜の国の女王に一泡吹かせてみせる、と、決心するのだった。
「あっ、何だアレ? 人? クイーン・パール、ルビィ・アイ、誰か居るみたいだ。」
そんな時、不意にくりあが声を上げた。指差す先に人影が見える。
「…行ってみよう、ルビィ。丁度いい見る限りこっち側に居るよ。」
そう言うと、パールは早速くりあの見付けた人影に向かって早足で近付いていく。
「おい、パール、…って聞いてないのぅ。全く相変わらず困った鉄砲玉じゃ。仕方ない、行くかのボウヤ。」
呆れ気味のルビィとくりあが彼女の後を追う。
そこには、一人のやせ細った老人がいた。見る限りでも、かなり衰弱していると思われる。肌の色も土くれの様だった。砂の海原に座り込み、無防備もいいところでたった一人で眠りこけている。
「…ミイラ?」
そう言いかけて、ルビィに一撃を喰らうくりあ。
「だれだい…?」
その物音で目が覚めたのか、老人が掠れた声で訊く。見上げる目に光が映っているのだろうか。瞳は虚ろだ。
「あっ、蜃気楼の町が…」
その時蜃気楼の町が揺らぎ、姿は乾燥した空気の中に掻き消えた。
どういうことだ…? ルビィが呟く。消えた蜃気楼の町が気がかりで仕方が無いパールだったが、
「旅の者さ… ええと… あなたは、此処で一体何を…」
と、対応に迷いながら、老人に答えた。
「わしか… わしは… あくむからにげている…」
「悪夢…?」
老人の言葉に、三人は顔を見合わせた。
「どこにいっても、あくむをみる… わしがいたまちのゆめだ… ぼろぼろのはいきょだ、たくさんのにんげんが、たからをさがしにくるゆめだ… みんなまものにくわれてしまうゆめだ… もう、ずっとだ…」
老人の視線が泳ぐ、おそらくもう、何も映していないのだろう。
「…ところで、貴方のその指輪は…」
ふと、老人の指にある指輪を見やり、ルビィが尋ねた。
「これか… やらん、やらんぞ… わしがみつけたんだ… いのちがけだったんだ…」
老人はそう言って、全身を使って指輪を隠そうとする。それを見て、パールが、
「別に取ったりはしないさ。ただ、どこで手に入れたのかと思ってね。」
と訊いてみた。そのままの体勢で老人が答える。
「しんでんのおくふかくにあったのをみつけた… ようやくとりはずしたとおもったら、くろいかげがふきだした… まものが、まちにあふれた… まちがきゅうにくらくなって、わしのあくむがはじまった…」
「はあ!? って、じゃあさ、あんたのせいなんだろ、あんたの町が廃墟になったのって。そりゃ悪夢も見るだろーよ。」
と、老人の答えを聞いて腹を立てたくりあが、まくし立てる。
「ルビィ、あの指輪… というより、宝石の方から嫌な感じがするよ。」
じいっと指輪を見詰めたパールが、囁くように言う。
「じゃろうな。あの老人の指輪で影の魔物が封印されていた筈じゃからな。…夜の国の魔物じゃよ。ああ! やられたようじゃ! 夜の国の女王め。だけど、分かったよパール、蜃気楼の町の正体も、町に入る手段も、何もかもがのぅ。」
悔しそうに、ルビィが答えた。
「えっ? 今の話で分かったの? 俺、なんも分かんないし。」
「追々説明するとしようかのう。とにかくこのジイサンには寝てもらおうかの。二人とも、もう少し離れていた方がいいじゃろ。」
そう言って、ルビィがなにやら呪文を唱え、老人に魔術をかけた。
言葉もなく、その場で老人が眠りこける。するとまた、陽炎の様に空間が揺らいで、蜃気楼の町が姿を見せた。
ああ、つまりはこのジイサンが寝ている時にだけ蜃気楼の町が姿を見せるんだね、と、その様を見ていたパールが呟いた。
「あとはこの周りに結界を張っておくとしようかのぅ。」
そう言って今度は老人の周りに結界を張るルビィ。
「なんでそんなことすんの?」
「族長の話を忘れたかの? ボウヤ。この辺にも魔物が出るようになったと聞くからの。私らが蜃気楼の町の中に入ってる間にこの無防備なジイサンが魔物に食われたとするじゃろ。私ら全員、蜃気楼の町から帰って来れなくなる可能性があるからのぅ。」
「えっ? それはヤダ… てか、蜃気楼の町に入んの、大丈夫な訳?」
「全部分かったとさっき言ったじゃろう。町の唯一の出入り口は、このジイサンの持つ指輪につく宝玉のようじゃ。つまりこれが無くなったらアウト、という訳じゃ。」
そう言うと、まだ状況を把握しきれないくりあに、ルビィが説明を始める。
「いいかのぅ? 昔、と言ってもどれくらいかまでは分からないがのう、この宝玉で夜の国の魔物である、影の魔物を封印していた町が在ったのじゃ。」
「それが蜃気楼の町?」
と、くりあが聞く。こくり、と頷いたルビィが続ける。
「ところがこのジイサンが宝玉にか、影の魔物の囁きにか、誘惑に負け封印を解いてしまったんじゃろう。それによってこのジイサンの町は影の魔物に呑まれ、この世に在りながらこの世のものでは無い存在… 蜃気楼の町として存在する事になったんじゃ。そしてその指輪の謂れは忘れ去られ、宝物としてだけその存在が一人歩きしトレジャー・ハンターが町に来るようになったのじゃろう。ここまでは分かったかのぅ? ボウヤ。」
「ああ、まあ、なんとなく分かったけど。何でジイサンだけ町の外にいるんだ?」
ルビィの説明を聞いたくりあが、眉を顰めている。
「指輪の力じゃろう。曲がり形にも影の魔物を封印していた指輪じゃ。影の魔物の力が及ばなかったんじゃろう。その代わり魔物はジイサンに呪いをかけた。町をこの世に具現化させる為にのぅ。ジイサンに悪夢を見せ続け苦しめながら、具現化した蜃気楼の町にやってくるトレジャー・ハンターを喰らうのが目的じゃろうな。…なんじゃ、パール。」
無言で挙手をしているパールに気付き、ルビィが声をかける。
「影の魔物はどんな魔物なんだい? そもそも夜の国の魔物が何故こっちの世界で封印される事になったんだい? 住む世界が違う。」
ルビィの話を、自分の持つ情報と照らし合わせながら聞いていたパールの顔は渋い。
「…下手な魔女が召喚したはいいが使役しきれず、他の魔女に封印されたか… 夜の闇に紛れ人を喰らいに来ていたところを封印されたか… そんなところじゃろう。そうじゃ。影の魔物は実体がこの世界には無いからのう。夜の国からは出て来られない魔物じゃ。触れたが最期、こちら側から向こう側の存在に変えられてしまうからのぅ。そうなっては、もうこちらの世界に帰って来れなくなってしまうじゃろう。特に、ボウヤ。分かったかのぅ?」
「あっ、ああ… 危険な事ばっかだな… 無事に行って帰れないのか。」
「影の魔物に会わなければ無事に帰れるじゃろうが。無理じゃろう。この町自体が影の魔物に呑まれているはずじゃからのぅ。町の中では逸れない様に三人一緒に行動するからの、分かったかのう。」
そう言ってルビィはまた呪文を唱え始めた。それが終わると三人の体が老人の持つ指輪の宝玉に吸い込まれていった。




