9話 九年前
泊まらせてもらっているリオの部屋に二人で戻り、先程のローサの言葉を話し合うことにした。
「ローサの言ってた言葉なんだけど、さっき九年前って言ってなかった?」
「わたしも気になてった。たしか四歳の時にお兄様がいなくなった時、とも言ってたし」
「九年前ならローサは四歳か」
それで? とササハは首を傾げる。
リオは九年前に誘拐だか家出だかを経験しており、リオ自身その時の記憶が曖昧だと言う。
「話の流れで考えるなら、感情の起伏が激しくなったって言うのが、そのころからって事じゃないかな?」
「でもベルデさんは二年前からって?」
「ベルデは忙しくて、全然会えなかったって言ってただろ。ベルデに会えなくて――えーと、我慢してた事が爆発して、内に秘められなくなったのが二年前ってだけで、それ以前からも違和感はあったのかも知れない」
「なるほど……。ならその原因が、ローサちゃんの影の中にいた黒い何かのせいってこと?」
「おそらくは、だけど」
そのタイミングで部屋にノックの音が響く。
リオが振り返り返事をし、扉を開いて訪問者を出迎える。
「ベルデ? ――ローサは?」
側についていなくて良いのかと、リオの声音に疑問が乗る。
「熱はあるが心配はないようだ。今はお休みになっている」
寝るから出て行けとメイドに追い出されたらしい。ローサの様子が気になっていたササハも顔を覗かせ、気づいたベルデがにこりと笑む。
「二人で何の話をしていたのかな、ベラバンナ」
「ローサちゃんが言ってた事について話してました」
「お嬢様が言っていたこと?」
「はい。あと、わたしササハです。ベラバンナってなんですか?」
今更それを聞くのかと、リオが表情で語る。ベルデは「もちろん君のことさ、ベラバンナ!」と答えになっていない事をのたまいながら、失礼と部屋の中へと入ってきた。
「俺も話しに参加させてもらいたいのだが?」
「良いですよ」
「すでに座ってるじゃん」
ローサの部屋の半分ほどしか無い部屋は、広すぎると落ち着かないと言うササハの希望だった。リオも特に拘りはなく、ササハと近いほうが良いからとすぐ隣の部屋を用意してもらった。
それでも室内にはベッドやクローゼットの他に、一人がけのソファがテーブルを挟んで一対置いてある。
「僕の席がなくなったんだけど?」
言いながら、リオはベッドの脇にあるスツールを持ちだし適当な場所に座る。座面の位置が一人だけ低くなったリオは不満そうに眉を寄せた。
「それでお嬢様のお言葉とは? なにか俺に対して怒っておられたのだろうか?」
「そっちの話じゃなくて、お前がバルトロを呼びに行ってる時に言ってたこと」
不安に顔を歪めていたベルデが、気の抜けたように息を吐く。
「そうか。――では、その際お嬢様はなんと?」
「九年前って言ったんです」
「九年前?」
「僕が家出? したのも九年前だろ。だから僕とササはその時期に何かあったんじゃないかって話してたんだ」
「ベルデさんはその時にはここに居たんですよね? なにか心当たりはありませんか?」
「九年前……、その頃は俺も騎士学校の訓練生だったからな。お嬢様のお顔は存じ上げていたが、それだけで」
意外だとササハは目を丸める。
「屋敷へ出入りし始めたのは成人して騎士となってからで、お嬢様と言葉を交わしたのはノア・リオークが訓練に参加するようになってからだ」
「そうだっけ?」
「そうだ。手っ取り早く強くなりたいと、当時班長だった俺に何度も勝負を挑んできただろう」
「あー、そんなこともあったねぇ」
そしてリオに会いに来たローサとも接する機会が増えていった。逆に言えばそれまではローサとの接点はなかったのだ。
「そうだったんですね。てっきり、前にベルデさんがリオの誘拐のこと家出だって言ってたので、昔から今みたいに頼りにされてたのかと思ってました」
「……確かに、ベルデはなんで家出だって知ってたの?」
「知っていたと言うか、あの時は――――ぁ」
ベルデが微妙な面持ちで言葉を切った。
じっくりと記憶を掘り返すように、伏せられたベルデの視線がテーブルの縁をなぞる。
「九年前。あの当時、騎士学校でも噂が流れてきたんだ」
「噂?」
リオが怪訝そうにベルデを見る。
「リオーク家で人が次々に病に伏していってると」
「え、そうなの? 僕その話知らないんだけど??」
「俺も当時は単なる噂だろうとは思っていたが、リオークの騎士を目指していた者たちの中ではしばらく噂になっていた。しかし病はデマで、本当は一人息子が家出をし、奥様が心労から体調を崩したとか。その息子は大旦那様が見つけ、無事保護されたとかで噂もすぐになくなったが」
あくまで噂で聞いただけだと付け足すベルデに、リオの表情が晴れない。
「むしろキサマは何も覚えていないのか?」
鋭いベルデの視線を受けて、リオは力なく「なにも、分からない……」と頭を振る。
「そうなると――九年前、か。確かに妙だな」
ベルデがソファに深く腰掛け、天を仰ぎ片手で顔を覆う。だらりとダラシなく放り出した身体はずるりと沈み、重い息がもれる。
黒い何か。九年前の噂。
ササハは青ざめるリオに、リオが内緒だと言った秘密の範疇ではないのだと知る。
「フェイルの……赤の何とかの可能性もあるんですよね?」
リオではなく、ベルデへと問う。
「そのフェイルの、呪いの内容とかは分からないんですか?」
リオとベルデが顔を見合わせ、ベルデは居住まいを戻す。
言い難い、と言うよりは、どう説明すべきかという風だ。
「残念なことに分からない、かな」
応えたのはリオ。それにベルデが補足する。
「正確には限られた人物にしか伝えられていない。とても、扱いにくい話題だからね」
「他家は知らないけど、少なくともリオークの呪いは親族であっても知らされてないよ。僕も知らないし、たぶんローサもまだ知らないんじゃないかな?」
おそらく、呪いの順番が回ってきた時に初めて知るのだろう。呪いを直に身に宿してから。
諦めた様な笑みを浮かべながらも、ベルデはきつく拳を握る。ササハはこれ以上は失礼かも知れないと思うも、意を決したように口を開く。
「じゃあ、今実際に呪いの影響を受けていらっしゃる方は?」
きょとりと、ベルデとリオがササハを見る。
他意のない不思議そうな表情に、ササハも困惑を浮かべた。
「やっぱり、不躾に聞きすぎましたよね……ごめんなさい」
「……――あ、いや気にしないでくれ。ベラバンナの発想は斬新で、俺ももっと柔軟な考えを持たなければと内省していたところさ☆」
キラリと歯を見せベルデが笑む。それにササハが頷くとベルデは立ち上がり、思い出したと言わんばかりの顔をした。
「実はこれを伝えに来たんだが、明日。鍵が届くようだ」
「鍵――って前の屋敷の?」
「そうだ」
リオがリオークを出る前に過ごしていた屋敷。
「数ヶ月ごとに手入れはしているが、今回は使用人の数を減らしたため前回の手入れからだいぶ日が空いているぞ?」
「ちょっと埃っぽいくらい別にいいよ」
「キサマの心配はしておらん」
「わたしも全然大丈夫です」
ササハは元気に挙手して答える。ベルデは微笑ましげに頷いた。
その後、軽い挨拶を交わしベルデが退室する。やれやれといった様子でリオが引っ張り出してきたスツールを元の位置に戻し、振り向きざまに窓の外を見上げる。
「そろそろ夕食の時間だね」
外はいつの間にか曇り空から変わり、夕闇が景色を包んでいた。
「ずっとお家にいたし、あんまりお腹も減ってないな」
「だからって僕に押し付けないでよね」
「だって残すのは勿体ないでしょ!」
「太ったら絶対ササのせいだ」
「その分運動したらいいじゃない」
「筋肉に変えろとでも? ……それはそれで、レンみたいになりそうで何か嫌だな」
本気か冗談か、リオが真剣な表情で呟く。
食事は初日から、夫人やローサと一緒にとるのは難しいと、それぞれの部屋に運んでもらっていた。それを一人では味気ないからとササハがリオの部屋にやって来るようになり、以降リオの部屋に運んでもらうようにした。
「別にわたしは厨房に食べに行っても良いんだけどな?」
「それは僕が気まずいから嫌」
言いながらもリオはササハを追い出すことはしないので、今日も遠慮なくそれに甘えさせてもらう。
ササハは雲が去り、一番星が輝き出した夜空を楽しげに見上げた。




