5 ダーマの砦
見渡す限りの砂の世界を彷徨って三日。
魔物や盗賊に遭うこともなかったが、獲物らしい獲物を見ることもない。
水も食料も心許なくなってきた。
今、村に引き返したとしても帰り着くまで持たないだろう。
目的の物を得るまで狩りをしてはいけない決まりもないので、道中食料になりそうな物を得ながら進むつもりだったが、想像以上に砂漠とは何もない所だった。
砂漠を渡った者から聞いた話では、たまに植物が生えていてそこから水を得られて、魔物がいて、盗賊がいて、襲われた商隊の残骸が散乱する、つまり色んな物があると想像していた。
それが実際には行けども行けども砂ばかり。正直うんざりで心が折れそうだった。
砂ミミズを穫れないかと軽く罠を仕掛けてもみたが、一向にかかる気配もない。やはりちゃんとした罠を用意してこなくては……、即席の罠では餌を無駄にするだけのようだ。
日が落ち、気温が下がり、これ以上の旅は辛い時間になると野営の準備を始める。
持ってきた燃料はこれで最後だった。夜が明ける前に尽きるだろう。
焚き火にあたりながら串に刺したグマの肉を炙る。
グマはウィンダリアの森の奥に生息する動物で、身の丈は大きいが大人しい。ただ狩るとなるとかなり危険で、主には罠を仕掛けて数人で狩猟に当たる。
グマ肉は硬めだが、少し表面を燻すことでほとんど生の状態でも長く保存することができる。
正直味は好みではないが、燻製肉ばかりでは飽きるし、水の消費量も多くなるというものだ。
それに美味さはコカ鳥の肉には敵わない。
クワンは炙ってやや肉汁が滴ってきた肉をかじり、強く噛み千切りながら早く帰ってコカ鳥の肉を食いたいと思いを巡らせる。
ハクにもグマ肉を与えながら、これからどうなるのか本気で心配になってきていた。
今から引き返すのは現実的ではない。
来た道に何も無かったのだから、これから戻る道にも何も無い。
そこを同じ時間をかけて戻るということは同じ量の水が要る。そしてその水は無い。
なら何かあることを期待して先に進むしかない。
それは決まっているのだが、この先どこまで進めばよいのか、その先が見えず少し不安になっていた。
夜になると星が見えるので方角は間違っていない。
真っ直ぐにダーマの砦の方向に進んでいるはずなのだが、それらしき物は影も形も見えない。
昼間、小高い砂丘の天辺で遠くまで見通せることがあるが、その視界の先に進むまで何日かかるのだろうか。
もうそこまで行くだけの水もないように思うが、心配しても始まらない。
運命が尽きたらそれまで。
どんな結果になっても、自分で決めたことに後悔はしないのがクワンの信条だった。
なんとかなる、そう思っていれば何とかなるものなのだ。
そんなことを考えながらハクと寄り添い眠りに落ちた。
派手なクシャミと共に目覚めると、辺りはやや明るくなっていた。
火は完全に消えている。
これで持ってきた燃料は全て使い切った。
装備を積み込み。一切れの乾酪を口に放り込むと、水袋の水で胃に流し込む。
残りの水をハクに全部飲ませると、その背に跨った。
「よーし、これでもう後がない。ハク、悪いけど、今日は目一杯走ってもらうからな!」
手綱を握り、日よけの外套を被る。
まだ日差しが強い時間ではないが、後で被り直すために足を止めるのが嫌だった。
一刻も早く先へ進みたい。
その一心でひたすらに前へと進んだ。
砂ばかりの景色が次第に揺らめき始める。
そう言えば砂漠には目に見えないモンスターがいて、幻を見せて旅人を惑わすと聞いたのを思い出す。
もしかしたら目の前の景色は幻で、本当はすぐ先にオアシス、もしくはダーマの砦があるのかもしれない。
それかダーマの砦はとっくに通り過ぎていて、砂漠の向こうの大陸に行き着くのかもしれない。
どちらにせよもうこの砂漠地獄とはオサラバだ……と少し朦朧としてきた意識の中でそんなことを思っていると、
ハクの様子が少しおかしいことに気がついた。
さすがに疲れたのか? と暴れるように身を捩るハクの手綱を引こうとした瞬間、鋭い衝撃が襲う。
何かに突き飛ばされたような、吹っ飛ばされたような衝撃と共に視界が回る。
ぶわっと急激に引っ張られる感覚に平衡感覚を取り戻すと、足元に地面がなかった。
正確には遥か下の方に見える。
ということは……、と上に目をやるとそこには大きく広がる翼が見えた。
ただの鳥ではない。モンスター!?
それが鉤爪の生えた手でハクを掴み、上空へと連れ去ったのだった。
クワンはハクの手綱で宙に吊り下げられている形だ。
鉤爪にクワンの体を直接掴まれなかったのは幸いか。
いや、そうではない。
あの時、音もなく滑空してくる捕食者の気配を察知したハクが咄嗟に身を捩ったため、クワンは無事だったのだ。
でもこのままでは……と手綱を握る手に力を込める。
ハクの背に乗っていただけとは言え、数日の強行軍に栄養不足。落ちないように手綱を握っているだけでも疲労困憊だ。
このまま巣へ持ち帰られる前に落ちてしまうのではないか……、そんな不安が過ぎった所で視界に黒い塊が見える。
何だろうと目を凝らすとそれはみるみる大きくなった。
あれは、建物。砦だ。
ダーマの砦か!?
やはり方角は間違っていなかった。確実に近くまで来ていたんだ、と心が躍る。
思ったよりも小さい。あの場所を覚えておいて……、と凝視していると、どんどんと黒い塊は大きくなっていく。
開けた空間にあるから小さく見えたが、ウィンダリアの村に建てたら領地のほとんどが砦になりそうな大きさだった。
高さに至っては村の大木よりもはるかに大きい。
圧巻されつつ、モンスターが向かっていたのはここか? と理解するより早くクワンの体は石畳に激突する。
いてて……と体を起こすと、同じように叩きつけられたハクもきゅうと声を上げながら身を起こしていた。
「えへへ、やったぜ! ダーマの砦まで来られたぜ。計画通りだ」
軽快な笑い声を上げるクワンにガシャガシャと音を立てて鎧が取り囲む。
鎧は幾千もの戦いを経たようにくたびれていて、兜の中からは骸骨が見えるものもある。それぞれが槍を持ち、その切っ先をクワン達に向けていた。
クワンは手を上げながら「そうでもないか……」と立ち上がる。
物言わぬ骸骨兵に促されるままに歩かされていると、背後でドスンと大きな音が響く。
驚いて振り返ると、そこには大型の獣ヌーが横たわっていた。
上空を巨大なモンスター、おそらくはグリフィンが旋回しているところを見ると、今しがたの自分達のように砦の周辺をうろついていたのを捕獲されてきたようだ。
ヌーの傍らに甲冑を身に着けている兵士が転がっている所を見ると、商隊の護衛だったのだろうか。
おそらくは死んでいるであろう兵士と、槍を向けるモンスター達の鎧を見比べ、この骸骨兵はまさか……と背筋を寒いものが走った。