18話 秘密の奥
「大丈夫? まだ気分悪いなら休んだほうが良いよ?」
部屋に一人で居たササハは、ノックの音に扉を開ける。
「う……先程はタイヘン失礼しました」
すっかり顔色が戻ったリオが、下がり眉で立っていた。
「その事はいいけど、昨日から丸一日寝てたんだよ? 本当に無理してない?」
「寝てた事に関しては何とも。今は眠気も、気持ち悪いのもなくなってむしろ元気だ」
昨日から変わっていなかった着替えも済ませ、表情もスッキリしている。
部屋の入口で立ち話も何だからと、リオを部屋に迎え入れた。
「警戒心がないところが、まだお子ちゃまだよね」
「何の話?」
「何でもないよ」
リオも口ではそう言うが、特に躊躇も遠慮もなく気軽に足を踏み入れる。
「そう言えばレンは? さっきから見ないけど」
「たぶん、まだ小屋にいると思う」
「小屋? 確か呪鬼が逃げてったとか話してたとこだよね」
「呪鬼のこと覚えてるの!」
「え? うん。覚えてるけど、なに?」
リオは勝手にソファに腰掛け、向かいに座ろうとしていたササハは大きく振り返った。
「何でかね、レンシュラさんもベルデさんも忘れちゃうの!」
「どういう事?」
ササハは二人が呪鬼についての記憶がなくなっていること。少し見ただけだが、ローサの様子もおかしく、この屋敷に来たばかりの頃に戻っていたことを話した。
最初は怪訝そうな顔をしていたリオも、次第に神妙な面持ちになり、肘掛けに肘をついて視線を下げる。
「ササハは呪鬼のせいで記憶がおかしくなってるって思ってるんだよね?」
「そう! 二人共忘れる前に呪鬼が近くにいたの」
「確かにその可能性は高いね。けど……レンまでってなると、なんでだろう? リオーク関連の話かと思ってたけど違うのかな」
そうなのだと、ササハも深く頷く。
「それに呪鬼の記憶だけ忘れちゃうってのも、意味が分からないわ」
「他には? 呪鬼の事以外に忘れてそうな素振りは無かったの?」
「うーん。昨日の今日だし、わたしが知る限りは他には無いかな。気づいてないだけかも知れないけど」
「そっか……」
「リオは?」
「ん?」
「リオは自分自身に、何か変だなって思うところはないの? 前後の記憶が噛み合わないとか、逆に忘れてた時の事を思い出したとか。…………その、さっきノアの様子が変だったから」
じっとリオがササハを見る。リオを前に、別の誰かに彼の名前で呼ぶことにササハの目が泳ぐ。
リオは特に何も感じていない様子で、背もたれに背を預けた。
「新しく思い出したことは無いかな。相変わらず九年前の記憶は抜けてるし、呪鬼についても昨日レンに教えてもらった事以外何も知らない」
「そう……」
「けど、少し見えちゃったんだ」
「何を?」
「あの子の記憶?」
リオの言うあの子とはノアの事だ。
ササハは一瞬硬直した後、弾けたようにリオに詰め寄った。
「ど、どういう事!? 記憶って、ノアの記憶??」
「たぶんね。さっき、目を覚ました時。すごく怖くて、混乱して気持ち悪くなったん。たぶん、あれはあの子の感情だったんだろうね。それでその時少しだけ――暗い牢屋が見えたんだ」
「――――――!」
牢屋という言葉に息を呑む。
「どこか、執務室と言うよりは学者さんの部屋? 本がいっぱいあって、その部屋の奥から繋がってる」
暖色の灯り、積み上げられた本、抵抗する小さな手。
ササハにはとても覚えがあった。なるほど、もしかしたらレンシュラも何か気づいたのかも知れない。
「その部屋のね、壁際にある棚の横に入り口があるんだ。そこを抜けると窓もない牢屋があって、僕が見たのはそこまで」
そして目が覚め激しい吐き気に襲われた。
「だから、その部屋を見つければ」
「見つけたよ!」
「へ?」
「昼間にね見つけたよ! たぶんレンシュラさんはまだそこに居ると思う」
「んーもう何でぇ。展開が早い」
「わたしたちも今から行こうよ!」
今からと言われ時計を見る。リオからは明後日の方向を向いている時計は、日を跨ぐ時間よりもだいぶ余裕があることを示していた。
◆◆□◆◆
「で、本当に来たのか」
「ごめんて。止められなかったんだよ」
有言実行。しんどいならリオは休んでて良いよと部屋を飛び出すササハに、体調は何とも無かったが、走る速度で差をつけられたリオは、説得する間もなく後を追うしか出来なかった。
全く縮まらい距離と全力疾走に、再び胃が悲鳴を上げ始めたところでササハが林の中へと消えていった。何とか姿だけでも追おうと目をこらすと小屋が見え、しかしササハは小屋の前で左に曲がった。何かと思いリオに緊張が走ったが、暗闇に同化したレンシュラが立っていただけだった。
「レンシュラさんは外で何してたんですか?」
ササハがレンシュラを見つけた時、レンシュラは独り言を呟き地面を睨みつけていた。
「……何でもない」
「一人で何か呟いていましたよね?」
「………………」
レンシュラは黙秘で返す。と、リオが何となく地面を眺め、小屋との距離に知った顔をする。
「もしかしてこの下に用事があるのに、入り口が分かんないから上から壊そうとか考えてた?」
「!」
驚きに目を開くレンシュラに、リオは「嘘だろぉ?」と逆に驚いていた。
「レンてたまにすっごい阿呆なことしようとするよね?」
「お前にだけは言われたくない」
「大丈夫ですよレンシュラさん! リオが秘密の部屋の、秘密の抜け道を知ってるんですって!」
「?」
訝しむレンシュラを連れ、地下階段を下りる。半信半疑だったリオも記憶で見た部屋に驚き、苦い表情を浮かべていた。
レンシュラは渋った様子だったが、リオが布が垂れ下がった棚の前に立つと諦めたようにため息をついた。
「確かここ。この一部だけ色が変わってる部分に魔力を流すと」
リオが布を捲り壁に手を這わすと、それまで何も無かった壁面に魔法陣が浮かび上がった。
上の扉と似たような仕掛けであったのに、気づけなかったレンシュラは悔しそうにシワを寄せる。
リオが魔法陣に手をかざし魔力を流すと、それまで石壁だと思っていた場所が鉄製の扉へと変わっていた。
鉄扉は、外からしか操作の出来ない、スライド式の施錠扉であった。
扉を開け、最初に感じたのは異臭。染み付き、閉じられた空間で逃げることも出来なかった匂い。壁は乱雑な石壁で覆われ、窓も照明もないのに青白い明かりが暗闇を照らしていた。
「ひっ」
光源の正体は鉄格子に散りばめられた光る石。広さは通ってきた隠し部屋の倍ほどはあり、一方の壁面には光る鉄格子をはめた、四つの牢獄があった。
ササハが一歩後ろに下がりリオにぶつかった。レンシュラが一人中へと踏み込み、牢獄内に誰も、何も残っていないことを確認した。
異臭の割には目立つ汚れはなく、それが却って異様さを助長させる。
牢獄の反対側には書類が散乱したテーブルに、テーブルとは別の作業台と奇妙な椅子。角張った椅子の肘置きには四つのベルトが取り付けられていた。
(なに、ここ? なんの為の部屋なの……)
進む気配のないササハの肩を軽く叩き、リオは持っていたランタンを作業台の上に置いた。
青白い光と、ランタンのオレンジ色の光を頼りに、卓上の資料を漁っていく。
「ぁ――わたしもやる」
青ざめた表情でササハもリオの隣に並ぶ。レンシュラは資料には興味を持たず、何かを探すように辺りを探っている。
「ねえ、リオ……これって」
「…………酷いな」
こちらに置いてある資料は暗号化されておらず、外の部屋は万が一の時のカモフラージュだったのだと知る。バレることは無いと傲った魔法陣の裏側は杜撰で、放置されている書類はどれも反吐が出るような内容だった。
「大体予想はつくが」
「ざっと見ただけだけど――――“孤児、数値、実験体、失敗、死亡“……。あとは年齢とか、何人目とかかいてるけど……うん。子供がここで何らかの実験を受けて死亡していたみたいだね」
思わず見上げたリオの顔は青白い。ササハは何も言えず資料に目を逸らした。
後ろにいるレンシュラは、資料に手を伸ばすことは無く声だけで問う。
「……目的は?」
「それはまだ。この辺にあるのは実験結果の資料ばかりだ」
ササハはボヤけそうになる視界を我慢して、唇を噛む。
ノアはあの部屋に行きたくないと言っていた。嫌だと叫んでいた。
「ササ。無理なら外にいなよ」
「だぃじょうぶ」
ササハは一度だけ乱暴に目元を拭い、顔を上げて室内を確認する。目を逸らしていた牢獄内は何もなく、鉄格子の光る石は魔石なのだと気がついた。
元は地下牢と監視部屋だったのだろう。テーブルや作業台が置いてある反対側にも、石壁を壊したような跡があった。
ササハはなんとなく、床や天井に残った名残を目で追った。
「んー。本当によく分からない数値ばっかりだな。――ただ実験は途中で中止したみたいだ」
リオが共有のために声に出す。
「忘れちゃったから、中止するしか無かったんじゃないのかな?」
「忘れたって何が?」
ササハは、忘れずにちゃんと手帳を持ってきていた。
「そこの部屋で見つけた手帳。最後のページに思い出せないとか、忘れるなって書いてあったの」
しかし手帳は腰帯に巻き込んで隠しており、リオには見せなかった。
レンシュラは手帳の事は覚えていたようで、「確かにな」とだけ言った。
「そんな手帳があるの? 見せてよ」
「駄目」
「何で?」
「……ノアが嫌がったの。あの部屋に行きたくないって叫んでた」
「そ……」
「あと、ベルデさんが手帳の中の字は大旦那様のものじゃないかって」
最悪の目覚めの理由が分かり、リオは頼りなくテーブルに片手をつく。
「……被害者、だったのか?」
レンシュラの言葉に正解を返せる者はいなかった。
しばらく沈黙が続き、鼻につく匂いが意識を掠める。リオはテーブルに手をついたまま動かないし、レンシュラもリオの様子に迷いを見せる。そろそろ夜更けも近づいている。
ササハはどうしたら良いのかと、レンシュラに縋る視線を向け、その足元に呪鬼の姿を見つけてしまった。
「また……待て!」
半ばヤケになって小鬼に向かう。小鬼は跳ねるようにレンシュラの側を離れると、一直線にテーブルの下に置いてある木箱へと向かう。そして煙になると吸い込まれるように木箱の下へと潜り込んでしまった。
「逃さないわよ!」
「ササハ?!」
レンシュラの驚いた声を背に木箱を引っ張り出す。小鬼は木箱にではなく、木箱の下に入り込んだのだ。ササハがそちらを見れば、一箇所だけ周りがひび割れている床石があった。
ササハは床石を剥がそうとしたが、腕を引かれ机の下から引っ張り出される。
「待て」
「レンシュラさん?」
「レン?」
「……何をするつもりだ?」
レンシュラの朱金の瞳が、動揺し揺れている。
呪鬼が入って行ったのでと答えようとし、その記憶は無いのだと再度思考する。
「えーと、たぶん悪い物がいるはずだから?」
曖昧な答えにササハの視線が彷徨う。嘘は言っていないが、正しいことも言えてない気がして落ち着かない。
「気づいていたのか……」
レンシュラが驚愕に腕の力を緩めるが、気づくも何も、忘れているのでは無かったのかと矛盾が生じる。
その違和感はリオも感じ取った。
「気づくってなに? いるって、何がいるの?」
「いると言うより、ある、だな。俺もどこにあるかまでは把握出来なかったが」
(ある? え? 呪鬼の話じゃないの??)
いや、呪鬼は呪いの形だと言っていたし、間違いではないのかも知れない。
レンシュラがササハを下がらせ、壁際に寄せられていた鉄棒を手に取る。まるでそのために用意されていたかのように鉄棒は床石のくぼみに嵌り、短い音と共に石が外れた。
「レっ――やばいって、なにそれ!」
「……呪具だ」
「呪具?」
「呪いを生むよう、核にされた物体だ」
レンシュラには視えていないのだろうが、古びた布が巻かれたそれからは、纏わりつくような黒の煙が漏れ出ている。
「触っても平気なんですか?」
「俺は大丈夫だ。よっぽどじゃない限り、この手の物への耐性はある」
「言っとくけどレンが特殊なだけだからね! ササは絶っっ対真似しちゃ駄目だからね!」
こくこくとササハは大きく頷いた。
しかし、先程耐性があると言ったレンシュラの表情は浮かない。苦痛を感じている様子ではないが、酷く憔悴しているように見えた。
一拍置いて、リオの表情も険しくなる。
「は? まさか、レン、それ――」
「………………」
リオが呪具を指差し、レンシュラが観念したように息を吐き出した。
一人、理由が分からないササハは視線で訴える。
レンシュラは床石を元に戻し立ち上がった。呪具がササハの目線と近くなる。
「この呪具から、カルアン当主の魔力を感じる」
そう言ったレンシュラの表情は苦々しいものだった。




