黒霧の森
何気にちょっとショックを受けて立ちすくんでいたら急にグイッと手を引かれたのでその方向を見ると少年が私の手を引いて走り出していた。
「わぁぁ! ちょっと急に走り出さないでよ!危ないでしょうが!」
「あのままあの場所にいた方が危ないから! お前がくだらないこと言っていたせいであんなに追いつかれちゃってるじゃえねぇか」
そう言われて走りながら後ろを見てみると、確かにちょっと距離が近かった。
あのままあそこで呆然と立ちすくんでいたら、この世界に来て早々天に召されるところだった。
「ちっ!上手く巻けたと思ったのに嗅ぎつけてきやがったか」
後ろを向いてビックベアを注視していた私の耳にこそ信じられない言葉が聞こえてきた。
「………上手く巻いた?」
そうポツリと零すと、少年はギクリと肩を揺らした。
ギギギと音がしそうな感じで私の方を見るとヒュっと息を呑むがわかった。
「えっと………怒ってる?」
「大丈夫。まだ怒ってはいないよ?」
「まだってことは起こる予定ってこと?」
「そうだね。返答次第によっては」
私が冷めた目をしながら口角だけあげるように微笑めば少年は怯えたように目を逸らした。
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「そう、あれは……全ての悲劇の始まりだった」
急に少年はなにかの語り口調になって空を見上げながらポツリとこぼした。
………なんかよくわかんないけど、とても長くなるような感じの話し方だな。
全力疾走しながら空を見上げて喋るなんてとても器用すぎるでしょ。木にぶつかったりしないのかな?
そう思いながら不思議そうに少年を見てるとその直後ゴッっとものすごい音を立てながら正面衝突した。
だろうな。目の前に木があるのにスピードを落とすどころか迷わずに向かって行ってたからぶつかりそうだなと思ってたら案の定思いっきし木に激突していた。
めっちゃ痛そうだな。
私は途中から少年に手を離してもらって少し後ろの方を走ってたから巻き込まれずに済んだけど……。
少年はあまりの痛さに顔面を押さえながらしゃがみこんで悶えていた。
「大丈夫?」
私が近くまで走っていって声をかけると真っ赤な顔でこっちを見ながら「大丈夫じゃない」と震える声で言ってきた。
「走りながら上を見るなんて危ないことしてるから」
「うぅぅ……めっちゃいたい……」
「だろうな……。なんだって目の前に思いっきり木が立ってたのに突っ込んで行ったわけ?」
「突っ込みたくて突っ込んで行ったわけじゃねぇよ。上見ながら走ってたから全然気づかなかった……」
「あんた馬鹿でしょ。魔物から全力で逃げてる時に上見ながら走った上に木に激突するとかめっちゃ馬鹿じゃん」
少し遅れてツボに入った私はちょっと腹抱えて笑ってしまった。
そんな私を少年はしゃがみながら見上げるように睨みつけるとスクっと立ち上がった。
「というかお前……目の前に木があるの気づいてたのか?」
「当たり前でしょ。私はあんたと違ってちゃんと前見て走ってたもの。バッチリあんたが木に向かって走って行ってたのこの目で見てたから」
パチンとウィンクしながらそう言うと少年はこっちに身を乗り出しながら声を荒らげて「じゃあ教えろよ!」と言ってきたのでそれに対して私は「教えようと思った矢先に激突してたから教えそびれたんじゃない」と言った。
そんなこんなで少しトラブっていたら後ろの方からドスドスという重い足音が聞こえてきた。
せっかく結構離れてたのにこいつのせいで追いつかれかけてるんだけど!
「やばい。もう追いついてきたか!なんてしつこさだ!せっかく突き放してたのに!」
なんて少年は悪態を着いていたけど……いやいや、どう考えても追いつかれかけてんのはあんたのせいでしょうが。
あんたの木に激突事件がなかったら普通に逃げきれてたからね
とにかくこのままこの場所にとどまっているのは危険だから2人は顔を見合わせてまた走り出した。
「今度はちゃんと前見て走ってよ!」
「わかってるって!」
ほんとにわかってるんだろうか?会ってまだ数時間程度しか一緒にいないがなんとなくこいつの分かってる、大丈夫がいまいち信用できなくてものすごく不安だ。
「そうだ!まだこの状況の説明してもらってない!」
ふと思い出したように私がそう叫ぶと前を走ってた少年はギクッと肩を揺らした。
それからチラッとこっちの方を仰ぎ見ると「忘れてなかったか」とボソッと呟いた。
それからわざとらしく咳払いをすると最初の冒頭でのなんか話が長くなりそうな語り口調で話始めようとしたので、私がピシャリと言葉を挟んで簡潔に話せと言うと少し不満そうな顔をしながら簡潔に話し始めた。
「俺はこの黒霧の森に2日ほど前からある調査の為に入り浸っていたんだ」
「2日も前から?……それに黒霧の森って?」
「黒霧の森とはこの森の名前だよ。別名瘴気の森とも呼ばれているんだ」
瘴気の森……なんか穏やかじゃない名前ね。
しかもそんな名前がついているってことは、この場所ってすごく危険なのでは?
そしてそんな危険な森に私は1時間以上も立ち往生していたのか………。
そりゃこの少年もびっくりするわなー。
そんな危険なとことは知らなかったよ。
「この黒霧の森は日中ならばなんの害もないただの森……なんだが日が沈み夜の帳が降りてくるにつれてこの森には瘴気による黒いモヤが発生するんだ」
「………………」
なんか不思議な感じね?
夜だけに発生する瘴気……つまりその原因を調査するためにこの少年は2日間もこの場所にいた訳ね。
………でも2日間もいて何も原因を掴めてないのかな?
私が微かな疑問を抱いているのには気づかずに少年は話を続けた。
「この森は数年前までは花々が咲き乱れ、木の実が生い茂り、資源豊かな憩いの場として人の出入りが多かったんだ。だけどある時を境に、突如としてこの森に瘴気が発生し始めたんだ」
突如起こった瘴気の発生……ってもしかして世界樹が枯れかけているのが原因?
気になったけどとりあえず少年の話に静かに耳を傾けることに集中した。
「急に瘴気が発生した原因は今も解明されてなくてな、瘴気の発生がこの森だけに留まっていたこともあって当時はこの森への立ち入り禁止令を出すことで事態を収拾させたんだ。だけど……数ヶ月前から何故か瘴気がこの森から漏れ出るようになってこの森の近くに位置する王都にも影響が出始めたんだ」
「王都?」
「ん?あぁ、この森を抜けたところにカトレア王国っていう神聖国があるんだよ」
「カトレア王国?!」
今この少年はカトレア王国って言った?!
ここのすぐ近くにあったんだ……ちゃんとエレシアは目的地の近くに送ってくれてたんだね。
ごめん……文句言って………。
心の中で少し反省していると少年は急に私が大きな声を出したからか目をまん丸く見開いたままこっちを凝視していた。
「なんだ?カトレア王国に行きたかったのか?」
そう聞かれた私は肯定するように大きく頷いた。
「そう! だけどどの方向に進めばいいのか分からなくて立ち往生してたんだよね」
「ふーん。じゃ、ちょうどいいじゃん俺もカトレア王国に戻ろうとしてたとこだったし連れてってやるよ」
「マジ!? めっちゃ助かるよ」
渡りに船とはこのとこだな……。
思わぬ所でカトレア王国に行ける目処がたって安心したからか少し体の力が抜けて注意力が散乱していたところにちょうど飛び出ていた木の根っこに足を取られて転びそうになった。
あっぶなーー。思いっきりすっ転ぶかと思って焦った。こんなところで盛大にすっこけて怪我した挙句に後ろから追っかけてきてるビックベアに踏まれて死ぬなんて洒落になんないからね