8話 お呼び出し
ローサが倒れた翌日の午後。
ササハはリオと共にローサの部屋へと案内された。理由は単に、ローサがササハたちと話がしたいと言ったからだ。
「どうぞこちらです」
言われ踏み込んだ部屋は広く、これが一人部屋なのかとササハは高い天井を見上げる。室内は赤胴色をベースとした家具で統一され、広さの割には最低限のものしか置いていなかった。
壁際にある大きなベッドへ寄るようバルトロに促され、用意してくれたのであろう白い二脚の椅子まで近づいて行く。椅子の向こう側にはベルデが後ろに手を組み立っており、布が擦れる音にササハは緊張してそちらへ視線を向けた。
さらりと光沢のあるシーツが光を反射し、上体を起こしただけのローサが申し訳無さそうな笑みを浮かべ座っていた。
「この様な格好で申し訳ございません。ああ、やはりちゃんとした格好で」
「お嬢様、まだお熱があるのに起き上がってはいけません!」
「もう殆ど下がりました。ベルデは心配しすぎなのです」
ベッドから降りようとしたローサをベルデが止める。反対側にはメイドが二人控えており、バルトロも同様、皆がローサを心配そうにベッドへ戻るよう促している。
以前ローサに会った時、彼女の赤い髪はきつく結い上げられ、大人びた化粧をしていた。今は病み上がりで血色こそ悪いが、緩く編んだ赤い髪は三編みにして肩から前に流し、幼さを残す大きな目は柔らかい印象を与えた。
「ゆっくりお話がしたいの。ベルデ以外は下がってちょうだい」
「お嬢様、ですが」
「バルトロ、お願い」
ローサがバルトロとメイドたちに下がるよう懇願し、ベルデが苦笑を浮かべ後を引き受ける。ササハが何となしにそれを見送っていると、ベッドが軋む音がし座ったまま姿勢を正すローサへと振り返った。
「改めまして。わたくしローサ・リオークと申します」
「あ、わたしはササハです」
「ベルデから、貴女が助けて下さったのだと聞きました」
「え? 助けるってなにを?」
困惑するササハに、ローサはベッドから立ち上がり礼を取る。
「非礼をお詫びし、手を差し伸べて下さったこと真に感謝いたします」
綺麗な所作で下げていた頭を上げたローサを、ベルデがいい笑顔でベッドへと戻した。
「ベルデ!」
「大丈夫ですよお嬢様。ベラバンナはとぉ~ても素敵なレディですので、お嬢様のお気持ち十分に受け止めてくれています!」
「え? も、もちろんです! よく分からないけれど、お嬢様が元気になったのなら良かったです!」
「お嬢様って、ベルデにつられてるよ」
むん、と拳を握るササハにローサは呆けた後、可笑しそうに笑った。
「お兄様もご無沙汰しております」
「ん……ぅん」
「お障りなくお過ごしでしたでしょうか?」
「まあ、ね」
ぎこちない返答を返すリオを、ササハは信じられないとガンくれる。ローサはローサでリオには遠慮しているのか、会話は弾まずそれだけで途切れた。ササハは小さくリオの足を蹴った。もちろんローサとベルデにも見えている。
「痛った……なんで蹴るの?」
「べっつにー」
ササハはそっぽを向くが、リオはそれ以上強くはでなかった。それをローサが驚いた表情で見ていたが、小さく吹き出し嬉しそうに表情を綻ばせる。
「お兄様がお元気そうでなによりです」
くすくすと楽しそうな声を漏らすローサに、昨日までの切迫感はなかった。
ローサが羽織っているだけの上着の前を引き寄せ、未だ空いたままの二脚の椅子に視線を寄越す。
「よろしければお話をいたしませんか? どうぞお掛け下さいませ」
十三歳の、年下とは思えないほどしっかりとしたローサに、ササハは礼を言って慌てて椅子に座る。以前に会った時とは真逆の印象に、ササハは気恥ずかしそうに背中を丸めた。
「あの、ササハ様は」
「え! ササハで良いよ。気軽に呼んで! ――下さい」
言ってから、むしろ自分のほうが失礼だったのではと青ざめる。
「ではササハさんと。ですので、その……わたくしとも気軽に接して頂けたら嬉しいのですが」
「でも」
ちらりとベルデを横目で見れば、いい笑顔で頷かれた。
「……じゃあ、ローサちゃん、て呼んでも?」
確認するようにササハが言えば、ローサは嬉しそうに笑った。
「お兄様共々、よろしくお願いいたしますね」
「? うん? よろしくね!」
「違うから。ササも適当に返事しないで」
ササハとローサが不思議そうな顔をする中、ベルデだけが面白そうにしている。
「それで、ローサの話したいことって、昨日の黒い奴のことだろ? アレがローサに取り憑いてたと仮定して、なにか心当たりでもあるの?」
リオが行儀悪く姿勢を崩し、足を組みながら投げやりに言う。ローサはそれに首を横に振り眉尻を下げた。
「ベルデから聞きましたが、心当たりはありません。わたくし自身、自分の身になにが起きていたのかよく分からないのです」
「二年くらい前からローサの様子が変わったって聞いたけど、その辺の自覚はあるの?」
「自覚はありませんでした。ただ、今思えば感情の起伏が激しく、コントロールが出来なくなっていたように感じます。本当はこの間も……久しぶりにお帰りになったお兄様と、そのお兄様が連れて来た方と仲良くなりと思っていたのに、いざ親しげなお二人を前にすると仲間外れにされたような嫌な気持ちでいっぱいになって、浮かれて一つしか用意してこなかった葡萄ジュースもあんな風に……」
「わたし気にしてないよ。そのおかげでお風呂にも入れたし!」
「お風呂? ふふ、ありがとうございます。――でも、そうですね。自覚はありませんでしたが、違和感はありました。こんな事したくなかったのに。どうして些細な出来事でも、こんなにも感情を乱されるのかと後悔はするのに、それを抑えなければいけないとは思わなかったのです」
ローサは一度だけベルデを見上げると、どうしてか悲しそうに視線を伏せた。
「ベルデは……わたくしの様子が可笑しくなったのは二年ほど前からだと言ったのよね?」
「え――はい。そうです。そうですが……違うのですか?」
「確かに二年前程から、わたくしは更に自分を抑えるのが難しくなったように感じます。三年前お兄様がリオークを出ていかれて、ベルデも忙しくなってしまったから………………」
「お嬢様?」
「ベルデのお仕事が大変なのは理解しておりましたが、全然、屋敷に寄っても報告だけですぐに帰ってしまわれるし、少しくらい顔を見せてくれても」
「お嬢様?? あの、もしや俺がなにか失礼な事を??」
「ベルデは何もしていません! 何もしてくれませんでした!!」
「お嬢様???」
「ローサちゃん???」
「なにそれ知りたくなかったんだけど」
「お兄様のせいです! お兄様がカルアンに行ってしまわれるから、ベルデが忙しくなってしまったのです!」
それまで落ち着いた雰囲気で話していたローサが、顔を赤らめ目尻には涙まで浮かんでいる。それにベルデがはっとした様子でローサの額に手をあてた。
「お嬢様やはり熱が」
「お兄様のせいです! お兄様が指揮隊長のお仕事をしないから、ベルデが大変でわたくしを構ってくれなくなったのです! わたくしはそのせいでいっぱい我慢したんです!!」
「つまりリオが悪いのね! よし、リオ謝って!」
「え!? なんで僕が」
「謝って下さいお兄様!」
「リオ!」
「ノア・リオーク!」
「いやっ――あーもうごめん! 僕が悪かったですごめんなさい!!」
「許しません!」
「なんで?!」
とうとう泣き出したローサに、ベルデが優しい手つきながらも、有無を言わさぬ速さで掛布の中へと押し込んでいく。小さくシャクリを上げ、ローサは掛布の合間から赤くなった目元を覗かせる。
「だから、もう少しだけで良いです。もっと家に帰ってきてください」
「…………」
「それでベルデのお手伝いをして、ベルデをわたくしに返してください」
「結局そこ?」
「そしたらわたくしとベルデ、お兄様とササハさんと四人で一緒にお茶をいたしましょう」
すでにベルデはバルトロを呼びに廊下へと向かい、背を向けていた彼にローサの言葉は届いていない。それでも、ローサは満足そうな笑みを浮かべ、朦朧としてきた頭を枕へと預けた。
「あと……」
熱が上がってきたのか、目を細めローサの呼吸が荒くなる。バルトロは近くで待機していたようで、何人かの気配がすぐに近づいてくる。
「あと、きゅ、まえから、です」
「え?」
「よんさ……のとき、おに、さまが……いなくな、ったと、き……」
「ローサ?」
水差しを持ったメイドが隣を過ぎ、別のメイドが眠ってしまったローサの枕を整える。すぐにバルトロとベルデもやって来て、言外に退室を促されササハとリオは自分たちの部屋へと戻った。




