17話 持ち主は
ササハとレンシュラが小屋の外へ出ると、外はちょうど夕日が姿を消す頃合いだった。林を抜け、屋敷を繋ぐ馬車道を足早に駆け、明けの館の扉にササハが手をかけた時、レンシュラが少し離れた場所から呼び止めた。
「悪いが小屋に忘れ物をした。先に戻っていてくれ」
「え?」
そう言えば地下の隠し部屋から地上へ戻った際、急かすレンシュラに促され銀の鍵はかけてこなかった。
「まさか自分だけで調べに行くんですか!」
「ここで大人しくしてろ」
「、」
「リオの様子も気になるだろ?」
「んぅむ~~~!!!!」
「じゃあな」
他人の家で勝手が過ぎないか。ササハは不満に口を突き出しながら、来た道を引き返すレンシュラの背を見送った。
リオの事が気になるのは事実だし、ササハの手には手帳も握られている。
「何をしに行ったのか、後で絶対聞き出してやるんだから」
ぷくぷく頬を膨らませ、屋敷の中へと戻る。
エントランスホールから右に進むと、借りている客室へと続くが、ちょうど別方向にバルトロの姿を見つけそちらへ足を向ける。
ベルデの居場所を尋ねようとし、ササハがバルトロに声をかける前に別の声がササハを呼んだ。
「ベラバンナ。ちょうど良かった」
「ベルデさん」
「少し前に部屋に行ったのだが、こんなところに居たのか」
「わたしの部屋に?」
すれ違うバルトロと挨拶だけ交わしベルデの元へ向かう。
「ノア・リオークのことで。……まだ目覚めないようなんだが、何かあったのかと思ってな」
「リオまだ起きてないんですね」
「そうなんだ。二回ほど様子を見に行ったが、起きる気配がないんだ」
そう言われてもササハにも心当たりはなく、心配に顔色を失くすしかない。あるとすれば呪鬼のことだが、それを今のベルデにどう説明すれば良いのか分からなかった。
「ベルデさん、呪鬼の事思い出したりしました?」
「ん? ジュキ? とはいったい何かな?」
「――昨日、私が言った言葉なんですけど、それも覚えてませんか?」
「言ったとはベラバンナが俺にと言うことかい? ジュキと言う言葉を?」
(また忘れてる?)
無意識にササハは手に持っていた手帳を抱き込んだ。守ると言うよりも、何かに縋っていたいというように。
「ベラバンナ、それは? 何を持っているんだい?」
「え?」
以外にも手帳は彼の気を引き、ベルデが焦げ茶色の手帳を指差す。
じっと手帳を見るベルデに、ササハは手帳を突き出した。
「これ、わたしのものじゃ無いんですけど、誰のものか分かりますか?」
「そうだったのかい? うーん、見覚えがある気がするのだが、どこで見たのか。――中は確認してみたのか?」
「一応は。けど殆ど読めなくて」
「俺が確認してみても?」
「え……、ど、どうぞ」
ササハは記憶のないベルデに一瞬戸惑い、それでも手帳を差し出した。
ベルデは最初の数ページを捲り、眉をひそめた。
「なんだこの文字……いや、暗号か?」
「何が書いてあるとか、誰のものかとか判りませんか?」
「んー……、ん? そうだな、強いて言うなら大旦那様の字に似ているかも知れない」
「え?」
「うん。書かれている内容は解らないが、筆跡や、文字の最後で跳ねさせるなど書き癖が同じだ」
「大旦那様……」
そこでふと、ベルデも違和感に気づく。
「どうしてベラバンナがこれを?」
少しばかりの不信感。ササハが事情を説明しようと口を開き、それを違う声が遮った。
「ベルデ、どういうことなの!」
「お嬢様?!」
「お兄様がご病気だと聞いたわ。お兄様は大丈夫なの!」
薄い寝衣だけを纏い、裸足のローサが立っていた。
ローサは目を赤く腫れさせ、大粒の涙を流している。部屋から勝手に抜け出して来たのは明白で、遠くで行き交う足音がした。
「その様な姿で、風邪を引いてしまいます!」
「そんな事はどうでもいいのよ! それより質問に答えなさい!」
強い口調で声を荒げるローサは、屋敷に訪れたばかりの頃を思い出させる。
興奮に顔を赤くし、今にも暴れだしそうなローサをベルデが抑え込む様に抱き上げる。その際手にしていた手帳を落としたがベルデは気づくことなく、ローサの側付きのメイドを探しに行った。
怒声を孕んだ少女の声は遠ざかっていき、ササハは手帳を拾い上げる。
ここに居ても仕方がないと、淡い暖色の明かりが続く廊下を抜けリオの元へ向かった。
「リオ?」
リオの部屋の前に立ち軽い音を響かせる。返事は無かったが扉がきちんと閉じられていなかったようで、ノックの反動で僅かに内へとすべる。
明かりは点いておらず、室内は薄暗い。
ベッドには目を閉じ、あお向けに呼吸のみを繰り返すリオの姿。ササハはなるべく音を立てぬよう近くまで寄り、サイドテーブルの前にあるスツールに腰掛けた。卓上にある灯りは付けず、なにかに腰掛けてようやく己の疲労を感じた。
「なんか疲れちゃった」
ベッドの端を借り、だらりと頭だけを預ける。スツールに座ったままの姿勢は決して楽なものではなかったが、外の冷気に晒された肌は上質な掛布の生地を心地よいと受け取った。
「大丈夫か? もしかしてまた泣いてんのか?」
すぐ近くから聞こえた声に、ササハは勢いよく顔を上げた。
「なんだ。泣いてないじゃん」
「――ノ」
あお向けに横たわったまま、顔だけをササハに向け、左手を伸ばしていたリオに飛び起き突進した。
「ノアだぁぁー!」
「な、バカ! なんだよ、急に飛びつくな!」
起き上がろうとしていたリオを枕に押し戻す。
「冷たっ! なんかお前すっげー冷てぇ!!」
リオが驚いた声を上げるが、ササハは離れることはなく、むしろ抱きつく力が強くなる。リオの肩口に顔を埋め、戸惑った衣擦れの音がした後、温かい手がササハの背中を優しく叩いた。
「……なんかあったのかよ」
何かと問われ、色々と吹き飛んだ頭には何も浮かばなかった。
ササハはゆっくり離れると、身体を起こして嬉しそうに破顔した。
「ノアに会えたから嬉しくなっちゃった」
へにゃりと笑い、ササハはよじ登ったベッドから降りる。半身だけを起こした状態で固まっているリオに、ササハはスツールに腰掛けてご機嫌のまま首をかしげた。
「どうしたの?」
「え!」
「動かないから。寝すぎて寝違えちゃった?」
「ううん。別に、どこも痛くない」
「なら熱があるのかも。顔がちょっと赤い」
「ホントか?」
「うん」
「ホントだ。なんかすっげードクドクしてる」
両手で自分の頬を押さえ、リオが火照った顔のまま驚いている。ササハも心配になって、今度は身を乗り出すだけで右手を伸ばし、リオの額に掌をくっつけた。
「冷た!」
「うーん。自分の手が冷たいから、熱があるのか分かんないや」
「しんどくないからどっちでも良いよ」
よく見ればリオの火照りも治まり、体調が悪いわけでは無さそうだ。リオは辺りを見回した後不思議そうに呟いた。
「ここどこだ?」
「リオのお家だよ」
「あのデケーおっさんは?」
「でけーおっさん?」
「前会った黒髪の」
「もしかしてレンシュラさんのこと言ってる?」
「ぅ、なんだよその目」
「ノアが失礼だからだよ」
「ふん!」
リオはむくれてそっぽを向いた。
仕方ないなとササハはため息を付き、リオは向こうを向いたまま視線だけを寄越し、何かを見つけ大きく身体を強張らせた。
「ノア?」
顔色が一瞬で変わる。
「なんで……」
「どうしたの? 大丈夫?」
「なんでそれがここにある! もしかしてアイツも居るのか!」
「ノア!?」
怯えた表情で指差すのは、古ぼけた皮の手帳。リオは頭を抱え、身を縮めて震えだした。
「いやだ、嫌だ! もうあの部屋には行きたくない!」
「ノア! どうしたの落ち着いて!」
「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だいやだいやだいや……――――――、!」
「ノ――」
ふ、と叫び声を上げていたリオが、言葉を切って顔を上げた。
「さ、サハ?」
「……リオ?」
ボロリとリオの瞳から涙が溢れる。
「ぅ……、気持ち悪い」
「リオ!? ちょっと! 顔色っ……!! 無理に動かないで」
口元を押さえ、可愛そうなくらい青ざめたリオが言う。
先程の様子も、突然意識が戻ったことも、どちらも気にしていられないくらいに酷い有様だ。
「駄目、吐きそうぅ」
「ま……待って! もうちょっとだけ待ってて!」
「うぐっ、無理ぃ……」
ササハは慌て反転し、勢いのままにスツールを蹴り倒す。同時に足を取られ盛大にすっ転んだ。ベッド脇に置いてあった屑カゴを巻き込んで。
その後どうなったかは当人のみが知る。




