15話 今度は徒歩で
翌朝ササハはいつも通りの時刻に起きた。
ぼんやりする頭で昨晩のことを思い出し、まさかと思って廊下に出たが、レンシュラの姿はなく安堵した。それから身支度を済ませ、再び廊下に出た時には、レンシュラが廊下の壁にもたれ掛かりながら立っていた。
「もしかして見張ってます?」
「気配に敏感なだけだ」
意味は分からなかったが、ササハはまあいいかとリオの部屋の扉をノックする。
「ちゃんと休みましたか?」
「ああ」
「どれくらい寝ました?」
「沢山」
ノックへの返事はなく、物音すら聞こえない。まだ寝ているのかもと暫く待ったが反応はなかった。
「リーオー。朝だよー」
今度は少し強めに扉を叩いた。
「リーオー?」
デケデケデケと指の腹で太鼓のように扉を叩く。
見かねたレンシュラが何の遠慮もなくドアノブに手をかけ、鍵は閉まっておらずあっさりと開いた。
カーテンは閉じられたまま、部屋は薄暗い。ベッドからは規則的な呼吸音が聞こえ、昨日と同じ体勢で枕を抱え、適当に掛布を引っ掛けた状態でリオは寝ていた。
「おい、起きろ」
レンシュラがリオの肩を揺さぶる。
昨日ササハが閉じたカーテンを、今度は開けて光を取り込む。レースカーテン越しに景色が広がった。
「おい。リオ?」
何度目かのレンシュラの声に困惑が乗る。
「起きないんですか?」
リオは強めに肩を揺らされているのに、眉すら動かさず静かに眠っている。
「どうしたんでしょう?」
「分からない」
レンシュラがそれに答えを返せるはずもなく、適当に転がっていたリオを寝やすいようにと動かしてやる。呼吸や脈を確かめ、レンシュラが心底分らないと言う表情を浮かべている。
不安に誰か呼んでくると言うササハを止め、備え付けの魔道具で人を呼びベルデを呼んでもらった。医者にも診てもらったが異常はなく、単に眠っているだけだと告げられた。
「今日一日は様子を見よう。心配なさると思うので、この事はお嬢様の耳には入れないように」
ベルデはそれだけ言うと、医者と一緒に部屋を出た。ササハとレンシュラもしばらくリオの部屋に留まったが、食事を用意したとメイドに声をかけられ、時刻はすでに昼を越えていたことに気がついた。
「起きないリオを見ていても仕方ないので、小屋まで行ってみませんか?」
主に見ていたのはササハだが、そんなことは棚に上げ、眉を寄せるレンシュラを無視して立ち上がる。
日が暮れるまでには時間があるし、だからと言って何もせず一日を終えるのは勿体ない気がした。
「…………何のために?」
「あの小屋が怪しいからです」
「リオークのことはリオークの者に任せておけばいい」
「そのリオークの人たちが気になるのでやりたいんです」
「……ベルデは忙しいようだが」
「そうなんですか?」
嘘である。知らないが、気を逸らそうとレンシュラは適当な理由をつけた。
「なら二人で行きましょう!」
だがササハには通用しなかった。
「レンシュラさんが嫌なら一人で行きます」
「嫌とかそう言いう話ではなく」
「駄目って言うなら後でこっそり抜け出します」
「………………」
危ないからと言う単語を、ササハは敢えて口にしなかった。リオならきっと我儘をと言っただろう。
「お願いします」
「…………………………」
「お願いお願いお願いします!」
「~~~~~寒くない格好をしろ」
「やったぁ!」
レンシュラに勝ち目は無かった。
昨日馬車で辿った道を、今日は自分の足で走った。
最初は普通に歩いていた。目的の小屋があるのは手前の林ではなく、そこを抜け月闇の館を過ぎた更に向こうの林。
レンシュラが念を押すように「暗くなる前には帰るぞ」と言うから、「なら急がないとですね」とササハが走り出してしまった。
そういうつもりでの言葉では無かったが、ササハが意外と走れることは知っていたので、訂正はせずササハに合わせてレンシュラも走った。
「ふぅ。最近運動不足だったから、流石に疲れました」
「十分だろ」
村では山を駆け、木に登ったりしていたササハだったが、これを期に走り込みでもしたほうが良いかもと、上がった呼吸を整える。
昨日よりは早い時間のため林の中も明るく、色が変わり乾いた音を立てる葉が風に揺れている。林の入り口から小屋を目視すると、見える限りではあの黒い小鬼の姿は見当たらなかった。
(リオはなんで起きないんだろう? 本当に大丈夫なのかな)
呪鬼に関係していることなのか。ノアのことも、ローサのことも、全部まとめて解決すれば良いのに。
程なく小屋に着き、レンシュラが何か丸い物体を手に持ち眺めていることに気がついた。
「なんですか、それ?」
「フェイルを感知するための感知魔石だ」
「反応はありましたか?」
「ロキアでぶっ壊れたのを、取り出してから気づいた」
「え」
「替えを用意するのを忘れていた」
「忙しそうでしたもんね」
色々と思い出したのだろう、レンシュラの眉間のシワがすごい事になる。
「それより」
レンシュラが改めて小屋を見上げる。
ササハからすれば、それなりに立派な小屋。煙突が突き出す木製の小屋を、ベルデは休憩所兼、用具置き場と言っていたが、普通に生活が出来そうな印象を受ける。近くにはポンプ式の井戸があり、建物の脇には空っぽだが、薪を積むための棚も設置してあった。
人の出入りは無かったのか、窓ガラスは曇り、吹きさらしの空棚には砂利がうっすらと積もっていた。
「不用心だな。鍵が壊れている」
「え!」
いつの間にかレンシュラが小屋の扉を開けており、ドアノブの下には外付タイプの鍵が、解錠された状態でぶら下がっていた。
「鍵はかかって無かったんですか?!」
「ん? ああ」
それなら今ササハのポケットにある、二本の鍵はなんだと言うのだ。
ササハは肩透かしを食らった気分でため息をつく。意識していなかったが緊張していたようだ。
レンシュラが先に屋内の様子を確認し、テーブルの上に置いてあるランタンに灯りをつけてからササハを呼んだ。窓から差し込む光は薄く、闇ではないが仄暗い。風が吹いていないだけで冷気は変わらず、ササハは気分的に灰も残っていない暖炉へと近づいた。
小屋の内装は想像よりも広々としており、部屋に仕切りはなく一室のみ。大きめのテーブルに、切り株を整えた様な丸椅子が四つ。大きな道具は外の用具置き場に置いてあるようで、壁に打ち付けられている棚の半分には、何も置かれてはいなかった。
「ベッドと、小さいけど本棚まである」
現在ベッドのシーツは取り払われているが、本来なら数日は寝泊まりも出来たのだろうと想像出来た。
レンシュラが天井から下がるフックを見つけ、そこにランタンを吊るすと途端視界が明るくなった。
「良いですね。普通に住めそう」
むしろ誰か住んでいたのではと思えるほどに整っている。
それまで適当に暖炉の側の壁を触っていたレンシュラが、空っぽの水瓶を覗き込んでいるササハを呼んだ。
「それで、何を探しているんだ?」
「何を、と言われると具体的には……」
呪いの手がかりとなるような物や、それこそ逃げ去った呪鬼の行き先など。何かしらの手がかりが欲しかった。
「怪しい秘密の抜け道なんかあったりしませんかね?」
「あるぞ」
「ふぇ!?」
言って、レンシュラが頭に付けている特殊魔具を光らせた。ロキアでフェイルと対峙していた時には赤く光っていたはずだが、今は青白い光を放っている。
レンシュラは暖炉から奥側の壁に手を着いており、今まで壁だったものが途切れるように揺れ、通常の三分の二程しか高さがない扉が現れた。
「なんですかこれ!? いったいどこからっ」
「元からあった。それを隠蔽魔法で隠していただけだ。有るのに無いように惑わせる。ロキアでカエデさんがやった術と似たようなものだ」
よく見れば扉には魔法陣が刻まれており、魔法陣とは魔法を発動させる命令文のようなものだ。その命令文に魔力を通せば一時的、もしくは永続的に魔法が発動される。
「この周辺だけ違和感があったから調べた」
「流石レンシュラさん!」
「俺が先に確認するから少し待っていろ」
「はーい」
言いながらササハはギリギリ怒られない距離まで近づいた。
ササハの肩より少し下くらいの低い扉。扉が現れてから改めて見れば、暖炉は壁に埋まっており、その分の奥行があるはずなのにない。
扉にドアノブはなく、代わりに、ノブがある位置に金色の輪っかと、小さな鍵穴があった。
「開かない。鍵がかかっているな。残念、諦め」
「わたし鍵持ってるかもです!」
「は?」
「鍵穴のサイズからして銀色の鍵のほうかな?」
「なんでそんなもの」
言葉の途中で、昨晩老女から手渡された鍵をぶっ刺した。
銀色の鍵は錆びた感触を伝えながらも、問題なく真横に回った。小さな音を立て解錠された扉に、レンシュラが慌ててササハを押し戻す。
「不用意に近づくな」
ラッチボルトなんてない、蓋をかぶせただけの扉は、僅かな振動を拾い隙間を作る。手前側に僅かだけ開いた扉の先は見えず、真っ暗な闇だけが見えた。
「地下か?」
扉に近いレンシュラからは少し先が見えるのか、独り言が漏れる。
「行ってみましょう」
「駄目だ。明らかに怪しい」
「でも、その為に来たんですよ! まさか鍵だけ開けて帰るつもりですか」
「…………そもそも、なんで鍵があるんだ」
「なんでって、昨日おばあさんが――あー!」
突然ササハは叫び声を上げ、ビクリとレンシュラの肩が揺れる。
ササハの視線の先はレンシュラの足元。レンシュラの黒のブーツに紛れるように、黒の小鬼が張り付いていた。
「呪鬼! レンシュラさんから離れろ!」
追い払おうとするササハの手を避け、小鬼が扉の隙間に消えていく。
「レンシュラさん、呪鬼! やっぱり此処がアイツ等のアジトだったんですよ! 早く追いかけましょう!」
「待て!」
「なんですか!」
興奮気味にササハはレンシュラを見上げる。今にも扉に突撃しそうなササハを、レンシュラは困惑した様子で見つめていた。
「何かいたのか?」
やはり、黒の小鬼はレンシュラの目には映っていなかった。
「呪鬼です。呪鬼。レンシュラさんの足にくっついてました」
「ジュキ? ジュキとは何だ?」
「――――――え?」
前のめりだったササハの身体が、レンシュラの方へと戻される。
そんなササハをレンシュラは不思議そうな顔で見ていた。




