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21話 あれは

「お……だんな、さま」

「――!」


 掠れたリオの声にフェイルが(かたち)を思い出す。黒い、かろうじて人の形をしていただけの黒い霞が、人になり、年老いた一人の老爺となった。


――ぉ、お、お、お……


 フェイルは両手で顔を覆い、


「ノア! 逃げよう」


 ササハは何だかアレが酷く恐ろしいものに思えて、リオの手を強く引いた。しかしリオの足は震えるばかりで進まない。フェイルはボコボコと、湯が煮えるように身体がたゆんでいる。


「ノア! 動いて! 走るよ!」

「っ、でも、大旦那様に、叱られ」

「なら、わたしがノアを抱っこして運ぶからね! 赤ちゃんみたいに抱っこして運んじゃうんだから!!」

「んなの絶対に嫌だ!!」

「…………」

「…………」


 向かい合って冷静さを取り戻す。


「走れる?」

「ん。もう、だいじょぶ(大丈夫)


 二人、手を取って走り出す。

 老爺の沸騰する煙が収まりを見せると、ぐるりと首を回し眼球のない、窪んでいるだけの空洞が此方を向く。

 廊下に転び出て、ほぼ闇に近い直線を駆けた。リオが何度か遅れそうになって、その度ササハが手を引いた。

 見えない程の闇ではないのに、身を委ねるのが恐ろしい。響くのは足音と呼吸音ばかりで、今暗闇から老爺が飛び出してきたら、気づけないのではと無意味な妄想が思考を埋める。


 ササハは後ろを振り返る。


「え?」


 背後に老爺の姿はなく、リオも同じく振り返ってぼう然と呟く。


「いない?」

「と、とにかく逃げよう。追って来ないなら、そのほうがいいよ」


 ササハが先導し手を引く。エントランスホールを抜け外へ出る。鍵をかける理性はなく、冷たい空気を肺に押し込んでひたすらに走った。

 次の瞬間には飛び出してくるのではと、何度も後ろを振り返る。

 屋敷が見えた。明かりのついた屋敷が。

 最後にもう一度だけ後ろを振り返り、ササハは入り口の扉へと飛びついた。




◆◆□◆◆




 先程ベルデが憤りを顕に退室し、レンシュラは一人、借りていた客室とは別の部屋に待機させられていた。現在はベルデが戻るのを待つばかりで、彼の許可なく部屋を出ることは禁止されている。

 部屋にベッドなどの寝具類はなく、話しが済むまで休めると思うなよと言うベルデの圧だった。


 レンシュラは呪具を持ち帰ってすぐベルデの元を訪れた。その頃には日付が変わろうかという時刻で、騎士団の書類仕事をしていたベルデは仕事のしすぎで疲れたのか、幻聴が聞こえるとレンシュラの話を否定した。否定したかった。


 しかし呪具は確かにあるし、見つかった場所はなぜか勝手に入ったと言う離れの小屋で、なおかつ隠し部屋に地下牢だなんて・・・。

 それだけでもベルデは吐きそうなほど頭が痛くなったのに、レンシュラ曰く呪具はからはカルアン当主の魔力を感じると言うのだ。


 馬鹿じゃないのかと、思ったし実際言った。レンシュラも返す言葉もなく神妙な顔で頷いていた。お前は頷くな。本当に馬鹿げている。


 色んなものを押し殺し、無理やり何とか飲み込んだベルデは、とにかく旦那様に報告を入れなければと、呪具を持って部屋を出ていった。

 レンシュラも鍵のかかっていない部屋を抜け出すのは簡単だが、大人しく待つことにした。


 それから四半刻ほど経った時だろうか。

 今にも泣き出しそうなササハを連れて、ベルデが部屋へ押し入ってきた。


「ササハ?」


 険しい形相でレンシュラが座っていた椅子から立ち上がる。


「シラー大変だ!」


 見えなかったが遅れてリオも部屋に入ってくる。泣いてはいないが、弱りきった様子のササハとリオに焦りを感じる。

 嫌な流れだ。


「どうした。何かあったのか?」

「フェイルが出たらしい」

「フェイルが? まさか。リオークの敷地内に?」


 ベルデがササハをレンシュラへと押しやる。ササハはリオと手を繋いでおり、引っ張られる様にリオがつんのめる。


「俺も確認に行ってくる。だから」

「待って」


 ベルデを止めたのはリオだった。

 リオはベルデを振り返らず、ベルデは苛立った様子で眉根を寄せる。


「なんだ。キサマも共に行くとでも言うのか」

「――――な様だった」

「なに?」

「アレは大旦那様だった」

「!? ――――――、は、なにを、馬鹿な……?」

「嘘じゃない! アレは絶対大旦那様だ!」

「ノア」


 常とは違うリオの様子。ベルデは戸惑いを覚えたが、同時に強い疑念も持った。


「本当に、大旦那様だったのか……?」


 リオは小さく頷いた。


「だが……そんな、大旦那様が亡くなられたのは……」


 四年前。

 おそらく、この場でベルデの困惑を正確に理解しているのはレンシュラだけだろう。レンシュラは大きくため息をついた。


「いつなったかを探るのは今じゃない」

「……だが」

「俺たちは? 参加させてもらえるのか?」

「――、いや。まずはリオーク(こちら)特務隊(フェイル部隊)だけで確認を行う。今、避難のために屋敷の者たちを一箇所に集めているから、そちらの守りに」


 ガタン――、と音が響き一斉に半開きの扉を振り返る。屋敷には騎士団の通常団員の他、フェイル討伐を担う特務隊の人間も数名待機していた。ベルデはササハたちから話を聞いた後、すぐ彼らにローサと夫人の護衛と、その時はまだ大旦那様だと情報のなかったフェイル捜索に当たらせたのだが。


 思いの外、捜索が早く終わったのだろうか。

 ベルデが外に出ようと振り返り、次いで響いた音に踏み出したかけた足を止める。響いたのは一人分の足音。しかしその足取りは不安定で、たたらを踏みながら今度はダン――と壁にぶつかる音がし身構える。


 レンシュラも特殊魔具を大剣に変え、ベルデの武器は刃の平たいロングソードであった。

 半分だけ開いている、扉の合間から白い女性の手が見えた。


「お、奥様! どうしてこのような場所に――――まさかお一人」


 夫人はいつもなら高い位置で結い上げている髪をほどき、波打つ赤の髪が胸元辺りで広がっている。就寝間際だったのか白の寝衣を纏い、首周りが広く晒されているというのに上には何も羽織っていない。


 ベルデの特殊魔具が元の石に戻る。ベルデの身体は鈍く揺れ、おかしな格好で動きを止めた。


「ぉ、くさま?」


 ベルデがその場に崩れ落ち地面に倒れた。ベルデの脇腹には短剣が突き刺さっており、夫人の白の寝衣には誰のものか分からない血痕が付着していた。


「――――!!」


 ササハは声にならない悲鳴を上げ、レンシュラがリオと纏めて背後にやる。今のリオは戦えないと先程のやり取りで気づいていた。

 夫人は他に武器は持っていないのか、ベルデに刺した短剣に手を伸ばした。


 夫人の手が柄に届く前にレンシュラが夫人を取り押さえる。ベルデも意識はあるようで短剣を引き抜かないまま上体を起こす。

 近寄ろうとするササハを制し、ベルデは夫人を見る。


「奥様」

「どうして邪魔をするの! ああ! どうして、どうしてっうぐ!」


 叫ぶ夫人の口にレンシュラが布を噛ませる。


「気絶させたほうが運びやすいんだが」

「手荒なことは、するな……ぐっ、」

「回復促進薬は?」

「手持ちにはない。バルトロを呼んで、いや、途中まで歩く」


 後ろ手に夫人を拘束し、レンシュラは面倒そうに言う。ベルデはレンシュラの肩を借りながらも自力で立ち、レンシュラは反対の手で拘束している夫人の腕を掴んだ。

 夫人はなおも何かを叫んでいる。


「これは……俺が疑われたりしないか?」

「ならば、人を呼びに行くか? すでに避難は言い渡している、から、」

「いい。少し黙っていろ」

「そうしてもらえると、有り難い」


 思いの外軽口をたたくベルデに少しの余裕が戻る。この状態の夫人を残して行くのは避けたいため、レンシュラはササハとリオだけを残し部屋を出る。


「念の為、中から鍵を閉めていろ。あと余計なことはするな」

「はい!」

「何かあったらソイツを見捨てでも逃げろ」

「それはちょっと……」


 ソイツと指されたリオが、想定と違いビクリと肩を震わせる。


「…………今のは嘘だ」

「頼む……急げシラー……ぅぐ。俺は、お嬢様の元に」

「分かった。行くぞ」


 レンシュラの姿が廊下の向こうに消え、ササハはようやく扉を閉めた。鍵をかけろと言われたが中からは鍵がかけられないタイプの扉で、ならば自分が重しになろうと扉を背中で押さえつける。

 フェイルが扉を開けるだろうかと首を捻るが、レンシュラが心配したのは人間のほうだった。


「ノア。寒い?」

「寒くない」


 ベルデが言ったよう使用人たちは避難したのか屋敷は静かだ。リオは口を強く引き結んでいるが手は小さく震え、空いている椅子には座らず落ち着き無く窓辺にいる。


 現在いる部屋は屋敷の三階にあり、いつもより星空が近かった。

 沈黙が流れる。不安に伏せられるハチミツ色が気になった。


「ノアは、ほら、星好き?」


 何か話をと口から出たのがそれだった。


「……なんだよ、急に」

「だってノアと会うのは夜ばっかだから。だから星が好きなのかなーって」

「…………好き」


 なぜかササハの心臓が跳ねた。


「キラキラしてて、すっげーから好き」

「そ、そっか!」


 速度を上げた鼓動に訳が分からず、冷えた指先をあて頬を冷やす。訝しむリオに大丈夫だと顔を上げた時、リオの背後に闇に浮かぶ赤い光を見た。


――ガシャァァン!!


 大きくガラスが割れる音が響き、飛び散る破片に目を閉じる。

 壊された窓の向こう。

 赤薔薇を咲かせた老爺の亡霊が、笑みを浮かべ浮いていた。

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