10話 樹木?
「明日鍵が届いたら、前の屋敷に行ってみよう」
そうリオが言って、ササハは一人与えられた部屋でベッドに転がっていた。
外はすっかり夜の色だが、眠るにしては些か早い。部屋には温度を管理する魔道具でも備わっているのか、それほど寒さは感じなかった。
ごろりと肌触りの良い寝具の上を転がる。最初はフカフカのベッドに慣れないながらも旅の疲れからか、横になれば自然とまぶたが重くなっていた。それが今は高い天井も、上質な手触りの寝具も、村にいた時にはお目にかかる事さえ出来ないであろう家具や調度品が気になり、落ち着き無く身体を丸める。
(ノアもこの屋敷で過ごしたことはあるのかな)
そう考えたがリオ自身も三年前に家を出て、屋敷を移ったことを知らなかったのだから、それはないかと息を吐く。
(カタシロの練習でもしようかな)
テーブルの上に置けばいいのに、床に直に置いている使い込んだ鞄と、色がくすみ擦り切れている靴を見る。床に敷かれているカーペットよりも数段に襤褸い。
ササハは勢いよく起き上がり、解いた髪はそのまま、ずっと前に母が買ってくれたお気に入りの靴を履いてテラスに出た。テラスは簡単に植木で区切られているが、そのままリオの部屋の前にも繋がっているため、バレないように足音を忍ばせる。
空を覆っていた雲はどこかへいったのか、星空を見上げながら、少し夜風にあたって散歩をする。しかし風はすでに次の季節へと変わっており、ササハは念の為にと持ってきたショールを慌てて羽織った。
「思ったよりさっむーい」
近くに人がいないのを確認して空に吐く。風邪を引くほどではないが、黙って出てきたので誰かに見つかる前には戻りたい。
少し歩いて、庭園のような場所に出た。屋敷とそう距離もなく、振り返れば廊下を歩く人物も分かるほどの距離だ。うっかり屋敷の中から見つかって不審者扱いされても困るので、ササハは身を潜めるように無駄に背を丸め、明かりの少ない、屋敷の裏側へと回った。
あまり使われていない部屋が続くのか、外から覗く廊下は薄暗く、少し窪んだ中庭と呼ばれるような場所に出た。そこには輝くような黄色い花が辺り一面に咲いており、ササハはつい背筋を伸ばし黄色の芝を見渡した。
「わぁ――綺麗。キラキラしてる」
目の錯覚であろうが、小さな黄色い花弁が月の光を反射し光を放っているように見える。ササハはそれらを踏まないように歩き、突き出た建物の影が切れる場所まで近寄った。
「なんて言うお花なんだろう」
「ヒメリュウキンカって言うのよ」
「ひぃぁ!!」
ふいに頭上から声がし、ビクリと大げさに跳ねた。よく見ればササハのちょうど目線よりも高いくらいに突き出ていたのはテラスの床で、木製の柵の向こう側に人影があった。すぐ側まで近づいていたササハとの距離は近く、人影が車椅子に座っている老女だと認識できた。
「あ、あの、わたし怪しいものではなくて」
「今日も良いお天気ね」
「え? はい。たしかに星がいっぱい見えますね」
日も沈みきった夜に天気の話をされるとは思わず、そのままを口にする。
老女の年齢は分からないが、六十だと言っていた母よりもだいぶ上に見える。細身で小柄なうえ、寄った皺には厚みがあり背骨も緩く前に垂れている。絶えず柔らかな笑みを浮かべているのは、緩んだ筋肉のせいか、細められた視線は正面の黄色の花畑へと向けられていた。
びゅう、と強い風が吹きササハは肩を寄せる。
老女の後ろには半開きの扉が見え、続く室内はそこへ至るまでの廊下と違い明るい光が漏れていた。
ササハはそろりと首を伸ばし、老女の周辺を探る。下から仰ぎ見る老女は身なりからして使用人ではなさそうだ。暖かな格好はしているが、このままでは身体を冷やしてしまうのではと、そればかりが気になってしまう。
「こんばんは! わたし少し前からお世話になっています、ササハって言います」
老女は気にした様子はなく、楽しげに歌を歌い始めた。
「寒くないですか? 風邪引いちゃいますよ?」
テラスの床面に両手を乗せ、見上げながら老女に話しかける。このくらいの高さなら簡単に登れるが、驚かせるかも知れないので一定の距離は空けておく。
「ヒメリュウキンカはどこにでも咲いている野花だけれど、私は大好きなの」
老女はニコニコと嬉しそうに黄色の花を褒める。
「一番好きなお花。小さくて、可愛くて、綺麗なのよ」
「確かに……とっても綺麗」
老女につられてササハも足元を見る。月光に照らされた黄色の花弁が、ゆらゆらと波打つさまは、まるで黄金の湖のようにも見えた。
「良かったらお花摘みましょうか? お部屋に飾れますよ」
ササハが善意から老女に告げる。老女はササハの声が聞こえていないのか反応を返すこと無く、代わりに別の声がそれを拒んだ。
「花には触らないで下さい。あれらは全て彼女のものです」
「え――、あ! 君は!」
老女の後ろ。開きっぱなしの扉から一人の少年が声をかけてきた。
少年は黒髪に深い青の瞳。黒のジャケットをかっちりと着こなし、静かに老女の側まで来ると、老女の膝にかけられているブランケットを丁寧な手つきで整える。
ササハは今度こそ我慢が出来ないとテラスの柵を掴み、身を乗り上げた。
「もうすぐあの方がいらっしゃいます」
「え? あの方?」
「見つかればまた、侵入者と騒ぎ立てられますよ」
言われて思い浮かんだのは、奥様と呼ばれるローサの母親の姿。
見つかれば厄介だとは思いながらも、ササハは手すりを乗り越えようとする片足を下げることが出来なかった。
「きみに訊きたい事があるの」
「呪鬼」
「へ?」
「呪鬼といいます。気になるなら調べてください」
「樹木?」
「此奴等のことを知りたいのでしょう?」
そう言って少年は自身の足元を見た。そこにはローサの影に潜んでいたのと同じ、小鬼の様な黒い影が一匹、少年の足に纏わりつくようにへばり付いていた。
「ひっ!」
ササハが手を伸ばそうとする前に、少年が首を横に振る。
「無駄です。どうせすぐに戻ってくる」
「え……それは、それならローサちゃんも」
「時間切れですね」
疑問を吐く前に、甲高い悲鳴が届く。
「まあ、どうして扉が開いて……きゃあ! どうして外にいらっしゃるの!」
扉の死角の向こうから、夫人らしき人物の叫び声が聞こえる。
ササハは咄嗟にテラスの床下に隠れ込み、頭上に駆け寄る足音に息を殺した。
「早く中へ戻りましょう! ああ、手もこんなに冷えてしまって……。誰か温かいお湯を。それから――」
車椅子の車輪が軋む音と、張った高い声が遠ざかる。扉が閉められる振動にササハは目を閉じ、カーテンが引かれる音にテラスの周りも一気に暗くなる。
ササハは身をかがめてテラスの床下から出ると、遮断されてしまった扉の向こうを覗き見る。
カーテンの閉じられた窓越しに、微かに人影が動いて見えた。
「樹木って、どういうこと?」
ササハは盛大に首をかしげながら、大きなくしゃみを一つこぼして部屋に戻ることにした。
翌朝、ササハは普通に寝坊した。
昨晩は思ったより外をうろついていたようで、ササハが戻った頃にはリオの部屋の灯りは消えていた。体調を崩すようなことにはならなかったが、冷えた身体ではなかなか寝付けず、いつ眠りについたのかは覚えていない。
ただ、朝目覚めた時にはすでに昼に近い時間で、差し込む日差しが眩しくて寝ていられなかったのだ。
「ごめん寝過ごしちゃった!」
着替えてリオの寝室ではなく、共有の客間として使われる部屋に行く。
「今まで寝てたの? 寝過ぎじゃない?」
「ちょっと夜ふかししちゃって……」
「サンドイッチあるよ。食べる?」
「それより話したいことがあるの!」
「分かったから。とりあえず座りなよ」
座ると同時に、目の前に断った朝食を差し出される。
食べないと煩いので、適当に一切れ口に放り込みどうだと言わんばかりに確認を取る。
「鍵はもう届いたの?」
「まだ。けど、ベルデは昼前には届くんじゃないかって言ってたよ」
「そうなんだ」
リオは読みかけで伏せていた本を閉じ、テーブルに向き直ってサンドイッチに手を伸ばした。三切れ残っていたうちの一切れは食ってやるから残りは食えと、分かりやすくササハの手前に押し出す。
冷たくはないが、果肉まで入ったオレンジジュースが美味しい。
「あのね、聞いて! 昨日ね、あの男の子と会ったの! 樹木って言ってた!」
「は? ジュキ? 誰それ?」
「だから樹木だってば」
「だから誰なの?」
「人じゃないってば!」
そうじゃないと頬を膨らませると、ちょうど扉をノックする音が響いた。
リオが適当に返事をし、ササハはベルデさんかなと持っていたジュースのコップをテーブルに戻す。
「ベラバンナ。君にお客さ」
「ササハ!」
「レンシュラさん!」
扉を開けたベルデを押しのけるように身を乗り出したのはレンシュラで、レンシュラは大股で部屋の中を横切る。
立ち上がったササハも、嬉しそうにレンシュラの側へ近寄っていく。
「元気にしていたか?」
「なんですかそれ。もちろん元気ですよ」
「この馬鹿のせいで嫌な思いをしたりしていないか?」
「いた、痛いから。頭蓋が割れちゃう! 痛いって!!」
ギリギリと、手前に座っていたリオの頭を鷲掴みながら、表面は心配を滲ませレンシュラがササハと向かい合う。
ササハはリオに心配の視線を寄こしたが、レンシュラもベルデも、二人して気にするなとササハの気を逸らす。
何とか馬鹿力の握力から開放されたリオを横目に、ササハはレンシュラを見上げた。
「レンシュラさんはどうしてここに?」
「シラーはベラバンナが心配だったのと、あと届け物をしてくれたのさ☆」
「……なぜお前が答えるんだ」
シラー? と一瞬首を傾げかけたが、レンシュラの名前だったなと思い出す。
何も間違っちゃいないだろうと言うベルデに、レンシュラが嫌そうに眉間にシワを寄せた。
「で、届け物って?」
頭をさすり、リオはレンシュラから距離をとりつつ訊ねる。
「ババンと。これさ☆」
またも得意げなベルデが、右手を顔の横に上げながらそれに注目する。
「あ」
「鍵だ! 今日届くって言ってた鍵ですよね」
「そうさ、ベラバンナ☆ ど~っしても屋敷に入りたいと言うシラーのワガママを叶えるべく、俺の代わりに受け渡しに出向いてもらったのさ」
とベルデは得意気であるが、カルアンがすぐに連絡を入れたのかレンシュラへの許可はすぐにおりたし、ベルデもその事は知っていた。知っていたが、忙しかったので代わりにお使いに行かされた事をレンシュラは知らない。
「え! レンが旦那様のところまで行ったの!?」
「そんな訳あるか」
「すでに使いの者にはこちらに向かってもらっていたからな。近くの町までさ」
「レンシュラさん、ありがとうございます」
「手配したのは俺だよ、ベラバンナ」
「ベルデさんも、それ以外にも色々ありがとうございます」
にこーとベルデが嬉しそうに笑む。それにレンシュラが気持ち悪そうな顔をした。
「と、言うわけで。準備が出来次第、月闇の館へ向かおうか☆」
「……え、前の屋敷ってそんな呼び名だったの? うわぁ」
「格好いいですね」
「ふっ、、、、、」
「なんだその顔は! シラー、キサマまでっ! キサマ等二人は謝罪をせねば連れて行かんぞ!!」
三者三様の反応に、ベルデが大きく叫んだ。




