14話 二本目
「ベルデさん戻って来ませんね。もしかしてローサちゃんに何かあったのかな……」
夕食を終えたあと、リオの部屋でベルデが戻るのを待っていた。
リオの部屋にはササハとレンシュラ。テーブルの上には食後のフルーツが乗っている。
「メイドたちの様子に変わったところはなかったし、何かあった訳ではないと思うけど?」
「…………」
「と言うか、レンはいつまで食べてんの。いい加減飽きない?」
「腹にたまれば何でもいい」
言ってイチジクの赤い果肉を口に運ぶ。
だいぶ前に席を立ち、窓から空を見上げていたササハがテーブルの側へと戻る。
「レンシュラさんも、此処にいられるんですか?」
頬を丸く膨らませたまま、レンシュラは無言で頷いた。ベルデが屋敷の中へ招いた時点で予想はしていたので、リオは何も言わずベッドへと身を投げた。
「もう寝るの?」
「寝たくないけど、すごく眠い」
「なら寝ろ」
「でもなー。ベルデに確認したい事もあるしなー」
「確認したい事って?」
「大旦那様の部屋で見つけた鍵」
「あ!」
言われて思い出し、ササハは自身のポケットを探る。硬い感触が確かに存在し、あの騒動の中紛失していなかった事に安堵する。
ササハの右手には大きめの金色の鍵。レンシュラが何だと覗き込むが、どこの鍵なのかは不明である。
「大旦那様の部屋で見つけたんです。でも、どこの鍵か分からなかったので、ベルデさんに聞いてみようかと思うんですけど」
「そもそも、なぜ嘘をついて抜け出した? 最初からベルデを連れて行けば良かったのに」
咎めるようなレンシュラの声に、リオの目がくちゃっとしぼむ。一応、罪悪感はあるらしい。
「……反対されると思ったんだよ。だからこっそり調べようとしたんだけど」
「どうしても必要な事なら、強く反対されなかったと思うが?」
「…………うん。僕が勝手に決めつけてただけ」
枕を抱え込み、リオは顔の半分を埋める。すでに重そうな目蓋を押し上げ、眠いのなら眠ればいいのにと、ササハもレンシュラも口を閉じた。そうすれば暫くもしない内に寝息が聞こえ、レンシュラが深く息を吐いた。
「やっぱり疲れてたんですかね?」
「そうみたいだな」
適当に靴だけ脱がせて、下敷きにしている掛布を引っこ抜いて掛けてやる。室内はそれなりに温かいので風邪を引くことはないだろう。
「お前ももう休め」
「まだ八の鐘も鳴ってない時刻ですよ。全然眠くないです」
「子供は早く寝るものだ」
「子供じゃないし、それでも早すぎますー」
レンシュラが喉で笑い、明かりを消して二人で廊下に出る。
廊下には果物やお菓子が山盛りに乗ったワゴンが置いてあり、ササハは無言でレンシュラを見た。リオーク家の使用人はとても優秀であるようだ。
「もう部屋に戻りますか?」
ササハたちの部屋は、ちょうどリオの部屋を真ん中に挟んで横並びに用意してもらっている。
「お前はどうする?」
「わたしはベルデさんに会えるか聞いてこようかと」
「俺も行く」
「じゃあ一緒に行きましょう」
相変わらず屋敷に人の気配は少なく、すれ違ったとしても忙しそうだ。使用人への連絡はバルトロが行なっているのであろうが、ローサのことがあって以降、ササハが通ると立ち止まって頭を下げる使用人たちに、逆に申し訳なくなってしまう。
「あ。ベルデさん」
ちょうど玄関ホールに差し掛かる辺りに、ベルデの若緑色の頭が見えた。
「やあ、ベラバンナ。どうかしたのかい?」
ベルデは一人だったようで、特に変わった様子もなく笑みを浮かべふり返る。
「ローサお嬢さんは大丈夫でした?」
「ああ、熱も出ること無く、念の為に今はお部屋にいらっしゃるよ」
「良かったです」
「ならばオブビリド。時間はあるか? 先ほどの話の続きをしたいんだが」
「先程の話? ノア・リオークの体調の件か?」
「?」
「あれはアイツの不摂生のせいだと言う話では」
「そ、そうじゃなくて呪鬼のことです」
「ジュキ? とはいったい何かな、ベラバンナ?」
「え……ベルデさん?」
「なんだい?」
ベルデは優しげな声音で笑む。その表情には何の陰りもない。
「…………オブビリド。呪鬼と言う言葉を聞いたことは?」
「急になんだ?」
「いいから答えろ」
「無いな。今初めて聞いたよ」
訝しむように眉を寄せるベルデに、ササハはレンシュラを振り返る。
明らかに可怪しい。
しかしレンシュラは小さく首を横に振るだけで、「ならいい。もう行け」とベルデを追い払う仕草をする。それにベルデが食って掛かり、それは気の知れた、知古を感じさせる口調で、だからこそ余計に気味の悪さが拭えない。
レンシュラに気を向けているベルデを、ササハは改めて見た。
見た目も、言動も、表情も。何一つ変わったところはない。ササハの視線がベルデの足元まで下りた時、黒い男物の靴先に黄色を見つけた。
黄色の一枚の花弁。それが一歩動いたベルデの靴先からはらりと落ち、彼の影に触れると同時に小さな黒い手が伸びて花弁を握り込んだ。
「レっ――」
名前を呼ぼうとし顔を上げたササハは別に気を取られる。
ササハへと振り返ったレンシュラとベルデの向こう。車椅子に乗った老女と、その後ろで車椅子の手押しハンドルを握る黒髪の少年がいた。
「こんばんはぁ」
のんびりとした老女の声が届く。レンシュラとベルデも気づいていなかったのか、驚いた様子で振り返った。
「こ、こんばんは」
「どうして此方へ?! お身体に障ります」
ベルデが慌てた様子で老女へと寄る。彼女のブランケットに包まれた膝上には、一輪の黄色い花が横たわっていた。
「すぐ人を呼んで参りますので、お部屋に戻りましょう」
ベルデはそう捲し立てると、誰の反応も待たず、老女を残して廊下の奥へと消えていった。
レンシュラは少し戸惑った様子で老女を見ていたが、老女はそんな視線など気にせずニコニコと笑っている。
「こちら、どうぞ」
「え?」
「可愛らしいお嬢さんに、差し上げます」
老女は笑顔であるが動作はぎこちなく、震える指先で握りこぶしを作った右手を僅かに上げた。腕を上げる動作すら大変なのだろう、一瞬後ろに立つ少年が心配そうに踏み出しかけたが、止めることはせず元の位置に戻る。
レンシュラが迷ってから老女に右掌を向けた。
「代わりに受け取っても?」
老女はその時初めてレンシュラに気づいたように首を傾けた。
「まあ、どちらさま?」
「レンシュラ・シラーと言います」
「ようこそ、シラー様」
「ただのシラーで」
「それで――…………? そうそう、どうぞお嬢さん。こちら差し上げます」
老女はゆらゆらと首を傾げたあと、もう一度ササハに気づいて右手を上げる。
レンシュラが再度口を開こうとし、ササハが遮るようにそれを止めた。
「受け取ります。ありがとうございます」
「ササハ」
「大丈夫ですよ」
いつまでも腕を上げさせておくのも忍びなく、ササハは両手を老女の手元に広げてみせる。
「まあ、どちら様?」
「ササハです。おばあさんのお名前は?」
「可愛らしいお嬢さん、こちら差し上げますね」
「何をくれるんですか? 手が冷たくなってますけど寒くないですか?」
「当店自慢のシェフでございます。うふふ」
老女との噛み合わない会話。
揺れる老女の手を柔らかく包み、冷たくなった皮ばかりの手に熱を送る。渡すと言うよりは、こぼすように老女の手からササハの手へ硬い物体が落ちる。
「鍵?」
ササハの手に残ったのは小さな銀色の鍵。
「あの、この鍵はどこの」
「きゃああああ!」
エントランスホールに、甲高い女性の声が響いた。
「何をしているの! 誰かぁ!」
悲鳴の主は二階にいるようで、夫人がドレスをたくし上げ階段を下りてくる。
お付きのメイドらしき人物も数人一緒で、慌てて夫人を止めようとしている。
「大丈夫でございます奥様!」
「駄目よ! ああ、きっと誘拐犯よ! 今すぐ罪人を捕らえなくては!」
「この者たちは私共にお任せください。奥様はどうか安全な場所へ」
「そう、そうよね。早くお部屋にお連れしなくては」
騒ぎに駆けつけたバルトロも加わり、さり気なくササハとレンシュラを夫人から遠ざける。そのあとにベルデも合流し、ベルデとバルトロは夫人たちの様子を見に行くため、ササハはレンシュラと部屋に戻ることにした。
慌ただしさが遠ざかり、静かな廊下を歩く。
夫人の異様さにレンシュラも若干の動揺を匂わせるが、あえて言葉にはしなかった。
「いつまで、ここに居るつもりだ?」
「…………」
「カルアンに帰らないか?」
帰る、と言われて何の感情もない。
ただ部外者が居ることで心休まらない夫人の様子に、長く居座るのが申し訳なくなる。
「小屋……。せめて、あの小屋を確かめたいです」
呪鬼が逃げ込んだかも知れない場所。
「それか屋敷から出て、小屋で寝泊まりさせてもらえたら負担になりませんかね?」
「止めてくれ」
「それならばったり会って不審者扱いされることもなくなるし、調べ物も進められるしで良いこと尽くめでは?」
「この季節に小屋なんて……」
「でも休憩所として使ってたって言ってましたし、全く無理なわけでも」
「却下だ」
ぐしゃりと乱暴に頭を掴まれて、適当にかき回される。
「もう今日は寝ろ」
いつの間にか夜は更けていた。
「眠くないです」
「眠くなくても寝ろ。暖かくして、横になって、目を閉じろ。気づいたら朝になっているはずだ」
扉の近くで最後にもう一度頭を混ぜられ、背中を軽く押される。
ササハは不服そうな顔だけ作って、大人しく部屋の扉を開ける。
「お休みなさい」
「ああ。お休み」
「レンシュラさんもちゃんと休んでくださいね」
「……」
「ちゃんと、休んで、くださいね!」
「分かっている」
「絶対ですからね」
「いいから早く行け」
いつの日かの様に扉の近くで見張っていそうだと釘を刺す。
時間を置いて確かめようと思いながら、ササハは朝までぐっすり眠ってしまった。




